神楽坂に町山節が響くとき

2009-04-21 mardi

東京の旅、三日目。
ぐっすり眠って、学士会館で目覚める。
平日なので、静かである。
学士会館は旧七帝大のクラブハウスであるから、男性の高齢者が多い(というか、ほとんど彼らしかいない)。
英国のクラブハウスをモデルにして作ったもので、私はこの芝居じみた設定がわりと好きである。
大正年間の建物だから、十分に風雪に耐えているのだが、それでも「普請中」という感じがする。
本日締め切りの原稿が二本あるので、それをごりごり書いてゆく。
『中央公論』の時評を書き上げて送稿。
『文藝春秋』の方は字数が足りないので、書き足しているうちに仕事の刻限となる。
タクシーで音羽の講談社へ。
町山智浩さんと「アメリカ論・日本論」の対談。
これは最初と最後に直接お会いして対談をし、中はバークレーと御影でインターネット往復書簡という結構のものである。
その最初の対談。
同じ趣向で一昨年の夏に『週刊現代』で対談をしたことがあり、その流れで、そのときの担当者の戸井さんが企画してくれた。
対談のテープ起こしと編集はミシマ社の大越くんである。
ひさしく『映画秘宝』と柳下毅一郎さんとのユニット、ファビュラス・バーカー・ボーイズのファンであった私にとって、町山さんと共著を出すというのは「夢のような仕事」である。
町山さんは滞米11年、アメリカのハイカルチャーもサブカルチャーも見落としなく目配りしてアメリカの現状をレポートしている、たぶん唯一のアメリカ・ウオッチャーである。
私のアメリカについての知識の80%くらいは町山さん経由で得たものである。
とりわけその膨大な(底知れぬ)アメリカ映画についての知識は、アメリカ人がどのようにして「アメリカという神話」を作り出してきたのかを解明する上で、きわめて有効なウエポンであると私は思っている。
この往復書簡も、その相当部分はアメリカ映画を素材にして展開することになるだろうと思う。
町山さんと映画の話をするのはまことに楽しいのであるが、困ったことが一つある。
町山さんは異常なほどの映像記憶力の持ち主で、子どもの頃テレビで見た映画についてさえ、その細部まで、台詞もカットもすべて記憶している。
ところが、私はゆうべ見た映画についてさえ、そのストーリーも覚えていないような人間である(うっかりそのまま DVD をオンにして、「あれ…これ昨日見た映画じゃないかしら」と気づくまでに数分を要する。それどころか、「昨日みた映画」なのに、ストーリーを覚えていないので、「ちょうどいいからもう一度見よう」と思うような人間なのである)。
だから、町山さんと当然のように映画の話になるのであるが、町山さんに「そこでこうなるじゃないですか」と言われても呆然とすることが多い。
え、そんな映画だったんですか…
3回くらい見て「大好きな映画です」とあちこちに触れ回っているような映画についてさえ、「あらすじ」の記憶が間違っていたりする。
困ったものである。
この点では、私は平川克美くんとだいたい同じくらいに記憶がいい加減である。
だから、私と平川くんが二人で「映画の話」をしたら、おそらくすべてが「誰も見たことがない映画」の話になってしまうであろう(それはそれで面白そうだけれど)。
講談社の26階で下界を睥睨しつつ、ハイスピードで語り合うこと4時間半(テープ起こしする大越くんご苦労さま)。
といっても全体の80%くらいは町山さんの語りで、私は「げらげら」笑って「あらそうなんだ」と合いの手を入れているだけである。
楽な仕事でいいですね、と言われそうであるが、絶妙のタイミングで「ほうほう」とうなずきを入れるのは、それなりに年季の要る「芸」なのである。なめたらあかんよ。
そのあと神楽坂に移動して、加藤晴之さんを加えた打ち上げ宴会になだれ込む。
ここでも町山さんの映画トークはさらに加熱。
あまりに面白いので、途中で大越くんが IC レコーダーを取り出して、録音を始めてしまう。
町山節を堪能した一日でした。
ああ、おもしろかった。
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