戦後表現者論

2008-09-29 lundi

ラジオデイズの周年記念イベントで、東京の浜離宮朝日ホールへ。
三部構成で、第一部が戦後落語家論(三遊亭円丈師匠)、第二部が戦後詩人論(高橋源一郎、小池昌代、司会は平川くん)、第三部が養老先生と私の戦後マンガ家論(司会は菊池さん)。
第一部が始まってしばらくして到着。第二部に出るおふたりに楽屋でご挨拶をする。
小池さんにお会いするのは久しぶり(ラジオデイズのオープニングパーティ以来かしら)。あいかわらずお美しい。
平川くんも高橋さんも僕も小池さんの前に出るとたちまち「精一杯悪戯をして、勉強のできる学級委員の女の子の関心を惹こうとしている勉強のできない小学生」のようなものになってしまう。
不思議な力である。
高橋、小池、平川の現代詩論はふたりの「小学生」の「かっこいい詩」をひたすら列挙するという水平方向的読みに、小池さんが「思い」が「詩」に熟成するまで時間を積み重ねるという垂直的な営為を対比させるという、きわめて興味深い展開になった。
このままでは高橋・平川組が「アトムシール収集」の子どもと変わらないのでは・・・と一抹の不安がよぎったところで、高橋さんが「現代詩の未来はラップだ」というラップ・パフォーマンスで身体による詩の奪還という捨て身の大技を繰り出し、それに対して、小池さんが萩原朔太郎の「ラップ返し」で応じて、一歩も譲らないという予想もせぬ展開になり、たいへんな盛り上がりのうちに終了したのであった。
楽屋での養老先生のご聖断は「詩も最終的には身体が出てこなくちゃダメなんだよ」ということでした。
第三部はマンガ家論。
養老先生は「京都国際マンガミュージアム」の館長であり、人も知るマンガ・リーダーである。
私は決してマンガのへヴィー・リーダーとは言えないが、ほかの分野の場合と同じく、「好き嫌いなく、広く浅くなんでも読む」。
むろん、「少女マンガを読むリテラシー」だって備えている。
これは少女に憑依して、そのとまどいやはじらいを内側から追体験するというなかなか愉快なものなのであるが、少年期に大量に「少女文学」を読んでいないと、なかなか青年期以降に身に付けることの困難な術である。
私は神戸女学院大学に赴任したその日に、D 館の窓口にいた K 村さん(その日はじめて会った)から「ウチダ先生、『ガラかめ』の最新刊持ってます?」といきなり訊かれて「はい、全巻揃えております」とお答えして、翌日その全巻をお貸しすることになったくらい、「少女マンガ好き」が顔に出ているのである。
なお、この世界に疎い人のために注記するが『ガラかめ』とは美内すずえ先生畢生の名作、『ガラスの仮面』(「亜弓さん、あなたには負けないわ」)のことである。
養老先生は少女マンガをカバーされない。
しかるに愚考するところ、日本のマンガの特性は表意文字(図像)と表音文字(音声)を並列処理する日本人の言語脳の構造と不可分であり、これが「真名」(漢詩漢文)と「仮名」(やまとことば)のふたつの性化されたエクリチュールを生み出し、それが今日では「少年マンガ」と「少女マンガ」というかたちに分化しているという壮大な文明史的展望のうちに位置づけられねばならぬのである。
この話をしはじめると、途中で「女性に特化された言語の創出」ということを言い出したリュス・イリガライとショシャナ・フェルマンのフェミニズム言語論批判から説き起こして、日本のフェミニズム文学論が日本語の特殊性を一顧だにしないその事大主義を痛罵して、たちまち数時間を費やしてしまうので、今回はこのポレミックなトピックには触れずにおくのである。
この問題について興味のあるかたは『女は何を欲望するか』(角川新書)と新刊の『街場の教育論』(ミシマ社)の国語教育編を参照されたい。
世の中には二種類の男がいる。
「少女マンガを読める男」と「読めない男」である。
この両者を隔てるものについては、いずれ説く機会もあるだろう。
養老先生とのマンガ論は脳と言語の話、手塚治虫の戦後マンガにおける造物主的地位、赤塚不二夫のマンガ史的意義、少女マンガにおける「ナラティヴ」のレベルと転々とし、あっというまに予定の75分が終わってしまう。
楽屋に各社の編集者がずらりと並んでいる。
むろん「督促」のためである。
「そのうちそのうちと、うだうだ言い逃れしくさってからに。今日という今日はのがさへんで。さ、耳を揃えて借金はろてもらおか」と詰め寄る10人ほどの編集者たちの虎の尾毒蛇の口を逃れて打ち上げ会場へ。
養老先生、高橋さん、平川くん、山本浩二森永一衣ご夫妻、江さん、かんちきくん(台湾帰り)、新潮社の足立真穂さん、そしてラジオデイズのスタッフたちとイタリアンを食べつつ歓談。
高橋さんと「われわれの攻撃性」とは何かについて語る。
高橋さん、山本くん、平川くん、私の四人が「世の中には『これだけは許せん!』ちゅうことがあるよね」というトピックで話をしているわけであるから、たいへん。
その場にいる山本くんと江さんには「この人たちにはどこかで会ったことがある」というつよい既視感を覚えたのであるが、それもそのはずで彼らとは前夜12時に甲南麻雀連盟例会を終えて、「じゃね」と手を振って別れたばかりなのであった。
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