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追悼レヴィ=ストロース

20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。
第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜本的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。
サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。
1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウ ロ大学教授としてインディオ社会を調査。41~44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基本構造」で構造人類学を樹立した。
自伝的紀行「悲しき熱帯」(55年)は世界的ベストセラーとなり、「構造人類学」(58年)「今日のトーテミズム」(62年)「野生の思考」(同 年)で構造主義ブームを主導する思想界の重鎮に。世界の民俗や神話に鋭く切り込み、64~71年にかけ「神話学」4部作を発表。
73年、フランス学界最高権威のアカデミー・フランセーズ正会員に選出された。2008年11月には、100歳の誕生日に合わせてさまざまな記念行事が催された。(パリ共同)
新聞記事では「レビストロース」と表記してあったけれど、やはりこれは「レヴィ=ストロース」と書いていただかないと、かっこうがつかない。
Lévi-Straussは英語読みでは「リーヴァイ・ストラウス」。おそらくご同族の方がアメリカで労働着メーカーとして成功されたのであろう。それゆえ、学生時代の親友、故・久保山裕司くんは「リーヴァイスを穿いてレヴィ=ストロースを読もう」という名コピーを遺したのである。
レヴィ=ストロースとともにフランスの知性が世界に君臨していた時代が完全に終わった。
同世代の知識人たちはもうみんな亡くなっている。
アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モーリス・メルロー=ポンティ、モーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、レイモン・アロン、エマニュエル・レヴィナス・・・
この人たちがほんとうに狭い知的サークルにひしめいていたのである。
ナチスの占領下のパリでパブロ・ピカソの戯曲『尻尾をつかまれた欲望』の上演会がミシェル・レリスの家で行われたことがあった。
演出はカミュ。ボーヴォワール、ドラ・マールらがこの豪華な文士劇に出演した。上演後、脚本家、プロデューサー、演出家を取り巻いて俳優たち観客たち(ジャン・ルイ・バロー、シルヴィア・バタイユ、ジャック・ラカンら)が記念写真に収まっている。
彼らはその場にいた知的・芸術的エリートたちがそれぞれどんな仕事をしているのか、よくは知らなかった。
けれども、自分たちがナチス占領下のフランスに残された「最後の知的・倫理的希望」だということはするどく自覚していたはずである。
そういう知的・倫理的負託感というものを私たちはうまく想像することができない。
私たちの国にはそういう意味での「エリート」というものが存在しないからである。
もちろん権力や威信や文化資本を潤沢に享受している人々はいる。才能のある人々もいる。努力して高い社会的地位を得た人もいる。
けれども、彼ら単に優越していることを言祝ぐだけで、おのれの「優越性」を「世界を知的・倫理的に領導する責務」として重く受け止めるというようなことは思いもしない。
20世紀フランスの知的エリートたちは「自分たちがフランスの知性の精髄」だという自覚を持っていた。自分の個人的な営為の成果がそのままフランスの知的威信と、フランスが世界に差し出す「知的贈り物」のクオリティに直結するということを自覚していた。
私の知的達成がフランスの知性の最高水準を決するのだという壮絶な自負と緊張感をもって彼らはそれぞれの仕事をしていたのである。
ボーヴォワールとメルロー=ポンティとレヴィ=ストロースはアグレガシオン(哲学教授試験)の同期だった(サルトルは一回落ちたので、一年後輩)。
「アグレガシオンの同期」というのがどういう感じなのか私には想像もつかないけれど、お互いにどの程度の知的ポテンシャルをもった人間であるかについては、おそらくきわめて正確な相互評価をしていたはずである。
その試験のとき、私の想像では、ボーヴォワールとメルロー=ポンティとサルトルは「つるんで」いた。
試験のあいまに近くのカフェでちょっと休憩とかしているときに、「はは、楽勝だったねえ、さっきの試験」「オレ、時間あまっちゃったから、裏まで書いちゃったよ」などと声高に語って、まわりの受験生たちを怯えさせていた(そんなにせこくないか)。
でも、パリ大学出(ということは二流大学出ということである)レヴィ=ストロースはこのエコール・ノルマル組からある種の「排他性」と「威圧感」を感じたはずである。
たぶん「世界でいちばん頭がいいのって、やっぱオレだろう」という自負をもっていたレヴィ=ストロース青年にとって、パリのブルジョワ的な鷹揚さは許しがたいものに映ったのである。
片隅でまずいコーヒーを啜りながら、レヴィ=ストロース青年は「お前ら、いまのうちにたっぷり笑っとけや。いつかその坊っちゃん嬢ちゃん面に泣きみせたるわ」と思ったのである(全部、私の想像ですけど)。
そんな気がする。
とにかく、アグレガシオンの試験が1930年前後で、レヴィ=ストロースがサルトルの世界的覇権に引導を渡したのが1962年『野生の思考』においてのことであったから、ざっと30年かけて、レヴィ=ストロースは「そのとき」の試験会場で高笑いしていたパリのブルジョワ秀才たちに壮絶な報復を果たしたのであった。
すごい話である。
自己史がそのまま哲学史であるような一種の幸福な自己肥大の中に生きた青年たち。
このような知的エリートを生み出す社会的基盤はもう存在しない。フランスにも、アメリカにも、どこにも存在しない。
そういう意味でも、ひとつの時代が終わったのである。

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2009年11月04日 12:27 に投稿されたエントリーのページです。

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