東京ツァー二日目。
学生たちを9時20分にお迎えのヤナイさんに託して、「いってらっしゃ〜い」と手を振る。
とりあえず、これで私のメインの仕事はおしまい。
学生たちは女流義太夫「はなやぐらの会」のお手伝いでインターンシップなのである。
演目は「菅原伝授手習鑑四段目寺子屋の段」。浄瑠璃・竹本駒之助、三味線・鶴澤寛也。その前説で作家の三浦しをんさんとヤナイさんがお話をする。
私は残念ながら、昼から学会仕事なので、学生を送り出して、インターンシップの現場はヤナイさんにお任せ。
とりあえず学士会館に移動して、荷物を預け、談話室でパソコンを開いて、『日本辺境論』の原稿を書く。
ごりごり原稿を書いているうちに時間となり、早稲田大学へ。
国際理解教育学会で講演とシンポジウム。
演題は「ことばの豊穣性に触れる―音・身体・学び」
どういう趣旨の学会であり、私はそこで何をすることを期待されているのかを現地に行ってからお伺いするという、いつもの「泥縄」式である。
こういう世間をなめた態度でよろしいのかと、つねづね反省はしているのであるが、実際に現場に行って、スタッフや聴衆の「感じ」を見ないと、どういう話をしたらよいのか、よくわからないのである。
話のコンテンツについては、だいたいの準備はあるのだが、どういう「口調」で、どういうスピードで、どういうトーンで行ったらいいのかは、聴衆のリアクションを見ないと決められない。
本日は筋目の正しい学会であり、おいでになった方たちも研究者が多いので、その点、気楽である。
一般の人が多い会ではうっかりデタラメを言うと、「なるほど、そういうものか。それが学界的定説なのか」と思われてしまう懸念があるが、学会だと、私が何を言っても頭から信じる人はまずいないので、安心してデタラメが言える。
批評性のある聴衆を前にしてしゃべる方が遠慮なく思考が暴走する。
なるほど、学会というのは「そういう目的」のためにもあったのかとひとり納得して、ひたすら暴走する。
マンガ脳の話、男性語・女性語の話、仮名と真名の話、日本語のロックの話など、思いつくままに「日本語の特殊性」について話す。
つねづね申し上げているように、日本語は「すごく変な言語」である。
表音文字体系と表意文字体系が並列して脳内の別の部位で活動しているのである。
韓国が漢字とハングルの併用を止め、ベトナムが漢字とチュノムを棄ててアルファベット表記に変えた今、東アジアで二種類の言語を同一言語のうちに温存しているのは日本語だけである。
この二種類の言語を日本人は「図像」と「音声」という別の情報として脳内処理している。
だから、日本人は失読症の病態が二種類ある(漢字だけが読めなくなる、かなだけが読めなくなる)、きわめて例外的な言語なのである(アルファベットで綴られる言語では、アルファベットが読めなくなると、すべての文字が読めなくなる。当たり前だけど)。
その二種類の言語は、同時に「外来の言語」と「土着の言語」でもある。
「男性語」と「女性語」でもある。
「理念語」と「実感語」でもある。
日本語によるすべての知的・美的達成はこの「外来と土着」「正系と異端」「男性原理と女性原理」「理念と実感」の絶妙のバランスの上に成立している。
というような話をフルスピードでする。
何の根拠もない、めちゃくちゃな話なのだが、聴衆のみなさんはけっこう喜んでおられたようである。
会場を脱兎のごとく逃げ出して、早稲田を後に、インターンシップの打ち上げの四谷会場に走り込む。
仕事をしないで、打ち上げだけ参加というのもどうかと思うが、会の主催者の鶴澤寛也さんがいらしているというので、学生をお引き受けくださったお礼を申さねばならず、ばたばたと駆け込んだのである。
鶴澤寛也さんは女流義太夫の三味線である。
水も滴るような玲瓏なる美女である。
私は男女を問わず、その容貌については原則として言及しないことにしているのだが、寛也さんのような女性を前にするとそういう語が日本語に存在していたことを思い出してしまうのである。
その寛也さんと名刺交換しながら「ども、うちの若いものがお世話になりまして」とご挨拶をしていると、ヤナイ夫人から「こちら萩尾望都さん」とご紹介される。
えええ。
ハギオモトって、あの…
先般、京都マンガミュージアムで竹宮恵子さんにお会いしたときも、どう言っていいかわからず「あ、ぼくファンです…」とかうつむきかげんに言うばかりでさっぱり要領を得なかったのであるが、萩尾さんにも「あ、『トーマの心臓』読みました…『ポーの一族』も、『11人いる』もう」などと言ってもせんかたないことなので、あ、どうもどうも、そ、そうですか、と要領を得ないままにおろおろしていると、今度は直木賞作家の三浦しをんさんがやってくる。
濃いなあ。
萩尾さんも三浦さんも、寛也さんのファンなのである。
その三人とヤナイ夫人、寛也さんのお弟子さんたちをまじえてマンガについて、書くことについて、芸について、日本の音楽について、お話しする。
それぞれの世界の最前線で仕事をしている女性たちである。
スマートで、それでいて暖かい手触りの女性たちと至福の時間を過ごす。
学生たちを送り出し、ヤナイさんご一家(ご令息も昨日今日とこのインターンシップイベントにおつきあいいただいたのである)にお礼を申し上げ、寛也さんには今度女学院にワークショップに来て下さいねとお願いをし、萩尾さんの乗った車に最敬礼をして、スタッフのみなさんにお別れして学士会館に戻る。
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(2009-04-21 09:17)