情報を抜く

2008-06-28 samedi

クリエイティヴ・ライティングの今週の宿題は「情報を抜く」。
ものを書く上での「情報を抜く」ということの重要性を指摘した人にかの橋本治先生がいる。
橋本先生はこう述べておられる。

自分が生きている限り、自分の身近にはまともな生活圏があるんだから、そのことは考えなくてよくて、そこから外れたときにどう生きるかという考えをしなくちゃいけないから、外れたところにいる人のことを考えるしかないということなんじゃないのかなあ……。俺、高校のときにいっぺん外れちゃったから。
それで、自分の居場所ってどこなんだと。
知らない人のいるところで生きていくしかないから、じゃあその知らない人をとりあえず考えてということだと思うし。
あと、自分と違う人のほうがわかりやすいんですよね。
『桃尻娘』を書くときに、こっちが二十七、八じゃないですか。主人公は十五だったでしょう。
何が違うかというと、男と女が違うと考える前に、彼女は俺より十二年若いんだ。とすると、俺が知っている十二年分、彼女が知らないんだな。そういう引き算をしちゃったんです。
たとえば、自分が高校生だったときに好きだった歌を彼女は知らないはずだというふうにすると、じゃ代わりに彼女が好きなのはなんだろうと。
そういうふうに抜いて代入していくと、パーソナリティーが出来てくるんです。

これは今秋発売の『橋本治と内田樹』の一節における橋本先生のご発言である。
すごいことをさらりとおっしゃいますね。
私はこれを聴いて、改めてこの人はほんものの天才だと思った。
私たちはほとんどの場合、人を理解するということを情報を「加算」することで達成しようとする。
その人の育成環境や学歴や既往症や交友関係や読書傾向など、とにかくできるだけたくさん情報を蓄積してゆけば、その人についてより正確で適切な理解に達するだろうと考えている。
それはほとんどの場合、理解を深めることには資さない。
他人を理解するというのは、多くの場合「情報を抜くこと」でしか達成されない。
ボーヴォワールの自伝には、1950年頃のパリの知識人たちの中に共産党入党者が激増した話が出てくる。
「もうすぐソ連軍がパリを占領して、フランスが社会主義国家になる」という見通しがかなり広範に支持されていたからである。
勝ち馬に乗ろうとしたのである。
私たちは「何を愚かな」と嗤うけれど、これは嗤う私たちが間違っている。
私たちは1950年時点のヨーロッパにおけるスターリンの神話的威信とソ連の軍事力に対する畏怖を適切に追体験することができない。
そのわずか5年前までパリはドイツ人たちが支配しており、彼らと通じたフランス人たちはそのとき「我が世の春」を謳歌していたのである。
同じことがもう一度起こることはありえないと断言できる人がどれほどいたであろうか。
アルベール・カミュはそのときにはフランスを捨てる覚悟を決めていたようである。
私たちは1950年のパリの知識人たちのそんな不安と震えるような期待感を理解できない。
それは私たちが1960年の党大会におけるフルシチョフのスターリン批判からのち独裁者の威信が地に墜ちたことを知っており、東西冷戦が最終的に社会主義陣営の総崩れに終わったことを知っているからである。
情報があるせいで、理解できないことがある。
過去においてつねに「未来は霧の中」なのであるが、「過去における未来」のうち「現在において過去になったこと」はその「霧」的要素を失ってしまう。
それはもう「起きてしまったこと」なのである。
「起きてしまったこと」が目の前にあるとき、「どうして、『このこと』が起きて、『それとは違うこと』が起きなかったのか?」と問うことはきわめてむずかしい。
私たちは「起きてしまったこと」の宿命性をつねに過大評価するからである。
繰り返し引く例で恐縮だが、「縄文時代の世田谷区民」という言い方がナンセンスであることはすぐわかる。
世田谷区という行政単位の出現は1932年であるから、「世田谷区民」の存在はそれ以前には遡らない(その前には「世田谷村民」や「荏原郡民」がいた)。
しかし、「縄文時代の日本人」という言い方には私たちはあまり違和感を覚えない。
でも、これは「違和感を覚えない」私たちの方がおかしい。
日本という政治単位が成立したのは689年である。
飛鳥浄御原令で天皇の称号とともに国号が正式に定められた。
だから、「日本人」の存在はそれ以前には遡らない。
もちろん、それ以前にも列島には住民がいたが、彼らは「日本人」ではない(網野善彦さんは「倭人」という呼称を提案している)。
彼らはまさかその1300年あとに「こんなこと」になるとはまったく予測していなかったはずである。
倭人の眼に列島や大陸の風景がどう映じていたのか、列島の未来をどんなふうに考えていたのかを、「日本人」の視点から理解することはむずかしい。
1300年分の「情報」を抜かないと、おそらく理解は及ばない。
実際に「情報を抜く」のはきわめて困難である。
けれども、理解も共感も絶した他者を理解したいと望むなら、自分の予断を形成している「情報を抜く」ことが必要であるとわきまえておくだけとりあえずは十分だろう。
というわけで、宿題は「2003年6月26日の日記」である。
君たちの5年前のある一日の日記を書いてきなさい。
もちろん、中学生時代の日記をほんとに出してきて書き写したりしちゃダメだよ。
そうではなくて、自分で考えるのである。
それからの5年間に自分の身に起きたことを「知らないこと」にして、それによって形成されてしまった価値判断の基準や、好悪や美醜の傾向を「リセット」するのである。
どうしてそんなことをするのかというと、君たちの中には「今の君たちが忘れてしまった自分/今の君たちのことを知らない自分」がいることを思い出して欲しいからだ。
そして、彼女たちに言葉を与えてやってほしい。
どんな日記が出てくるのか楽しみである。
--------