「さん」と「先生」のあいだ

2008-12-29 lundi

『街場の教育論』にいろいろな方から書評をいただいている。
「週刊文春」で先週号に養老孟司先生が、讀賣新聞で福岡伸一先生が 21 日の書評欄で取り上げてくれた。昨日の讀賣新聞では佐藤卓己さんが「2008 年の三冊」に選んでくれた。
ありがたいことである。
と書いて気がついたのだが、前のお二人は「先生」で、後者は「さん」である。
この敬称の使い分けはどういうふうにしてなされているのであろう。
先般の忘年会でも養老孟司「先生」、甲野善紀「先生」、名越康文「先生」、茂木健一郎「さん」である。
養老先生は長者であるから、とても「養老さん」とはお呼びできない。
甲野先生もずっとそうお呼びしている。最初から「教わる立場」で接したわけだから当然である。
名越先生はお医者さんであり、最初にお会いしたときに私のアタマの中身を「診断」していただいたので、当然これは「先生」とお呼びするのが筋であるのだが、おしゃべりに夢中になると、ときどき「ねえ、名越さん」というふうに呼んでいることもある。
このへんの使い分けの基準は不明。
茂木さんは最初から「モギサン」である。
茂木さんは大学の先生だし、博士だし、斯界の泰山北斗であるから、「茂木先生」と呼ぶのが至当である。
でも、最初に橋本麻里さんに「こちら茂木さん」とご紹介したいただいたとき、横に高橋源一郎さん(麻里さんのご尊父)がいて、御尊父のことを私は「タカハシさん」とタメで呼んでいるのに、年下の茂木さんを「モギ先生」と呼ぶのはなんとなく収まりが悪くて、つい「モギさん」と最初に呼んでしまったのが、そのまま定着してしまった。
橋本さんじゃない人に紹介されていて、その人が「茂木先生」と呼んでいたら、そのまま私も「茂木先生」とお呼びして今日に至っていたはずである。
そういうふうに「最初に会ったときに周囲からどう呼ばれていたか」および「そのときに私が『何かを教えていただく』立場にあったか、そうでないか」を基準に「先生」と「さん」の呼称差別化は決定されているようである。
福岡伸一先生はお会いしてすぐに「Y牛」のコストの話とミシシッピの精肉産業の恐るべき(テキサス・チェーンソー・マッサカ的)裏面について「えええ、そうなんですかあ」的お話を伺っていたので、やっぱり最初から「福岡先生」なのである。
橋本治さんはウチダ的には「橋本さん」と「橋本先生」の二重呼称者である(名越先生と一緒である)。
関川夏央さんもそうである。
同僚についてもなかなか一筋縄ではゆかない。
私は基本的に大学の同僚はすべて「先生」と呼ぶことにしている(「それだと名前を覚える必要がない」というたいへん実利的な理由によるのだが、それはヒミツ)のだが、難波江「さん」、石川「さん」、渡部「さん」など同学科の男性教員の何人かについては「親称」を採用している。これはあきらかに「親しみ」の指標と見てよいであろう。
では「先生」と呼んでいる人については「親しみ」を感じていないのかというと、そうではない。親しみを超えるほどの敬意を覚える場合にはやはり「先生」と呼ぶのである。
したがって私から「先生」と呼ばれる方々のうちには「名前を覚えられていない」方から「親しみを超えるほどの敬意を感じられてる」方までずいぶん幅があるのである。
今回の福岡先生の書評の中で、私は「内田センセイ」と呼ばれている。
この「センセイ」には福岡先生独特の含意がありそうである。
書評ではふつう著者には敬称をつけない。
「本書で山田デコ助はこう述べている」というふうに書くのが学術的フォーマットである。
それをあえて「山田さんは」というふうに書くと、「個人的に親しい感情をもっている」ということが暗示される。
だから、福岡先生が書評の中で「内田さんは」と書くと、読者の方々の中には「なんだ身内かよ」と思う根性曲がりがいるかもしれない。
「内田先生は」という敬称を採用した場合には、その人の発信しているコンテンツについての予断を示すことになる(私は以前、院生の書いた学術論文で外国の哲学者のことは呼び捨てにして、自分の大学教師の名前には「氏」をつけて敬語で叙していたものを読んだことがある。「阿諛追従」というのはこういうことを指すのである)。
「内田は」と書くほど他人行儀ではないし、「内田さん」と書くと親しげ過ぎるし、「内田先生」と書くと書評にならない。
そこで福岡先生は「内田センセイ」という独特の表記を採用されたのではないかと忖度するのである。
「センセイ」は「内田先生(ぷふ)」というふうに読んでいただければよろしいかと思う。
「センセイ」は福岡先生から私への個人的な「めくばせ」のようなものであり、私は公器をもちいて、こういう個人的なメッセージを送ってくださる福岡先生の「おちゃめ」なところをたいへん敬愛しているのである。
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