極楽までは何哩

2009-03-13 vendredi

恒例の極楽スキーの会で野沢温泉に行ってきた。
今年のメンバーは、ワルモノ先生とそのご令嬢ハルコさんと、ご令息フミオくん。ウエノ先生とご令嬢ミドリさん。ミスギ先生、コトコ先生、そしてニューフェイスの人間科学部のコバヤシ先生。
常連のヤマモト先生は今年もご母堂の看病のため無念の不参加。ミウラ先生はご令息の受験のため。
これまでも、どの先生もお子さまたちが受験のときは、スキーは一シーズン遠慮されるようである。
「滑る」が禁句だからである。
結婚式のスピーチでも、ひさしく「切る」とか「別れる」とかいう語が禁句とされていたけれど、もう現在ではそのようなことはない。
その中でひとり「滑る」だけが禁句として長らえている。
そのことから、受験がいまだ「言霊の佑はふ」最後の呪術的世界を形成していることが知られるのである。
たしかに、いまだに「必勝」というハチマキを巻いたり、「合格鉛筆」で答案を書いたり、絵馬に受験する学部名を大書したり、天満宮でお札を購入したりする古代的美風が残っているのは受験だけである。
天神地祇のご加護までフル動員するのは、受験がそれだけ「運」のものだということを私たち自身が熟知しているからである。
合格発表のときに歓喜するのは、「落ちるかもしれない」と思っていたからである。
ちゃんとできたつもりでも、どのような落とし穴があるかわからない。
私はかつて漢文の試験で解答欄を一つずらして解答して、完璧な答案を書いたつもりが、全問誤答になった経験がある。
そういう落とし穴が受験には至る所に設置してある。
だから実力だけでは試験には通らない。
当日、風邪を引くこともあるし(私にはあった)、電車が止まることもあるし(私にはあった)、お弁当用の魔法瓶が割れて下半身水浸しになることもあるし(私にはあった)、受験会場でいきなり兄に「おい」と背中をこずかれ「あれ、兄ちゃん、父兄は入構禁止だよ」「オレも受験生だ」という衝撃的出会いをすることもある(私にはあった)。人生いろいろである。
「滑る」くらいのことを一シーズン控えるのは親として当然の気遣いと申し上げてよろしいであろう。
その極楽スキーも今年で数えて18回目。
「最初の頃はどんなふうだったんですか?」とよく若い人に訊かれる。
しだいに私たちの記憶も曖昧模糊をしてきているので、来年はカマタ先生をお呼びして、1991年の「シーハイルの会」に遡る極楽前史についてオーラル・ヒストリーの聞き取りをしようという計画が持ち上がっている。
「そう、あれは文部省が大学設置基準の大綱化を打ち出した頃のことでした・・・」とカマタ先生が遠い目をして語り出すのを一堂息を呑んで聞き入るのである。
「その頃日本はバブルの絶頂期で、スキー人口2000万といわれ、若者たちは毎年スキー板から靴からウェアまで全取っ替えしておったものでした。そんな軽佻浮薄な流れに敢然と抗うひとにぎりのスポーツライクなスキーヤーたちがある年、オカダヤマに結集したのですじゃ・・・」
なんてね。
楽しみなことである。
今年はそういうわけで全体に平均年齢が一気に若返り、ボーダー率も上昇(若者たちはみなボーダーなのである)。
しかし、コバヤシ先生というストイックな山屋系スキーヤーが登場したおかげで、極楽スキーの伝統は若い世代に晴れてたいまつを手渡すことができそうである。
イシカワ先生、ことしもほんとうにありがとうございました。
最高に楽しい四日間でした(携帯の電波がパラダイスゲレンデまで届くことさえなければ、さらに気分がよろしかったのであるが)
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