宴会知

2008-12-28 dimanche

教務課の忘年会に呼ばれて門戸厄神の居酒屋で行く。
考えたみたら、職員の皆さんの忘年会に招かれたのは、在職18年ではじめてのことである。いや、その前の助手時代や非常勤講師時代を入れてもはじめてのことである。
ずいぶん長いこと、私たちの社会は職場の人たちとの「アフター5のおつきあい」というのを忌避する傾向が続いていた。
私はそういう風潮を「そういうのはどうなんかね」とやや懐疑的なマナザシで見つめていた。
私はご案内のとおり、「おつきあい」とか「義理ごと」というものにたいへん弱い。
「弱い」というのは、文字通り「抵抗できない」ということである。
義理ごとへの出席を欠くと、人間として何かたいせつなことを怠ったような気がして、いつまでもくよくよと後悔するのである。
どのような心理的根拠があるのか、よくわからない。
とにかく、私の心理の古層には、「共同体の節目の行事への参列義務」を命じる何かが蟠っていて、うるさく私の行動に口出しをするのである。
だから、最近の若い人たちの「職場の飲み会なんか行きたくない」という発言に胸を痛めていたのである。
諸君はなにかたいせつなことを忘れている。
「ウチダのはただの宴会好きだろう」というふうに一笑に付す向きもおられるであろう。
たしかに私は「宴会好き」である。
しかし、私の「集まって何かをすることを好む」習性は単に「宴会好き」というだけでは言い尽くせないような気がする。
私が赴任した1990年には、着任と同時に先輩の教員たちからハイキングやら飲み会やらスキーやらに立て続けにお誘いを受けた(私はそのすべてにフルエントリーした)。組合の遠足や温情会(中高部を含めた学校全体の懇親会)にも欠かさず参加した。
おかげで、すぐに教職員の多くと知り合いになった。
そのようなおつきあいを通じて、私は込み入った学内派閥事情や、隠蔽され封印された事件(というものがあるのよ、どこにも)を教えていただき、その結果生じた取り決めとか、不文律というものについて学んだ。
それを聴いて、「無意味にごたついたもの」にしか見えない大学の現行システムが、そうなるべくしてなるに至った歴史的必然に貫通されていることがわかった。
「自分が参加しているゲームのルール(一部非開示)」は知っている方が知らないよりも、そこでの自分の立場を理解したり、意思を実現したりする可能性が高い。
それがどうしたと言われそうだが、経験が教えるのは、「共同体の節目のイベント」というのは、「その種の情報」が選択的に供給される機会だということである。
もちろん「ここだけの話」というようなものは訳知り顔の人に袖を引かれて「en coulisse(こそっと)」教えてもらうこともある。
だが、個人的に耳打ちされた情報というのはあまり信頼性が高くない。
情報それ自体は事実を含んでいるのだが、その手の「コンフィデンシャル」はほとんどの場合、情報をリークしたその人自身にとって「つごうのよい部分」だけを拾い上げたものだからである。
だから、同一事件についての複数のソースからの情報の「突き合わせ」という作業が必要になる。
それを「まとめて」やるのが「共同体節目のイベント」なのである。
これらのイベントでは「ふだんは口を緘して言われないこと」を言ってもよいことになっている。
葬式では必ず「故人について誰も知らないエピソード」をひとつ開示するということが参列者の義務となっている。
せっかく集まったのだから「そういう話」でもするか、ということではなく、むしろ「そういう話」をするために「節目の行事」で集まるということではないかと私は思うのである。
法事の席では必ず親戚の何某の(ふだんは決して言挙げされることのない)遺産相続をめぐる骨肉の争いとか、夜逃げの顛末とか、「あの人は実はほんとうの父親じゃないのよ」といった類のことが話題になる。
私は子どもの頃、どうして法事の席で大人たちはこのような「生々しい話」ばかりするのであろうか訝ったのであるが、長じてその理由がわかってきた。
法事というのは実は「そういうことを話す」ための場なのである。
というのは、そこには同一事実について知っている複数の人間が同席しているからである。
そういう場合には、「ここだけの話」の情報精度が単独のソースからリークされる場合に比べて、はるかに高くなる。
利害や親疎の異なる複数のソースから同一事実が確定された場合、その情報は信頼するに足りるものとされ、それが共同体内的に「正史登録」される。
これは「流れ」でそうなるというのではなく、参加者全員が無意識に「そういう話」をひとつ持ち寄る「義務感」に近いものを感じるからではないか。
少なくとも、私自身はそのような「義務感」を感じる。
共同体節目のイベントというのは、そのような「ふだんは公開されることもコンファームされることもない情報」が共有される場であり、そこに参加する人間は、義理で参加する手間暇の代価として、「共同体の成り立ち」についての知を供与される。
そういう仕掛けになっているのではないかと私は思うのである。
今回の「教務課の忘年会」は今年がはじめての企画である(これまで毎年やっていたのに私だけ呼ばれなかったということではないのです)。
同日に学生生活支援センターも国際交流センターもそれぞれ忘年会をやっていたそうであるが、どちらも「はじめて」のことである。
私はここに潮目の変化を感じる。
人々は「共同体の成り立ち」について、「自分が参加しているゲームのルール」を知ることの必要を感じ始めている。
そういうことではないかと思う。
おそらく、激動の時期を生き延びる力には、「宴会的知」に与るたものと与らないものの間に有意な差ができることに人々は気づき始めているのである。
というわけで本日は我が家で浜松支部を迎えての「甲南麻雀連盟打ち納め」である。
年賀状もあと200枚書かなきゃいけないのに、まことにご苦労なことである。
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