献堂式

2008-09-25 jeudi

大学エミリー・ブラウン記念館の献堂式が行われる。
うちはキリスト教の大学なので、「竣工式」とは言わずに「献堂式」という。
神にこの建物を捧げ、どうぞ御旨にかなうように用いてくださいと祈るのである。
地上のものはこれを私的に所有せず、いったん神に献じ、そのあとふたたび神から受託されたものとして受け容れる。
私はキリスト者ではないが、こういう構えはよいものだと思う。
讃美歌を歌い、聖書を拝読し、その名をとった第三代校長エミリー・ブラウン女史の事績についてKCCのドフィン会長の短い紹介のあと、斉藤言子先生の祝歌独唱を聴き、チャプレンの祝祷を受ける。
さらさら。
チャプレンとKCC会長と同窓会長のスピーチの中には「生きている人間」の固有名がひとつも出てこなかった。
私はこの見識を多とする。
「存在するとは別の仕方」で私たちにかかわり来るもの、どのような「外形的・数値的なものによっても考量されざるもの」について語ることこそがミッション・スクールの献堂式にはつきづきしいと私も思う。
エミリー・ブラウン館の建築にあたってはずいぶんといろいろなことがあった。その詳細についてはもちろんこんなところでは申し上げられない。
ある会議の席で私がふつうそういう場では採用されないタイプの口調で私見を具申した様子を見て、島﨑徹先生が「この人はまず全員を敵に回すところからネゴを始める人なんだ・・・(友だちになれそう)」と思ってくださったのが個人的には最大の収穫であった。
関係者の努力の甲斐あって、たいへん美しく機能的な建物が完成して、見学者はどなたもたいへん満足そうであった。
舞踊専攻のスタジオで舞踊公演を拝見する。
冒頭に島﨑先生が「かたちのないもの」invisible assets こそが大学教育の本質を形成していること、「ダンス」はまさにその意味でリベラルアーツの主要なピラーであるという感動的なスピーチを行う。

ダンスは誰によっても所有されることができません。
誰によってもその価値を数値的に考量することができません。
私たちはそれに感動することができるだけなのです。
そして、感動こそ教育の場において学生たちが経験すべきものなのです。

島﨑先生は同じ趣旨のスピーチを来賓のために英語で繰り返した(こっちの方が「振り」がかっこよかった)。
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