みなさん、こんにちは。内田樹です。
今回は成瀬雅春先生との対談本です。成瀬先生とは以前『身体で考える』(マキノ出版、2011年)という対談本を出しましたので、これが二冊目となります。
成瀬先生とはじめてお会いしたのは、1990年代の初め頃ですから、もう四半世紀ほど前になります。成瀬先生のことは、先生の下でヨーガの修業をされていた合気道自由が丘道場の笹本猛先輩からよくうかがっておりましたし、著作も何冊か拝読しておりました。その成瀬先生が西宮の教会で倍音声明のワークショップをやるというのを知って、「おお、これは行かねば」と神戸女学院大学合気道部の学生たちを引き連れて行ったのが先生とお会いした最初です。
小さな教会で、参加者もごく少人数でしたけれど、はじめてお会いする成瀬先生はそんなこと気にする様子もなく、機嫌よく倍音声明のやり方を僕たちに教えて、「じゃ、始めましょう」とセッションを進めました。僕の中では成瀬先生は「すごくミステリアスな、近寄りがたい人」という先入観があったので、こんなに間近で、こんなに親密な環境でやりとりできるとは思っていませんでした。それですっかり安心して、その半年くらいあとに大阪であった倍音声明のセッションにも参加しました。
でも、その後、阪神の震災があって、僕も被災して、生活再建に手間取り、病気にもなって、しばらく成瀬先生との出会いも途絶えていました。先生との交流が再開したのは、震災から数年経って、五反田にある成瀬先生のヨーガ教室で、僕の合気道の師匠である多田宏先生(合気会師範、合気道九段)と成瀬先生との対談を聴きに行ったときです。たいへん面白い対談でした。
帰途、五反田駅まで歩く道筋で、多田先生に「成瀬先生って、ほんとうに空中に浮くんでしょうか?」と伺ってみたら、多田先生がにっこり笑って「本人が『浮く』と言っているんだから、そりゃ浮くんだろう」とお答えになったのが僕の腹にずしんと応えました。なるほど。
武道家は懐疑的であってはならない。
そんな命題が成立するのかどうかわかりませんけれど、何を見ても、何を聴いても、疑いのまなざしを向けて、「そんなこと、人間にできるはずがないじゃないか」というふうに人間の可能性を低めに査定する人間が武道に向いていないことはたしかです。
でも、実際にそのような「合理的」な人は武道家の中にもいます。そういう人は筋肉の力とか、動きの速度とか、関節の柔らかさというような、数値的に表示できる可算的な身体能力を選択的に開発しようとする。でも、実際に稽古をしているときに僕たちが動員している身体能力のうち、数値的に表示できるものはたぶん1%にも満たないんじゃないかと思います。していることのほとんどは、中枢的な統御を離れて、自律的に「そうなっている」。いつ、どこに立つのか、どの動線を選択するのか、目付けはどこに置くのか、手足をどう捌くのか、指をどう曲げるのか・・・などなど。ただ一つの動作を行うにしても、かかわる変数が多すぎて、そのすべてを中枢的に統御することなんか不可能です。身体が勝手に動いている。身体が自律的にその時々の最適解を選んでくれる。淡々と稽古を積んでゆくうちに、そういう「賢い身体」がだんだん出来上がってきます。それは「主体」が計画し、主導しているプロセスではありません。
武道の稽古のおいては、「こういう能力を選択的に開発しよう」ということができません。だって、「どういう能力」が自分の中に潜在しているかなんて僕自身が知らないから。あることができるようになった後に、「なんと、こんなことができるようになった」と本人もびっくりする。そういうものです。修業においては事前に「工程表」のようなものを作成することができない。自分が何をしたいのか、何ができるようになるか、予測できないんですから。
そのどこに向かうのか分からない稽古の時に手がかりになるのはただ一つ「昔、こういうことができる人がいたらしい」という超人たちについてのエピソードです。そのような能力の「かけら」でも、もしかすると自分の中には潜在的にひそんでいるのかも知れない、修業を積んでいるうちに、思いがけなくそういう能力が部分的にではあれ発現するかも知れない、それだけが修業の手がかりになります。とにかく、僕はそういうふうに考えることにしています。
そういう割と楽観的でオープンマインデッドな修業者と「そんなこと、人間にできるはずがない。そういうのはぜんぶ作り話だ」と切って捨てる「科学主義的」な修業者では、稽古を十年二十年と重ねてきた後に到達できるレベルが有意に変わります。これは間違いない。
どんな異能であっても「そういうことができた人がいる」という話は受け入れる。「そういうことって、あるかも知れない」と思う。そして、どういう修業をすれば、どういう条件が整うと、「そういうこと」ができるようになるのか、その具体的なプロセスについて研究し、実践してみる。
僕はそういうふうに考えています。
だって、それによって失われるものなんか何もないんですから。自分の中にひそむ可能性を信じようと、信じまいと、日々の稽古そのものに割く時間と手間は変わらない。だったら、「そういうことができる人間がいる」と信じた方がわくわくするし、稽古が楽しい。
人間の潜在可能性についてのこの楽観性と開放性は武道家にとってかなりたいせつな資質ではないかと僕は思います。現に、 僕が尊敬している武道家である甲野善紀先生も光岡英稔先生も、「信じられないような身体能力の持ち主」についての逸話についてはたいへんにお詳しい。
ちょっと話が逸れましたけれど、とにかくその時に多田先生がにっこり笑っておっしゃった一言で僕は「武道家のマインドセット」がどうあるべきかについては、深く得心したのでした。
成瀬先生が時々僕にお声がけをしてくれて、対談をするようになったのは、それからの話です。そのおかげで、対談本もこれで二冊目になったわけです。それはたぶん僕が成瀬先生が語られる「信じられないような逸話」について、「そんなことあるはずがないじゃないか」というような猜疑のまなざしを向けず、「どういう条件が整えば、そういうことが起きるのか?」という方向に踏み込んでゆくからではないかと思います。
でも、これを「軽信」というふうには言って欲しくありません。不思議な現象に遭遇した時に、「自分の既知のうちにないものは存在しない」と眼をそむける人より、「どういう条件が整えば『こんなこと』は起きるのか?」を問う人の方がおそらく科学の発展には寄与するはずだからです。
今回の対談は「現代人の生きる力の衰え」についての話から始まります。どうしてこんなに生命力が衰えたのか。本書では語り切れなかったので、ちょっとだけここで加筆しておきますけれど、その理由の一つはなんだか散文的な表現になりますけれど、産業構造の変化だと思います。
もう農作物をつくった経験のある人が少なくなったということです。
僕や成瀬先生が生まれ育った1950年代の日本には農業就業者が2000万人いました。ですから、多くの人にとって、「ものを作る」という時にまず脳裏に浮かぶのは農作物を育てることでした。種子を土に蒔いて、水や肥料をやって、太陽に照らし、病虫害から守っていると、ある日芽が出てきて、作物が得られる。人為がかかわることのできるのはこのプロセスのごく一部に過ぎません。他にあまりに多くのファクターが関与するので、どんなものが出て来るのかを正確に予測することはできません。だから「豊作」を喜び、「凶作」に涙した。
でも、今はそんなふうにものを考える人はもう少数派です。現代人が「ものを作る」という時にまず思い浮かべるのは工場で工業製品を作る工程だからです。
学校教育がそうです。
僕が大学に在職していた終わりの頃には「質保証」とか「工程管理」とか「PDCA サイクルを回す」というような製造業の言葉づかいがふつうに教育活動について言われるようになりました。缶詰を作るようなつもりで教育活動が行われている。だから、規格を厳守する、効率を高める、トップダウン・マネジメントを徹底させるというようなことが1990年代から当たり前のように行われるようになりました。
この転換によって、「子どもたちのどのような潜在可能性が、いつ、どういうかたちで開花するかは予見不能である」という農作業においては「当たり前」だったことが「非常識」になりました。「どんな結果が出るか分からないので、暖かい目で子どもたちの成長を見守る」という教師は「工程管理ができていない」無能な教師だということになった。それよりも、早い段階で、どの種子からどんな果実が得られるかを的確に予見することが教師の仕事になった。「何が生まれるかわからない種子」や「収量が少なそうな種子」や「弱い種子」は「バグ」としてはじかれる。品質と収量が予見可能な種子にだけ水と肥料をやる。例の「選択と集中」です。
人々がそういうふうに考えるようになったのは、別に教育についてのイデオロギーが劇的に転換したというわけではありません。ごく単純にドミナントな産業が農業から工業に変わったからです。
いずれ工業のメタファーも打ち捨てられて、ディスプレイに向かってかちゃかちゃキーボードを叩いているうちに銀行預金の残高が増えてゆくのが「生産」の一般的なイメージになり、それに即して学校教育の「当たり前」も変わってゆくはずです(たぶんその時には「創造的思考」とか「スマート化」とか「投資対効果」とかいう言葉が大学教授会で飛び交うことになるでしょう・・・、というかその頃にはもう大学教授会などというものはこの世からなくなっているでしょうけれど)。
産業は人間が創り出したものです。機械は人間が設計したものです。でも、ご覧の通り、人間は自分が創り出したものを「ものさし」にして、それを模倣し、それに従属して人間を「改鋳」しようとする。やめろといっても、そういうことをする。人間というのはそういう生き物なんです。
本書の中でも「機械論的な身体観を内面化させた人」についての論及がなされています。機械の動きというのは、人間の動きを単純化したものです(ヒンジ運動とかプレス運動とかは人間の自然な身体運用のうちにはありません)。でも、自分で機械を制作しておきながら、それに囲まれているうちに、機械の動きを模倣して身体を使うようになる。自分が創り出したものに支配される。マルクスが「疎外」と呼んだのはこのような事態のことです。
別にそれはそれでいいんです。人間というのは「そういうもの」ですから。自分が創り出したものに支配されるという倒錯も一種の能力と言えばそうなんです(動物にはそんな器用な真似はできません)。
でも、とりあえず現代人は工業製品の製造工程(というそれ自体すでにかなり時代遅れなプロセス)をモデルにして、自分の身体を使おうとしていることについては声を大にして言っておきたいと思います。中枢的に管理すること、個体を規格化すること、シンプルな「ものさし」に基づいて個体を格付けし、高い格付けを得たものに資源を傾斜配分する・・・という一連のプリンシプルに基づいて現代人は身体を使おうとしていますけれど、それはある歴史的な時期に固有の、一種の民族誌的偏見に過ぎません。そういうことを「どうしてもやりたい」という人は、お好きにされればいいと思います。でも、これは前期産業社会に最適化したプロセスですので、もうだいぶ前から使いものにならなくなっているということだけは知っておいた方がいい。
僕たちがこの本の中で提言しているのは、とりあえずは、もう少し前の時代の、人間が工業生産のメタファーで身体をとらえる習慣がなかった時代の「身体の潜在可能性に対して楽観的であること、予見不能な資質について開放的であること」です。たぶん、このやり方の方が「次の時代」に適応する可能性は高いと思います。
もう一つ、この本では、「潜在可能性を開花させる」という向日的なテーマの他に、「よく死ぬ」とはどういうことかという、われわれの年齢(もう古希ですからね)にふさわしいいささか重いテーマについてもかなり長い時間を割いて語っています。
ここでの僕たちの合意点は、一言で言えば、「よく死ぬためには、生命力が高い必要がある」ということです。
変な話ですけど、そうなんです。
健康で長生きすると「いいこと」があると昔父親が教えてくれました。父の説によると「健康で長生きすると死ぬとき楽だから」だそうです(実際に父は長寿で、死ぬ間際までしっかりしていて、最期に家族に向かって「どうもありがとう」と言い残して永眠しました)。
なるほど。
僕くらいの年になると、もう死ぬことそのものは怖くないんです。やりたいことはだいたいやり尽くしたし、ライフワークとしていた仕事もほぼ片づきました。たいせつなミッションについては「あとを引き継ぎます」という次世代の後継者たちが育ってくれています。
だから、どちらかというと、死ぬのは楽しみなんです。死んだ時に「あ、死ぬというのは、こういうことだったのか!」と長年の問いの答えを得ることができるわけですから。それを楽しみに待っているのです。
とはいえ、死を前にして心配になることが二つあります。一つは死ぬ前に大病をして苦しい思いすること。もう一つは認知症になって、「内田センセも若い時は気の練れた人、もののわかった人だったんだけど・・・年取るとあんなになっちゃうのかな。悲しいね」と言われることです(本人はもう惚けちゃっているので、悲しくもなんともないのですが)。
つまり、身体の健康と、頭の健康ですね。できれば、死ぬ直前まで心身ともに健康で、ある日「あ? お迎え?」と呟きつつばたりと倒れて死んでしまうというのが望み得るベストなんです。
でも、そのためにはいろいろと生きているうちに努力しておかないといけない。
死に至る身体の病はほとんどが遺伝子由来のものですので、コントロールできることには限界があります。お酒も飲まず、煙草も吸わず、暴飲暴食を慎み、早寝早起きしていたけれど、若死にするということはよくあります。生活習慣も遺伝子には勝てない。僕らがある程度主体的にコントロールできるのは「心の健康」だけです。これは努力のし甲斐がある。
では、「心の健康」とは何のことでしょう。
それは「複雑化」ということじゃないかと僕は思っています。
僕の同級生たちはもう過半がリタイアしています。まだ自分の現場を持っている人もいますけれど、一線は退いている。でも、一線を引いて、悠々自適になると、態度に際立った変化が起こる人がいます。
頑固になるんです。「頑固爺い」になってしまう。
不思議ですよね。世の中の利害得失から超脱した身分になったはずなのに、そういう人ほど「言い出したら聞かない」し、「人の話を聞かない」ようになる。こちらが話しかけても、「そんなことは分かっているんだ」というような興味のなさそうな態度をとるようになる。ひどい時は人の話を遮って、「わかったわかった」とうるさそうに話を切り上げてしまう。
たぶん本人は「世の中の些事はもうどうでもいいくらいにオレは解脱しちゃったんだ」というふうに自己正当化しているのかも知れませんけれど、僕の見るところ、違います。
この人たちは「複雑な話」をする能力がなくなってきているんです。
新しい変数の入力があった時に、それがうまく既知と同定できない場合、僕たちは自分の手持ちの「方程式」そのものを書き換えます。増えた変数が処理できるように、方程式の次数を上げる。話が複雑になってきた時には自分も複雑になってみせないと対応できないからです。
これが生物の本性なんです。進化の本質なんです。
入力がシンプルな時は、シンプルなスキームで対応できる。単細胞生物だったら、外界からの入力は「餌」か「捕食者」の区別ができればいい。「餌」なら食べる。「捕食者」なら逃げる。それで済む。でも、細胞分裂を繰り返して、だんだん生物の構成が複雑になってくると、外界からの入力の仕分け方もだんだん複雑になってきます。
複雑さを処理する基本のマナーは「判断保留」です。「なんだかよくわからないもの」というカテゴリーを作って、「なんだかよくわからないもの」はそこに置く。
船に乗っている時、夜の海上に何か揺れるものが見えたとします。何か規則的な動きをしている。でも、鯨か、難破船か、月の反射か、なんだか分からない。そういう時に人間は、何かを見たけれど、それが何かを「決定しない」ということができます。「それが何を意味するのか分からないものがある」ということを受け容れる。
それができるのは人間だけです。
老人になることで際立って衰えるのは、この「なんだかわからないもの」を「なんだかわからない」ままに保持しておく力です。中腰に耐える、非決定に耐える。何か追加的な情報入力があって、自分自身がもっとも複雑な生き物になることによって複雑な事態に対処できるようになるまで、判断保留に踏み止まること、年を取るとそれができなくなる。
体力気力が衰えると、はやく腰を下ろしたくなるんです。中腰つらいから。
オープンマインドとか「開放性」とかいうのも僕は同じことを指しているのだと思います。老人になって、現場を離れたことでまっさきに衰えるのは、この力です。自分をさらに複雑な生き物に進化させることで複雑な事態に対処するというソリューションが取れなくなる。むしろよりシンプルな生き物に退化することによって、事態をシンプルなものにしようとする。「オレにも分かる話」か「オレには分からない話」かの二分法で入力を処理して、「単純なオレ」でもハンドルできるように事態を縮減する。
僕は「心の健康」というのはこのことじゃないかと思っているんです。老人になると、確実に身体は衰えます。でも、心は衰えに抗することができる。それは複雑化するということです
老いるというのは自己複雑化の努力を放棄することだと僕は思います。いささかきつい言い方になりますけれど。こういうことを老人に向かって言う人はあまりいないみたいですので、あえて自戒を込めてそう申し上げます。
日本は超高齢社会にこれから突入します。当然、これから「老人向き書籍」市場にビジネスチャンスを求めていろいろな書き手が参入してきます。この本も、そういうものの一つと思って読んでくださって結構です。
たぶんほとんどの「老人向け書籍」は「どうやったら楽になるか」「どうやったら話を簡単にするか」という方向で読者を惹きつけようとすると思います。知的負荷をできるだけ軽減するように誘導する。でも、そうやってどんどん老い込んでゆくのはあまり賢い生き方だとも、楽しい生き方だとも僕は思いません。
みなさんはこれからあと本文に入られるわけですけれど、出て来るのは「変な話」が多いです。それを読んで「そんなことも、あるかも知れない」と言って中腰で耐えることができるかどうか、そのあたりを自己点検してくださるとよろしいかと思います。
本書は、最初成瀬先生が2018年の秋に個展を開かれることになっていて、それに合わせて出版するはずだったのですけれど、よい版元が見つからず、いささかご無理をお願いして、集英社新書から出してもうらことになりました。その時に、集英社編集部から対談で触れたトピックのうちで「善く死ぬ」という主題にフォーカスしたかたちで出したいという要望がありました。たしかに、対談では「死ぬこと」に繰り返し触れています。でも、勘違いしないでくださいね。この本は別に「老人向け」のものではありません。若い人にこそ読んで欲しいと思います。死ぬ準備はいつ始めても早すぎるということはないからです。
僕は能楽のお稽古をしているのですが、前にあるインタビューで「老後の趣味として能楽なんかやるのはどうでしょう?」と訊かれて、「老後になってからじゃ遅すぎます」と割と冷たい返事をした覚えがあります。老後になって能楽を楽しみたいと思ったら、リタイアするまでにそれなりのキャリアを積んでいる必要があります。リタイアした後の生活を充実したものにしようと思ったら、その準備はできるだけ若い時に始めておいた方がいい。
「善く死ぬ」ことは老人だけに突き付けられた問いではありませんというのはそういうことです。みなさんのご健闘を祈ります。
なんだか「まえがき」にしてはめちゃくちゃ長くなってしまいました。本文に入る前に読み疲れてしまった方もいるかも知れません。すみません。
最後になりましたが、対談の企画と編集の労を取ってくださった豊島裕三子さんと、本を仕上げてくださった集英社新書の伊藤直樹さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。成瀬先生、長い時間お付き合いくださいまして、ほんとうにありがとうございました。またお話しする機会を楽しみにしております。
2018年12月
内田樹
(2019-04-15 13:48)