トクヴィル先生とおしゃべり

2010-03-29 lundi

『街場のアメリカ論』(NTT 出版、2004年)が文春文庫に収録されることになったので、その「あとがき」を書く。
この本は 2004 年に出たけれど、内容はその前年の大学院の演習でのおしゃべりを採録したものである。
あ、その頃は今よりもずいぶん暇だったんだ。
前年の演習の録音を翌年には本にできたんだから・・・(今はとても)
ジョージ・ブッシュがアメリカ大統領で、イラク戦争が始まったころのアメリカについての論である。もちろんリーマンショックも起きていないし、バラク・オバマも大統領になっていない。
「ネタが古いね」ということになって、ふつうであれば顧みられないのであるが、ゲラを読んでみたら、「いまでもリーダブル」である。
それは私がシロートであり、かつ門外漢であるので、内容に速報性も「インサイダー情報」もまったくないことが関係している。
ふつう時事問題の専門家は、速報性(みんながまだ知らないことをすでに知っている)と、インサイダー情報(みんながアクセスできない情報源にアクセスできる)の二点におけるアドバンテージでご商売をされている。
それはもちろんそれでたいせつな仕事である。
しかし、この職業的特性は、彼らを「より速報的であること」「より深くインサイドであること」へと駆り立てずにはおかない。
その結果、彼らは「古い情報には価値がない」「公開情報には価値がない」というニュース「ヴァリュー」の査定基準に同意署名してしまう。
それは言い換えれば、彼ら自身の書きものの賞味期限が限りなく短くなることにも同意したということを意味している。
これが速報性とインサイダー情報に価値を置くひとたちの陥るアポリアである。
私はシロートであるので、私が知っていることはすべて「すでに・誰でも・知っている」公開情報である。
それに基づいてアメリカ論を書いた。
素人には出来るが、玄人には出来ないことがある。
それは「素人の素朴な疑問にとことん付き合う」ことである。
だって、自分が素人なんだから。
自分を相手に説明するとき、私たちはもっとも忍耐づよくなる。
そりゃそうである。
自分が納得できなければ、「気持ちが悪い」からである。
玄人は自分が納得している(気になっている)ことについて素人に説明するときに、あまり親身ではない。
「周知のように」というのが彼らの愛用する定型句であるが、これは「周知のように」以下に書かれたことがらについて周知されていないかたは、想定読者に算入されていないので、静かにそのへんの隅に引っ込んでなさいという暗黙の恫喝である。
それだと素人は素人のままで、なかなか事態を理解することができない。
うっかりすると、読者の全員が「隅に引っ込んだまま」で終わってしまうということもある。
そうしておくと、読み終わったあとも、読者はさっぱり玄人の域に近づけないので、結果的に玄人の職業的なアドバンテージはいつまでも担保されるわけである。
そういう本を読んでもさっぱり得るところがないので、私は「素人にもわかるアメリカ論」を自分で書くことにしたのである。
こういう場合には誰を想定読者にするかで、書き方はまったく違うものになる。
私が選んだ想定読者は誰あろうアレクシス・ド・トクヴィルである。
1831年に建国間もないアメリカを走破し、アメリカ論の古典である De la démocratie en Amérique を書いたトクヴィルである。
トクヴィルは1859年に没している。
そのトクヴィル先生が墓から甦って読んだ場合に「理解できる」ように書く、というのが私のアメリカ論の趣意であった。
トクヴィルのアメリカ論は今読んでもリーダブルである(その頁の相当部分は、いま日本の新聞に解説記事として掲載しても「21世紀のアメリカの話」だと誤読されるであろう)。
それだけ深くアメリカという国の本質に触れているのである。
それは、トクヴィルが1830年代のフランスの知識人たちに向けて、アメリカ論を書いたからである。
彼の本の読者たちはアメリカの統治システムや宗教事情や開拓民の生活について、ほとんど何も知らなかった。
そのような人々に「アメリカという国はどうしてできたのか。それはヨーロッパ諸国とどのように違うのか」を理解させるために書かれた本である。
トクヴィルはアメリカを「変な国」だと思った。
彼はアンドリュー・ジャクソン第七代大統領に会い、どうしてこのように暗愚な人物をアメリカ国民はあえて国家の指導者に選択したのか最初は理解に苦しんだ。
そして、アメリカを旅する中で、その理由を理解した。
彼は指導者の選択を誤っても統治システムが致命的な事態にならないように設計されたアメリカン・デモクラシーの狡知に気づいたのである。
「アメリカの統治者は愚鈍である」と書いて終わりにしていたらトクヴィルの書物は今にいたるまで読まれるものにはならなかったであろう。
トクヴィルの卓越性は「愚鈍な統治者を選択しかねなない選挙民の愚鈍を勘定に入れた統治システム設計の精妙さ」の分析に踏み込んだことにある。
ある社会がある状態にあることには、それなりの必然性と合理性がある。
そこにはある種のコヒーレントな「構造」がある。
それを解明することをつうじて、ひとは「自民族中心主義」から離脱することができることに気づいた点において、トクヴィルはクロード・レヴィ=ストロースの先駆者であったと言ってもよいかもしれない。
ともかく、そんなトクヴィル先生に向かって、先生没後150年にわたるアメリカの歴史をかいつまんでお話しする場合に私たちはどういう論件を選ぶであろうか。
私たちが選ぶとしたら、それは「アメリカがいくら変わっても変わらない点」である。
それだけがとりあえずトクヴィル先生にもただちにご理解いただけるトピックである。

先生、あのあとですね。先生の頃にはミシシッピまでがフロンティア・ラインでしたけれど、60年で太平洋岸までたどりついちゃうんですよ。
「ほう、さすがに私が予見したとおり、彼らの『病気』は治らなかったのだね」
そうなんですよ。その過程で、インディアンの95%を殺戮して、バッファローを数千万頭殺して、原生林をあらかた切り倒してしまったんです。
「そうなると思っていたよ」
そのあとどうしたと思います?
「太平洋岸まで行ったら、次は船を仕立てて太平洋を西へ向かったんじゃないかな」
その通りです。ハワイとフィリピンと日本列島に手を出したんですよ。
「それはそのあと全部アメリカの植民地になったのかな?」
ハワイは併合されて、フィリピンは植民地になったけど、日本列島は無事でした。
「へえ、それは意外だなあ。どうしてなんだろう。日本人は組織的に抵抗したのかな」
いや、日本列島に手を出したときに、ちょうどアメリカ国内で内戦が始まって、それどころじゃなかったんですよ。
「アメリカ国内で内戦ね。あ、それはありうるわな。最初の十三州のグループとあとから州に昇格したフロンティアの間では利害が対立するはずだもの。で、どっちが勝ったの・・・あ、ちょっと待って。オレ自分で考えるから。うーんとね、フロンティアでしょ!」
残念でした、先生。北が勝っちゃったんですよ。先生は産業革命というものをご存じないんですよね。北の方が機械化とか近代化とか早かったんですよ。その差。
「そのあとも、西漸病は治らなかったのかな」
治りませんよ。結局、日本列島を二発の原爆(っていうすごい兵器をアメリカ人は発明したんですけどね)で焦土にして、そのあと朝鮮半島を焼き払い、インドシナ半島を焼き払い・・・
「まだ、西に行ったのか。でも中国とインドは『パス』したんじゃないかな」
あ、そうです。よくわかりましたね。
「だって、アメリカ人は自然が嫌いだからさ。自然と未開を見ると『開拓』したくなっちゃうんだけど、中国とインドは四千年前から骨の髄まで『都市文化』だからね。都市はアメリカ人の開拓欲望を喚起しないだよ。」
はあ、そうなんだ。だから、そのあと・・・
「西アジアに行ったんじゃないかな」
ご明察。アフガニスタンとイラクに攻め込みました。
「そこまで行くとウィーンは指呼の間だなあ。大西洋岸からスタートして、世界一周してまたヨーロッパに戻ってきたわけだ」
この西漸運動はいつか終わるんですかね。
「さあ、どうだろう。そこまで兵站線が伸び切っちゃうと、軍事的・政治的な西漸はもう維持できないんじゃないかなあ。でも。西漸はアメリカ人の本質だからね。西漸止めたら、もうそれはアメリカじゃないもの」
なるほどねえ。
「まあ、キミの話を聴いたら、だいたい今のアメリカのことはわかったわ。相変わらずの国だということだね」
あの、ちょっと訊きたいことあるんですけど。
「何かね」
日本の沖縄にですね、アメリカの基地があって、その移転問題というのでもめているんですけど。アメリカは出て行きますかね。
「うーん、どうかな。心理的には出て行きにくいだろうね。軍事的な必要性がどうこうじゃなくて、西太平洋からの撤退はフロンティアラインを東へ引き戻すことに等しいわけだから。アメリカ人にとって西部開拓の最前線が東に戻るということはありえないでしょう」
そういえばマッカーサー元帥もフィリピンから去るときに I shall return て言ってましたからねえ。
「誰、それ」
戦前はフィリピンの王様みたいだった人で、日本が戦争に負けたあとに最高司令官で来た人です。
「ふーん、植民地総督みたいな人ね」
そうですね。で、トクヴィル先生、日本はこの後どうなるんでしょう。
「さあ、ちょっとわかんないな。日本のことよく知らないし。だって、ぼくが生きているとき、そっちずっと鎖国してたじゃない」
ええ、そうですね。
「鎖国って、なかなか狡猾な国家戦略だったと思うけどね」
そ、そうですか。あれ、続けていればよかったんですかね。
「できたらね。で、どうして鎖国止めちゃったんだっけ?」
アメリカからペリーという人が軍艦に乗って来て、大砲で脅かされたんです。
「あ、そうだそうだ。気の毒したね」
そうですね。ほんとに。

というようなことを妄想しながら、書いているのである。
面白そうでしょ。
出たら買ってくださいね。
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