講演とのご縁

2010-02-16 mardi

大学に行って、入試部長室のデスクの前で仕事をしていると、1時間に1本ペースで電話がかかってくる。
ほとんどが講演依頼である。
もちろんすべてお断りする。
それにしても、と思う。
世の中には「講演」を企画したり、聴いたりするのが好きという人がほんとうに多いのであるな。
今日の電話は某自治体の教職員組合からであった。
教育についてのシンポジウムにご出席願いたいと言うので、申し訳ないけれど、今年は学外の講演などはお引き受けしていないのですとお断りする。
そうですか、とわりとあっさり引き下がったので、ほっとしていたら、先生が新聞にお書きになったものを読んでたいそう共感したのですが、もしかして先生、著作とかございましたら教えて頂けますかと訊かれた。
はい、教育論書いてますと、『街場の教育論』をご案内する。
こんな感じの講演依頼はけっこう多い。
新聞や雑誌の数行のコメントを読んだだけですぐに電話をかけてきて講演を依頼する(電話する前にちょっとウィキペディアを見るとか、アマゾンで書籍の検索をかけるとかしてもよさそうな気がするけれど)
それだけ講演企画が多く、いつも人探しをしているということなのであろう。
どうして、みんな講演がそんなに好きなんだろう。
私はあまり講演というものを聴きに行かない。
というか、行ったことがほとんどない。
臼井吉見が日比谷の講堂でやった星陵祭のときの講演と(45年くらい前)と、伊丹十三が玉川高島屋でやった講演と(30年くらい前)、養老先生と半藤一利さんがやった対談(わりと最近)くらいしか聴いた覚えがない。
臼井さんの講演は講堂の前をうろうろしていたらひっぱり込まれたのであり、伊丹さんの講演はバイクで5分のところが会場だったからであり(申し込みもしないでいきなり行って、「はじっこでいいから見せて」とむりやり頼み込んだ)、養老先生と半藤さんのは、そのあと養老先生とご飯を食べる約束があったのである。
「さあ、講演に行くぞ」と勢い込んで講演を聴いたことが生まれてから一度もない。
学会でもよく特別講演というのがあって、有名な人が来るのだが、ほとんど聴いたことがない。
あ、一度あった。
仏文学会のシンポジウムに大江健三郎が来たことがあって、それは聴いたな。
たいへんお話が面白かった。
シンポジウムが終わったあと、ぞろぞろ会場から出ようとしたら、ざっと緊張が走って、ひとりの男のまわりに無人の空間ができて、そこを小柄な男性がすたすた歩いていた。
まるで紅海をわたるモーゼのように人々の間に「通り道」が開いたのである。
誰、あれ?
と私が隣の人に訊いたら
「サガワくんだよ」と教えてもらった。
大江健三郎さんの愉快なスピーチの内容をその瞬間に忘れてしまった。
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