寛也さんが来た

2009-11-28 samedi

水曜日は鶴澤寛也さんの講演とワークショップ。
寛也さんは今年の4月のアートマネジメント副専攻のインターンシップの受け入れ先を矢内賢二さんに探してもらったときに、「渡りに船」というか「地獄で仏」というか、そういうタイミングでインターン生たちを受け容れてくださった方である。
当日、私は別の仕事があって、打ち上げの席に後から参加して、そのときはじめてお目にかかったのである。
江戸前の、まことに粋な方で、私は衝撃のあまりブログ日記に「玲瓏なる美女」と、ふだんあまり用いない形容詞を動員したほどであった。
そのときに、今度『考える人』のインタビューに出てくださいとお願いしたらご快諾いただき、『考える人』のときには、今度大学に来てワークショップしてくださいとお願いしたらご快諾いただき・・・というふうに「とんとん」と話がまとまってその日を迎えたのである。
ワークショップにはもう少し学生たちが集まってくれるとよかったのだけれど、集まってくれた諸君は寛也さんの切れ味のいいトークとダイナミックな奏楽にふかく感銘を受けていた。
キャリアデザインプログラムの一つのねらいは「キャンパスではまずお目にかかることのない職業の方」にお越しいただき、「働くこと」の拡がりと奥の深さを、その「たたずまい」を通じて感じてもらうことであった。
津田塾の数学科を出てから芸の道に入った寛也さんは学生たちにとってのつよい指南力をもったロールモデルとなりえるだろうと思う。
義太夫に限らない。「これだ」と思ったら、逡巡せずに一気に飛び込む。「これで生活できるだろうか」とか「世間体はどうであろうか」とか、そういうことは考えずに、一気に飛び込むというのがキャリア形成の基本である。
はじめから「堅実で有利な職業選択」をしようとするような賢しらがむしろピットフォールなのである。
直感を信じなきゃダメよ。
ワークショップにご協力いただきました教務課のみなさまはじめ学生院生諸君にお礼申し上げます。
寛也さんをそのあと並木屋へお連れして、ご一献差し上げる。
並木屋の大将が寛也さんを見て、お仕事は?と訊いて、女流義太夫と聴いて、深く頷いていた。私のような無粋な男がどうして粋筋の人を連れているのか理解に苦しんだせいであろう。
美女を前にして、大将の握り方もいつもよりもだいぶ気合が入っていたようである。
おかげで美味しいお寿司が食べられた。
お寿司を食べ、燗酒を酌み交わしつつ、橋本治さん、矢内賢二さんなど共通の友人知人について語り合う。
先週の大貫妙子さんのときもそうだったけれど、「ええ、あの人、知ってるの?」的発見が多い。見えざる糸によって、「ある種の人々」がある一点に引き寄せられているのかも知れない。

木曜日は福岡日帰りツァー。
福岡女学院高校で保護者と教職員、生徒諸君を相手に「ほんとうの教育とは」というお題でお話しをする。
福岡女学院高校はミッションスクールで、音楽の専攻があり、自由な校風が本学に通じるものがあって、居心地のよい学校であった。
そもそも私のような人間を呼んで、話を生徒に聴かせてしまうという決断が無謀というか剛胆である。
校長の高島一路先生(大変スマートな先生で、昔何度かお会いしたことのある戸井十月さんとあまりに似ているので、「もしかして、ご兄弟ですか」と訊きたくなるのを抑制するのに一苦労した)と教頭の水野光先生(この方が「無謀というよりは剛胆」な本企画の立案者のようである)と進路指導の藤義幸先生とご挨拶ののち教育の現状について意見交換しているうちに時間となって会場へ。
保護者のお母さんたちが多いので、ほっとする。
どういうわけか私の諧謔は女性聴衆にはわりと受けるのであるが、中高年男性は「くすり」ともしないということが多い。
会場からは「女性の笑い声」だけしか聞こえないということもよくある。
私の「おばさんキャラ」が彼女たちの共感を呼ぶのであろうか。
「おばさんキャラ」というのは、「歯に衣着せぬ」ことと「話にとりとめがない」ことである。
ゼミ生たちと話していて感じることは、彼女たちは「話に脈絡がないこと」をまったく苦にしないということである。
それよりも会話中のあるキーワードが「フック」して、そこから話が横滑りし始めるときの「逸脱感」のほうを愛するのである。
だから、「で、話をもとに戻すと」と言うと、ひそやかな落胆の色が彼女たちの眼には浮かぶのを私は見逃さぬのである。
私は根が「おばさん」なので、ひたすらおもいつき的おしゃべりを続けていたいのだが、講演では一応お題も頂いているし、保護者のお母様たちも果てしない逸脱を愛するわりには「で、今日の夜から、子どもたちにはどう接すればいいのでしょう」というきわめて短期的かつ実用的なアドバイスも同時に要求されるので、それにもお答えせねばならぬ。
教育の目的は子どもを成熟させることであり、成熟とは、「どうふるまっていいかについてのガイドラインがない状況にも対応できる能力」のことであるという「いつものお話し」をする。
それは対人関係においては「その人がなにを求めているのか」を言い当てることである。状況においては「その状況がどこからどこへ向かおうとしているのか」、文脈と趨勢を言い当てることである。
この能力を涵養するためには経験知を蓄積するだけでは足りない。
自分の経験にはおのずと限界があるからである。
他人の経験もまたおのれの経験知に取り込む必要がある。
自分の中には自生していない想念や感情、欲望や考想は「取り込む」必要がある。
「取り込む」というのは分類したり標本化したりすることではない。
それを内側から「生きる」ことである。
「感情移入」といってもいい。
物語を読むのも、他人の話を聴くのも、他人の人生を内側から生きるための好個の機会である。
「感情移入」という言い方をすると、私の「感情」だけが身体をするりと抜け出して、他人の身体に入り込み、その感情に同調する、というような風景を想像する人がいるかもしれないが、それは誤りである。
感情移入といったって、感情だけなんか取り出すことは人間にはできない。
あらゆる感情は身体経験を随伴している。
感情は眼に見えないし、手では触れられないが、身体経験の多くは眼で見えるし、手で触れることができる。
それゆえ「再演」することができる。
感情移入とはなによりもまず他人の内側で起きていることを身体的に再演することから始まる。
そこからしか始まらない。
場合によってはそこで終わる。
それでもよいと私は思っている。
書物を読むというのは理想的にはその書き手の思考や感情に同調することであるけれど、よほどの幸運に恵まれないかぎり、そんなことは起きない。
私たちにできるのは、文字を読むことと音声を聴くことだけである。
書き手の脳内に何が起きたのかを知ることはきわめて困難であるけれど、書き手がその文字を書き記していたリアルタイムにおいて書き手が「その文字」を視認し、「その音声」を聴取していたことはまちがいない。
その文字を見つめ、音を聴く限り、読み手と書き手は「同じ経験」を共有している。
「作者は何が言いたいのか?」というようなメタレベルに移行した瞬間に、「同じ経験」の場から私たちは離脱してしまう。
あらゆる感情移入はまず身体的体験の同調から始まるべきだと私は思う。
そのためには「理解する」や「解釈する」や「批判する」より先に「見る」と「聴く」にリソースを集中すべきだと私は思っている。
たいせつなのは外部からの入力を自分の脳内に回収して、分類し、整序してしまうより前に、手つかずの外部入力「そのもの」に、「生」の入力情報に、身体的に同調してみることだと思う。
そのようにして経験知をゆっくり積み増ししてゆくことが教育の基本だろうと私は思っている。
成熟するとは要するに「さまざまな価値や意味を考量できる多様なものさしを使いこなせる」ということである。
そのような「複数のものさしの使いこなし」は「単一のものさし」をあてがって万象を考量しようとする「オレ様」的態度とはついに無縁のものである。
子どもは最初一つの「ものさし」しか持っていない。
生理的に快か不快か、それだけである。
それ以外の「ものさし」はひとつずつ自作するしかない。
現実原則についてフロイトが言ったように、「短期的には生理的に不快であるが、少し長いスパンで考えると、安定的に高い快をもたらすもの」を考量できるようになると「次のものさし」が手に入る。
それを空間的・時間的に拡大してゆく。
そして、やがて「自分にとっては不快であるが、同時的に存在する多くの人々に安定的に高い快をもたらすもの」や「自分が死んだあとに未来の人々に安定的に高い快をもたらすもの」を「自分の快」に算入できるようになる。
それが「だいぶ大人になった」ということである。
教育は子どもたちの自己利益の拡大のための機会ではない。
それは子どもたちを成熟させるための機会なのである。
というような話をする(だいぶ違うけど)。

そのあと懇談会。
かなりシビアな話題が出る(引きこもりやクレーマー親などというリアルな問題)。
どの問題も対応策は「縮尺を変えて見る」ということに尽きるようである。
引きこもりやクレーマー親は「問題」であるというよりは、むしろ別の問題の「ソリューション」として選択されているのである。
彼らがそれを解決することを忌避している「別の問題」が何であるかを見つけ出さなければならない。
「ソリューション」は解決できない。
私たちが解決できるのは「問題」だけである。
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