まず隗より始めよ

2009-05-13 mercredi

授業の合間に取材が二つ。
ひとつは三菱系のシンクタンクから「10 年後の日本はどうなるか」というテーマで。もうひとつは資料請求者に配布するリーフレットの「神戸女学院大学って、こんな大学です」というパブリシティ。
両方で同じような話をする。
同じ人間が続けて話をしているのだから、内容が似てくるのは当たり前であるが、それにしてもそれは「10 年後の日本が神戸女学院大学のような社会になる(といいな)」というふうに私は考えているということを意味している。
何を荒誕なことを、と笑う人がいるかもしれないが、これは私にとってはごく自然な考え方である。
今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」というのはマルクスボーイであったときに私に刷り込まれた信念である。
革命をめざす政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。
もし、その政治党派が上意下達の管理組織であれば、かりにその党派が実権を掌握して実現することになる未来社会は「上意下達の管理社会」であり、党派が権謀術数うずまく党内闘争の場であれば、その党派が実現する未来社会は「権謀術数うずまく国内闘争の場」となるほかない。
蟹が自分の甲羅に似せて穴を掘るように、私たちは自分の「今いる場」に合わせて未来社会を考想する。
自分が今いる場所が「ろくでもない場所」であり、まわりにいるのは「ろくでもない人間」ばかりなので、「そうではない社会」を創造したいと望む人がいるかもしれない。
残念ながらその望みは原理的に実現不能である。
人間は自分の手で、その「先駆的形態」あるいは「ミニチュア」あるいは「幼体」をつくることができたものしかフルスケールで再現することができないからである。
どれほど「ろくでもない世界」に住まいしようとも、その人の周囲だけは、それがわずかな空間、わずかな人々によって構成されているローカルな場であっても、そこだけは例外的に「気分のいい世界」であるような場を立ち上げることのできる人間だけが、「未来社会」の担い手になりうる。
私はそう思っている。
私が二十代の終わり頃に「カタギ」の世界に戻ろうと決意したとき自戒としたのは「気をつけよう、暗い言葉と甘い道」という標語であった。
「暗い言葉」を語る人間にはついてゆかない方がいい。
それが二十代の経験から私が引き出したひとつの教訓である。
それからあとはひたすら「お気楽人生」を標榜して今日に至る。
甲南合気会も甲南麻雀連盟も極楽スキーの会も、私にとってはたいせつな場であるが、それは私が遊んでばかりいるからではない(私を「遊んでばかりいる人間」だと思っているものはアクマに喰われるであろう)。
私はそれらの場を「あるべき未来社会の先駆的形態」として縮小サイズで先取りしようとしているのである。
職場も当然その対象となる。
とりあえず私の息のかかるところはすべからく「未来社会の先駆的形態」たらねばならぬ。
そこは「競争」ではなく「共生」の原理が支配する場である。
パイの拡大よりもパイのフェアな分配が優先的に配慮される場である(19 世紀のある政治思想家の言葉を借りれば、「全員が飢え死にする日まで一人も飢え死にするもののいない社会」である)。
私的利益と公共の福利が、同時的に、ほとんど「同じもの」として追求されるような場である。
ひとりひとりの潜在可能性の開花を全員が相互に支援し合う場である。
そのような原理によって、未来社会は構築されねばならないと私は考えている。
別に私の創見でもなんでもなく、ジョン・ロックもトーマス・ホッブズもジャン・ジャック・ルソーもそう考えていた。
そのために政治思想家はいろいろな方策を考えた。
社会を「抜本的によくする方法」を考えた。
そして、歴史は私たちに「社会を抜本的によくする方法」を採用するとだいたいろくなことにはならないということを教えてくれた。
「一気に社会的公正を実現する」ことを望んだ政治体制はどれも強制収容所か大量粛清かあるいはその両方を政策的に採用したからである。
近代市民社会の基礎理論を打ち立てた大思想家たちに私たちがつけくわえるべき知見が一つだけあるとすれば、それは「急いじゃいかん」(@佐分利信 in『秋日和』)である。
人間社会を一気に「気分のいい場」にすることはできないし、望むべきでもない。
レヴィナス老師はそう教えている。

「スターリン主義とはつまり、個人的な慈悲なしでも私たちはやっていけるという考え方なのです。慈悲の実践にはある種の個人的創意が必要ですが、そんなものはなくてもすませられるという考え方なのです。そのつどの個人的な慈愛や愛情の行為を通じてしか実現できないものを、永続的に、法律によって確実なものにすることは可能であるという考え方なのです。スターリン主義はすばらしい意図から出発しましたが、管理の泥沼で溺れてしまいました。」(エマニュエル・レヴィナス、『暴力と聖性』、国文社、1997年、128頁)

「公正で人間的な社会」を「永続的に、法律によって確実なものにする」ことは不可能である。
それを試みる過程で100%の確率で「不公正で非人間的な政策」が採用されるからである。
「公正で人間的な社会」はだから、そのつど、個人的創意によって、小石を積み上げるようにして構築される以外に実現される方法を知らない。
だから、とりあえず「自分がそこにいると気分のいい場」をまず手近に作る。
そこの出入りするメンバーの数を少しずつ増やしてゆく。
別の「気分のいい場所」で愉快にやっている「気分のいいやつら」とそのうちどこかで出会う。
そしたらていねいに挨拶をして、双方のメンバーたちが誰でも出入りできる「気分のいい場所」ネットワークのリストに加えて、少し拡げてゆく。
迂遠だけれど、それがもっとも確実な方法だと経験は私に教えている。
神戸女学院大学は私にとって「たいへん気分のいい職場」である。
ここが私の「隗」である。
だから、「10 年後の日本社会」を望見するときに、今自分が立っているこの場所「のような場所」が日本全体に拡がることを希望することになるのは理の当然なのである。
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