アメリカ人はどこまで

2008-07-17 jeudi

ポッド・キャストで町山智浩さんの「コラムの花道」を聴いていたら、「アメリカ人はどこまでバカか」という話が出てきた。
『ナショナル・ジオグラフィック』が2006年にアメリカの大学生にアンケートを実施したところ、88%はアフガニンスタンがどこにあるのか知らなかった。63%はイラクがどこにあるのか知らなかった。20%は世界地図の中でアメリカを指さすことができなかった。
オーストラリアの「アメリカ人はどこまでバカか」というドキュメンタリーの TV 番組が YouTube で評判になっている。
とくに歴史と地理について、知識の構造的な欠落があるらしい。
街行くふつうのアメリカ市民のおじさんおばさんに質問をする。
世界大戦は何回あったかという質問に「3回」と答える人がおり、「ヒロシマ、ナガサキ」とは何かという質問に「柔道!」と答える人がおり、「イスラエルでいちばん信者の多い宗教は?」という質問に「イスラム」と答える人がおり・・・というふうにアメリカ人の無知ぶりを嘲笑するという趣向の番組である。
とくに、「イラクはどこですか?」と世界地図を示すと、オーストラリアを指し、「北朝鮮はどこですか?」と別の人に聴くと、やっぱりオーストラリアを指すシーンがあって、オーストラリアではそれが大受けしたらしい。
さすがにアメリカでもアメリカ人の知力低下問題は社会問題として浮上してきたらしく、町山さんによると、リック・シェンクマンという人の「アメリカ人はどうしてこんなにバカになってしまったのか」(Rick Shenkman, Just How Stupid Are We?: Facing the Truth about the American Voter, Basic Books,2008) という本がアメリカでベストセラーになっているそうである。
町山さんによるとシェンクマンの結論は「アメリカ人がバカになったのは今に始まったことではない(1950年代からずっとバカだった)から別に心配することはない」ということのようである(ほんとかな〜)
面白そうなので、さっそく amazon で購入。
本が届いたら、内容をみなさんにもご紹介しますね。
びっくりしたのは、放送の中でいきなり「内田樹先生も書いてますけど」と町山さんが言い出したこと。
日本の学生の学力低下について書いたことを引用されたのであるが、部分的な引用だったので、番組を聴いた人が誤解すると困るから、この場を借りて正確を期したいと思う。
町山さんは「大学で『フェミニズム』という言葉を口にしたら、学生が誰も知らなかった」というエピソードを紹介しているけれど、これは2006年5月のブログに書いた話である。
関連箇所を再録しておくと。

私はあまりものごとに動じない人間であるが、今日はかなり驚いた。
基礎ゼミでの出来事である。
今日のお題は「エビちゃん」。
「それは誰ですか?」
という私の問いかけに一年生のゼミ生諸君はたいへん不思議な顔をしていた。
Cancamの専属モデルの「エビちゃん」という26歳の女性のことである。
私はもちろんCancamを購読しておらないし、TVもほとんど見ないので、そういう方が数ヶ月ほど前から全日本的規模で10代20代女性のロールモデルになっているという事情を存じ上げなかったのである。
ふーむ。そうですか。
もちろん、その程度のことで私は驚きはしない。
驚いたのはその先である。
で、その彼女がポピュラリティを獲得した理由について、本日発表をしたKカドくんが社会学的分析をしてくれたのである。
不況時には「稼ぎのある、強い女性」が人気を得るが、好況時には「アクセサリー的に美しい、庇護欲をそそるような女性」が人気を得るという法則があり(知らなかったよ)、その景況による嗜好の変遷にともなって、デコラティヴな美女であるところの「エビちゃん」が現時点での女性理想像なのだという説明をしていただいた。
発表者のKカドくんも「大学デビュー」に際しては「エビちゃん」系でファッションを整える方向で精進されているそうである。
ふーむ、たしかに、そういうこともあるかもしれない。
しかし、それってさ、フェミニズム的にはちょっと問題発言だよなと申し上げたところ、ゼミ内にやや不穏な空気が漂った。
あまり納得されていないのであろうかと思い、さらに言葉を続けた。
だってさ、そういう男性サイドの欲望を基準にして女性の理想型が変化するのはありとしてもさ、キミたちがそれを無批判にロールモデルにするのって、フェミニズム的にはまずいんじゃないの。
どなたからも声がない。
「あの・・・」
中のひとりが勇を鼓して手を挙げた。
はい、なんでしょう。
「『フェミニズム』ってなんですか?」
え?
キミ、フェミニズムって言葉知らないの?
見渡すと、13名いたゼミ生の大半がゆっくり首を横に振った。
ちょっと待ってね。
「フェミニズム」って言葉、聞いたことがない人っているの?
8人が手を挙げた。
聞いたことはあるが意味を知らないと言う人は?
2人が手を挙げた。
さすがの私もこれには驚いた。
「上野千鶴子」って、知ってる?
全員がきっぱり首を横に振った。

これは基礎ゼミだから、大学1年生の5月の話である。大学に入ってまだ数週間。「ほとんど高校生」という段階でのお話であることを考慮していただきたい。
本学にはフェミニストの先生がたもあまたおられ、ジェンダー・スタディーズ関連科目も多く展開しているから、その後体系的な学習を通じて、学生たちはほぼ全員が「フェミニズムの何であるか」を理解して(共感するかどうかは別の問題として)ご卒業されるのである。
だから、大学の教員には、新入生たちが高校生までに「フェミニズム」という言葉に接する機会がなかったという事実に驚く権利はあるであろう。
大学のせいだと言われても困る。
上野さんに対してフェアネスを期すために申し添えるが、もちろん新入生のほとんどは「内田樹」の名前だって知らない。
専攻ゼミ生の中には、就活の面接で、面接官から「おや、ウチダタツルさんのいる大学だね」と言われるまで、自分のゼミの先生が本を書いていることを知らなかった猛者さえいる。
しかし、私の名前を知らなかったことが彼女たちの知性や学力の指標になるわけではない。
知性の総量というのは世代によって変わるものではなく、その世代ごとに対象を変えるだけである、という村上春樹さんの知性説に私は同意するものである。
今の日本社会では「知性的にならない」ことに若者たちは知的エネルギーを集中している。
無知は情報の欠如のことではなく、(放っておくと入ってきてしまう)情報を網羅的に排除する間断なき努力の成果である。
「知性的になってはならない」という努力を80年代から日本は国策として遂行してきたわけであるから、これはスペクタキュラーな「成功」なのである。
だから、私たちが学生に与えるべきなのは知識や情報ではなく、「知性的な人間になっても決してそれで罰を受けることはないんだよ」という保証の言葉なのである。
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