Amazon に出ていたので、思い立って山崎貞『新々英文解釈研究』(研究社)と佐々木高政『和文英訳の修業』(文建書房)の復刻版を購入。
高校一年生のとき、1967年の四月に買ったのだが、引越を繰り返しているうちになくしてしまった。
『新々』の最初の文例を私は長いこと He is an oyster of a man. だと思い込んでいたが、これは三つめの文例で、最初は A man of learning is not always a man of wisdom.でした。
それにしても an oyster of a man というのはインパクトのある文である。
意味は「彼は牡蠣のように寡黙な人だ」。
この文例については二つ思い出がある。
一つは大学生の頃、自由が丘のシグナルヒルのカウンターでお酒をのみながら知り合いとおしゃべりをしているときに、『新々英文解釈』の話になったことがあった。
そのときに私が「最初の文例は He is an oyster of a man だったよね」とうれしげに話したら、かたわらの席にいた、見知らぬ大学生が(KO 大学だと言っていた)バカなことを言うなといきなり話に割り込んできて、それは a man of oyster の覚え間違いだと言い出した。
「山のような波」というのは a wave of mountain というではないか。
そう言われると、なんだかあまり自信がなくなって、「いや、でもたしか、そうだったと思うよ」と言ったら、「だったら、オレは首を賭けてもいい」とそいつが言い出した。
こちらは首を賭けるほどに自分の英文法知識に自信がなかったので、「ちょっと、そこまでは・・・」と怖じ気ついたら、そいつは高笑いして、「東大生だと聞いたが、ろくに英語も知らぬくせに酒場でくだらぬ知識をひけらかすな」と捨て台詞を言い残して立ち去った。
あまりの悔しさに死にそうになった。
調べようにも手元に『新々英文解釈』がないので真偽は知れぬままとなった。
そのまま片づかぬ気持ちで30年ほどが経ち、あるとき故竹信悦夫と馬鹿話をしているときに、たまたま an oyster of a man の話が出た。
そのころ竹信は朝日新聞社の出している英字紙 Japan Quarterly の編集長をしていた。
副編集長はネイティブで、日本人の書いた英語をチェックするのが仕事である。
その副編集長があるとき竹信のところに来て、どうもわからぬことがあると言う。
どうして日本人は「彼は寡黙な人間である」というときに he is an oyster of a man というネイティヴでもまず使うことのない古めかしい英語表現を好んで用いるのであるか、というのである。
竹信は呵々大笑して、それはわれわれが受験勉強のときに必須の参考書であった山崎の『新々英文解釈』の最初の頁にある例文だからであり、どんな不勉強な高校生でも、そこまでは覚えたのであると説明したのだそうである。
その話を聞いて、30年前の屈辱の一夜のことを思い出した。
あれは He is a man of oyster じゃなくて、He is an oyster of a man だよねと勢い込んで問うと、当たり前じゃないか、知らないやつはいないだろうと竹信が不審な表情をした。
うう、悔しい。
私の方が正しかったのに、さんざんに愚弄された挙げ句に、あの晩シグナルヒルにいた他の常連客たちに、「ウチダは英語の翻訳で飯を食っているとかうそぶいていたが、たいしたことないのね」という不信を扶植してしまったではないか。
そんな懐かしい he is an oyster of a man なのである。
ぱらりとめくったら、そこには a mountain of a wave 「山のような波」という類例まで出ていた。
あの野郎、あろうことか、二つまで嘘つきやがって。
今頃どうしているか知らないが、生きていれば私の怨念の電撃を喰らうがよい。30年分の利子をつけたるわ。
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(2010-02-27 23:50)