大相撲に明日はあるのか?

2008-09-15 lundi

『中央公論』の I 上くんが来て、「相撲」について取材を受ける。
相撲ですか・・・
もう長いことテレビで相撲を見ていない。
新聞でも相撲の記事はまず読むことがない。
力士の名前もほとんど知らない。
聞くと、相撲は不祥事続きで、客も不入りだし、視聴率も低下するばかりで、もうどうにもならない状態なのだそうである。
そうでしょうねと思う。
理由はいろいろあると思うけれど、要するに「相撲とは何か?」という根源的な問いを誰も真剣に引き受けたことがなかったことがおおきな理由だろうと思う。
相撲は神事なのか? 武道なのか? 格闘技なのか? スポーツなのか? スペクタクルなのか? 伝統芸能なのか?
とりあえず、神事を含んではいるが、それ自体は神事ではない。
そのようなものに「公正中立」の NHK が電波を貸すわけにはゆかない。
武道でもない。
武道というのは「心身の生きる力を高め、潜在可能性を開花させるための技法の体系」であるが、相撲をやっていたせいで長寿を得たとか、相撲をやっていたのせいでビジネスに成功したとか、相撲をしていたおかげで博士号が取れたとかいう話はあまり聞かない。
では、格闘技なのか?
これも違いそうである。
50年前なら、力士は「地上最強」だという言葉を子どもたちは信じたが、K-1 で元横綱が「秒殺」されるのを見てしまった今では、相撲の格闘技としての有効性を信じるものはあまりいない。
では、スポーツなのか?
それも違うだろう。
スポーツの場合は「フェアネス」ということが生命線だが、相撲の場合は「個人」で星を取り、賜杯を受けるにもかかわらず、同部屋での取り組みはない。かつては一門同士の取り組みもなかった。
勝敗の判定をする行司という人が部屋に分属しているという制度も意味がよくわからない。
「今日の球審はタイガース所属のヤマダさんですから、ジャイアンツ的にはストライクゾーンがきついですね」というようなことはないのだろうが。
その時点での「最強力士」を決めるトーナメント制はたしかに存在する。
けれども、「最強決定」が最優先の関心事なら、大相撲トーナメント(フジテレビ主催)や大相撲最強決定戦(日本テレビ主催)の視聴率の方が本場所よりも高いはずであるし、その勝敗をみて、「誰がほんとうは強いのかがわかった」と満足している人がいてもよいはずだが、あまりそんな話は聞いたことがない。
スペクタクルあるいは伝統芸能なのか?
歴史的には「けたはずれの巨漢」を見るという「ショー」的要素が相撲人気を牽引してきたことはたしかだろう。
現在でも「花相撲」というものがあり、初っ切り(相撲の禁じ手をコミカルに演じるもの)や相撲甚句が演じられる。それが力士の「本務」の一つにカウントされている以上、相撲はある種の伝統芸能であるとも言える。
けれども、もし伝統芸能であるとすれば、そこに参加している外国人力士たちにはそのような日本の伝統文化に対する敬意が見られてしかるべきだろう。
私の知っている範囲でも、能楽を学ぶ外国人や合気道を学ぶ外国人たちは日本の伝統文化に深い興味と敬意を抱いている。
その敬意は、彼らが自国に戻った後に、故郷の街で、自分が習得してきた技芸を同国人たちに教えることに情熱を傾けている事実からも推し知ることができるのである。
けれども、これまで相撲で高位にあがった外国人たちの中にそのようなかたちで日本の伝統文化への敬意を示した人がいただろうか?
外国出身の力士たちが相撲をほんとうに愛していたのであれば、「ハワイ相撲協会」や「モンゴル相撲協会」が存在していてよいはずである。
けれども、寡聞にして私はそのようなもののあることを知らない。
力士のリクルートは形式的には国際化しているけれど、彼らが伝統芸能を学びに来ていると理解している人はほとんどいないであろう。
となると、伝統芸能であるとも言いがたい。
こうやって見ると、相撲というのは「いろいろな要素が渾然一体となったもの」という以外にない。
そして、どうやら相撲の魅力とはこの「いろいろな要素が渾然一体となった、なんだかよくわからないもの」という特殊な様態のうちにあるような気が私はするのである。
こういう「なんだかよくわからないもの」はあらかじめ制度設計がなされてできあがったものではなく、「起源がよくわからない」ものである。
そして、たいていの場合、起源や目的がはっきりしている制度よりも、起源や目的がはっきりしない制度の方が、「本質的」なのである。
相撲が不調であるのは、この「なんだかよくわからない」性を守り抜くための理論武装ができていないことが最大の理由ではないか。
そういう話をする。
相撲協会の収支や番付編制や取り組みの決定過程などをすべて開示して、「透明性」を担保すれば相撲人気は復活するのか?
力士たちが労働組合をつくって、相撲協会と「統一契約書」を交わして、労働条件について弁護士を立てて団体交渉するようになると、相撲人気は復活するのか?
部屋制度を廃止して、「最強力士」めざす「ガチンコ・トーナメント」にすれば、相撲人気は復活するのか?
なんだか、どれもダメそうな気がする。
相撲というのは「きちんと話の筋目を通して何かしようとするとうまくゆかなくなる」システムではないかという気がする。
じゃあ、いったいどうすればいいんだと訊かれても、私には答えようないです(別に誰も私に答えなんか期待していないでしょうし)
でも、こういう「なんだかよくわからないもの」は合理的な存在理由を挙証できないからと言って、「じゃあ、なくなってもいいだね」ということになると、いろいろ差し障りが出てくるものなのである。
私としてはもう少し長い目で、暖かく見守ってあげたらいいんじゃないかと思って、『中央公論』の特集のタイトルを「がんばれ! 大相撲」とすることをご提案したのであるが、I 上くんは「はあ・・・でも、どこをどうがんばればいいのか」と暗い顔をしていた。
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