小体な共同体へ

2008-12-24 mercredi

お掃除部隊の大活躍で、家の煤払いが一日で終了。
ゑぴす屋タニグチ率いる「お掃除部隊」の諸君の獅子奮迅の人海戦術によって洗濯機の排水溝から野菜室で凍り付いていた賞味期限切れ食品まできれいさっぱり片付いた。
うれしいことである。
もともと私はそれほど家を散らかす人間ではない。どちらかといえば、かなり片付け好きな人間である。
だが、家の整理整頓というのは寸暇を惜しんでやるというものではなくて、ゆったりとした気分の中で行い、興が乗って、「よっしゃ、こうなったら徹底的にやるか」というような気合いになっても、それが可能なだけの時間的余裕というものがないとかなわぬのである。現在のようなタイトなタイムテーブルで生きていては、ただ床に散らかっているものをしまいこむ程度のことしかできない。
夏物冬物整理とか、CDとDVDのアルファベット順配架とか、書棚の機能的再編というようなことはまだ遠い夢であるが、とにかく家の中はみちがえるようにぴかぴかになった。
お掃除部隊諸君の健闘に深謝の意を表したい。
ゑぴす屋タニグチ、キヨエ&マサコ、ウッキー&ヒロスエ、ムカイさん、タカトリくん、トーザワくん、みなさん、どうもありがとう。
途中で、お昼ご飯、おやつのブレークを入れて、車座になる。
お茶を啜りながら、がやがやしゃべっていると、何か不思議な既視感が感ぜられるのである。
合気道の諸君といると、いつも感じることだが、この共同体のかたちはずいぶん古めかしいもののような気がする。
従業員十名ほどの町工場の昼休みというか、祖母の十三回忌に集まった田舎の親戚たちというか、そういう感じ。
私が子どものころまではそういうものが共同体のデフォルトだった。
いつかそういう手触りの共同体は私たちのまわりからすっかり失われてしまった。
でも、私にはこのサイズの、この親疎の距離感が、きわめて心地よい。
小津安二郎の『秋日和』に出てくる丸の内のサラリーマンとOLたちの休日が私にとってはある種の理想である。
私が「甲南麻雀連盟」の創設を思い立ったのも、思えば『早春』で須賀不二夫のアパートの一室に集まって、池部良や高橋貞二や田中春男が雀卓を囲む場面があまりに楽しそうだったからである。
『早春』の中には、田舎からうどんを送ってきたので、みんなで鍋をする場面もある。
ちょうど私も丸亀の守さんから明水亭のうどんを送っていただいたので、寄せ鍋とチゲ鍋にうどんを入れて食べようということになったのである。
街はクリスマス時期であるが、お掃除部隊のみなさんは街へ出るよりは、同門の道友たちと集って、鍋をつつきワインを飲みながら、合気道について、恋愛と結婚について、終わりなき対話を繰り広げている方が楽しそうである。
私はこの傾向はずいぶん健全なものではないかと思う。
メディアではものが売れなくなったと言うが、その一方できわめて好調な売り上げを達成している業界もある。
仄聞するところによると、結婚式産業がたいへん潤っているらしい。
ブライダル産業でバイトをしているゼミ生が二人いるが、彼女たちの報告によると、金融危機以降もこの業界はまったく売り上げは落ちていないどころか、どんどんクライアントが増えているそうである。
どうやら、若い人たちは「きちんとした結婚式を挙げる」ことに意欲的になっているらしい。
これは「リスク社会において、人々は再び血縁共同体という相互支援ネットワークをもつことの重要性を思い知るようになるであろう」という私の予言とも平仄が合っている。
私たちはまたふたたび私の父親たちの世代がそうであったような、社員旅行や週末のハイキングや麻雀を待ちわび、結婚式や法事に集まる親戚や旧友たちとのやりとりに打ち興じる小体で慎ましい共同体に回帰しつつあるような気がする。
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