Star hill revisited

2009-04-04 samedi

如蘭会トワイライトフォーラムの懇親会にて 1969 年卒の同期生諸君と。お隣はなつかしい塩谷安男くん

如蘭会のトワイライトフォーラムに招かれて日比谷高校星陵会館にて講演。
如蘭会というのは日比谷高校の同窓会のことである。
私は1966年入学、68年に退学しているので、卒業生ではないが、同期の諸君のご好意で、1980 年ごろに同窓会名簿の一隅に加えていただいたのである。
その後も転居を続けていたために名簿には名前と勤務先だけあって、自宅情報が欠如していたユーレイ会員であったのであるが、同窓の友人である吉田城くんと当時の日比谷高校について書いた拙文がとある先輩の目にとまり、今回講師としてご招聘いただく運びとなったのである。
日比谷高校にゆくのは大学院生のとき以来、およそ 30 年ぶりのことである。
校舎の様子もすっかり変わり、校歌に歌われた「大銀杏」の木ももうない。
40 年前に私たちが通っていたころの日比谷高校は府立一中時代の校舎のままだった。
暗くて、汚い校舎だったが、汚さに「年季」が入っているのが、高校に入ったころは妙に誇らしかったのを覚えている。
如蘭会事務局の方々とご挨拶して、参加者の名簿を拝見する。
同期の諸君が少なく、知った名前がない。
誰か知り合いに懇親会で「乾杯の音頭」をとってもらうしきたりなのだが・・・と言われて困惑する。
上下の学年にも知り合いの名がない。
こういうときの頼みの綱の藤田直行くんに来てよと電話をかけるが、外出中でつかまらず。
携帯の番号を知っているのはあと小口勝司くんだけであるが、週日の午後にご多用なる大学理事長にいきなり「あと1時間で日比谷高校まで来てくれ」と頼むのも気が引ける(といいつつ電話をしてしまうが、繋がらず)。
日頃、クラス会に不義理をしているので、こういうときにバチが当たるのである(さいわい、名簿に名前のなかった旧友塩谷安男くんが平河町のオフィスから駆け付けてくれたので、彼にお願いすることができた。やれやれ)。

講演の演題は「脱・市場原理の教育」。
だいたい「いつもの話」である。
バジリコの安藤さんが IC レコーダーを持って来ている。
講演録だけで本を一冊作る企画があるのである。
「いつもの話」ではあるが、教育行政について批判しているうちに、だんだん頭に血が上ってきて、やっぱりガーガーと壇上でわめき出してしまう。
講演後、会館内のレストランで懇親会。
次々と諸先輩、同輩後輩の諸君、PTA の方々がおいでになって、お買い上げ頂いた本にサインをし、さまざまなご質問にお答えする。
ずいぶんたくさんの読者が同窓会にいたことを発見する。
ありがたいことである。
しゃべっているうちにたちまち時間となり、閉会。

安藤さんと渋谷まで出て、東急線で自由が丘へ。
駅前の餃子センターで餃子(スタンダード)と自由が丘ラーメンと生ビールで空腹を満たす(懇親会ではろくに食べられなかったのである)。
「懐かしい味」(って何なんだろう)がしてまことに美味である。

等々力の母親の家へ。
甥の裕太が大学合格の報告に来る。
おめでとう。がんばって卒業するのだよ。
るんちゃんが来る。
去年の「はるちゃん」の結婚式で御影に来て以来、おひさしぶりである。
近況を伺う。
何をしているのかよくわからないけれど、いつも忙しそうなるんちゃんである。
Againを手伝って欲しいと石川くんが言っていたから連絡してねと伝言する。

早めに起きて、五反田へ。
成瀬さんのヨーガ教室で、『秘伝』のための対談。
成瀬さんはオレンジ色の「ヨガ服」(なんていうのか知らないけど、あるでしょ)。
撮影用に、私もそれに合わせて合気道の道着を着用するように言われる(しかたないので、東京まで道着を持っていった)。
ふつうそんな格好で対談なんかしないんですけど・・・
お題は「覚悟とリラックス」
成瀬さんのお話はいつものようにたいへん面白かった。
「死ぬのが楽しみ」という逆説に腹を抱えて笑う。
詳細はそのうち出る『秘伝』でお読み下さい。
新幹線内で爆睡して神戸に戻る。
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