やっと病気になれた

2009-10-28 mercredi

晴れて病気になれたので、やれうれしやと朝からパジャマでぐっすり寝ていると電話が鳴る。
なんじゃいといささかトンガッた気分になって起き出して「はい」と最大限の不機嫌さで電話口に出ると、朝日新聞である。
26日に鳩山首相の所信表明演説があり、それについてコメントするという約束をしていたのである。
風邪にまぎれて忘れていた。
演説はプレスリリースが事前になされているので、その草稿をメールで送ってもらう。
パジャマの上にダウンベストを羽織って、げほげほと咳き込みながら草稿を読み、1000字コメントを書く。
演説はかなり修辞上に工夫が見られる。
なかなか言語感覚のよいスピーチライターがいる。
「友愛」というのが鳩山首相の政治哲学の根本概念のようであるが、「友愛」というのはどちらかというと空想社会主義者の用語である。
私は科学的社会主義者よりも実は空想的社会主義者の方が人間的には好きである。
例えば、ロバート・オーウェンは19世紀にスコットランドの紡績工場で2500人の労働者を「空想的」に管理し、「大部分が非常に堕落した分子から成り立っていた住民」たちを「完全な模範的集団居住地」に変えた。
エンゲルスはそのような個別的な善意を山ほど積み上げても、資本主義社会の根本的な矛盾は解決できないと、これを退けたが、私はその考え方には同意しない。
資本主義社会の根本的な矛盾なんか誰にも、どんな理論にも、どんな実践によっても、解決できないのである。
だったら、せめて、できるところから、こつこつとやっている人を応援すべきではないのか。
「友愛」というのは、ロバート・オーウェンやサン・シモンがそうであったように、あきらかに「上から目線」の善意の発露である。
自分はもう十分に恵まれているというブルジョワの「疚しさ」が「友愛」を動機づけている。
それを「偽善」といって退けることに私は反対である。
偽善によって貧者にパンを与える人は、真の善意に基づかない行為は不道徳だといってパンを与えない人より、飢えた人間にとってはありがたい存在である。
とりあえず腹が減っている人にとっては、動機が偽善であろうと疚しさであろうと自己弁護であろうと、パンが出てくればそれでいいのである。
「友愛」という言葉はあきらかに私たちの社会が流動性を失い、階層的に固定化してきていることの徴候である。
社会的流動性が高く、人々が忙しく階層を向上し下降し、一代のうちに富貴の身となったり貧窮に沈んだり、株価ひとつで栄華を謳歌したり不遇を託ったりしている時代には「友愛」なんて言葉には何のリアリティもない。
それよりは誰もが「自己利益の追求」に忙しく、その方がたぶん結果的にはてばやく社会的フェアネスが実現する。
だから、フィラントロピイが社会的行為として前景化する時代というのは、社会的流動性が停滞している時代だということである。
一度「金持ち」になった人間はなかなかそのポジションから動かない。一度「貧乏」になった人間はなかなかそこから這い上がれない。
職業が世襲化し、居住地が固定化し、社会的エートスの差別化が際立つ、そういう時代に私たちは入りつつある。
「絆」という言葉も鳩山演説には繰り返されたが、それは言い方を換えれば「束縛」ということである。
「支え合い」という言葉も繰り返されたが、それは言い方を換えれば「相互依存・相互監視」ということである。
個人があまりに原子化したために、現代社会は生きにくくなった。
だから、その処方箋として、個人を集団に統合して、社会的流動性を押し下げて、変化のスピードを遅らせるというのは論理的にも実践的にも「正解」なのである。
私自身、そういうことをかねてから主張してきた。
でも、それは「そういうこと」が絶対的に人間にとって「よいこと」だからそう主張したのではない。
たまたまいまの社会的条件のもとでは、そうした方が相対的に「生き延びやすい」という計量的な判断でそう言っているだけである。
手触りのやさしい共同体を再構築することが急務であることは日本国民全体の合意であろう。
けれども、「共同体の再構築」が必ず社会的流動性の低下と生物学的多様性の限定を伴うことを忘れてはいけない。
世の中「いいことばかりはありゃしねえ」(@忌野清志郎)のである。
階層が固定化され、「持てるもの」が「持たざるもの」に一方的に善意を施すことが社会的フェアネス達成の「王道」であるような社会において、どのようにして流動性と多様性を担保するのか。
それが「ポスト流動的社会」における喫緊の実践的課題だと私は思うのだが、例によって、私ひとりが先走っているだけかもしれない。
テレビで所信表明演説を見てから、またベッドに戻る。
『海辺のカフカ』が読みたくなったので、寝ながら読む。
気がつくと日が暮れている。
だいぶ風邪がよくなったようである。
--------