新55年体制へ向けて

2008-12-03 mercredi

『Sight』の取材で、麻生内閣の今後について「予想」をする。
福田康夫の登場を2007年1月に予言したので、「予想屋」としての評価が高まったらしい。
私は「予測」するのが大好きである。
もう起きたことについて、「ぼかあ、こうなると思っていたよ」と訳知り顔をする人間ばかりがメディアには登場するが、彼らはそのような事態の出来を果たしてあらかじめ予測していたのであろうか。
私は懐疑的である。
予測は「当たる」か「外れる」かしかない。
誰にでも、当否がはっきりわかる。
ところが、私たちの国の知識人たちは「間違えを認めること」を異様に嫌う。
だから、仮に予測をして、それが外れた場合でも、「私の予測ははずれました」ということを言わない。
でも、予測が外れた場合こそ「私はどのようなファクターを勘定に入れ忘れたのか?」「私はどのようなファクターの評価を誤ったのか?」をチェックする最良の自己教育機会ではないであろうか。
もう一つ、予測には「予言の遂行性」というものがあり、「これから世の中はこうなります」と誰かが自信たっぷりに断言すると、それを聴いた人たちが「へえ、そうなんだ・・・」と信じ込んでしまって、なんとなく「そういうふう」になる下地が出来ちゃったりするのである。
だから、世の中が「こういうふうになるといいな」と思っている場合には、「こうなります」とフライング気味に断言することは黙って予測だけしているよりも予測の実現の蓋然性が高まるのである。
自己教育機会でありかつ「なるといいな」という事態が出来する可能性が向上するのであれば、予測はできるだけばんばんやって、その「星取り表」をきちんと公開するのが私たちのようにメディアで発言する機会を与えられた人間のつとめではないかと私は思うのである。
というわけでさっそく麻生内閣の今後について予測をする。
麻生首相は近い将来にまた舌禍事件を起こすか、政策上の食言を犯して、メディアの袋だたきに遭い、自民党内部から「麻生おろし」」の動きが始まる。
麻生首相を「選挙の顔」で解散総選挙となった場合に、自民党が歴史的大敗を喫することは明らかだからである。
麻生太郎のあとに与謝野馨が選挙管理内閣をワンポイントで担当する(その方が「負け方」が少ないと古賀誠が判断するのである)。
もちろん自民党はそれでも大敗する。
けれども民主党もそれほど圧勝というわけではない。
政局は一気に流動化する。
こういう状況が大好きな小沢一郎が自民党に「手を突っ込み」多数派工作を開始する(“これ” がやりたくて解散総選挙を促しているんだから)。
ターゲットは山崎拓と加藤紘一である。
そして加藤に「自民党を出て、こちらに来るなら、総理ポストを提供する」と持ちかける。
加藤は多少揺れるが、政治家となった以上「総理大臣」のポストを提供されて逡巡するということはありえない。結局小沢のオッファーを受諾する。
「旧田中派と旧宮沢派」の連合が「旧福田派」と対立するという絵柄になる。
小沢にとって理想の政党というのは「同一党内に野党以上に政策的対立があるような政策集団を含んでいるもの」である。
それが「日本人向きの政党」であることを小沢はその政治家的直感で理解している。
きびしい内部対立を含みつつ、なかに入った人間が「ま、ここはオレの顔に免じてだね。どうだいひとつこの喧嘩オレに預からせちゃくれまいか」というかたちで共同体を立ち上げるのが日本における成熟した組織者のありようであるということは、つとに川島武宜先生が道破されているとおりである。
そのような共同体を成り立たせるためには政策的同一性や政治理念の一致は有害無益なのである。
メディアは自民党にも民主党にも党としての政策的「一枚岩」性が欠けていることを批判するけれど、それは木によりて魚を求むるに似ている。
一枚岩がそんなによいと思うなら、公明党や共産党を範とすべしという社説でも掲げたらよろしい。
55年体制において自民党はその政策的整合性によってではなく、「日本人の無意識的欲望と生活実感」への同期性の高さによって政権党であり続けたのである。
まあ、愚痴は止めておこう。
で、そのあと日本は「新たな55年体制」になるのである。
それがどういうものであるかについては『Sight』に詳しくお話ししたので、そちらを徴されよ。私は朝ご飯の時間である。
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