週末は父の七回忌で鶴岡の宗傳寺へ。
今回は母兄の他に、嫂、甥たち(上の二人)も参加。賑やかなことである。
庄内空港で車を借りて、まずはいつものように寝覚屋半兵衛で「麦切りとお蕎麦」を食すべく鶴岡へ走る。
毎年この時期は田植えの直後で、水を張ったばかりの水田の上をわたる風がまことに涼しい。
鳥海山の麓までずっと水田が拡がっている。
宗傳寺でお墓を掃除してから、本堂で副住職さんにお経を読んでいただく。われわれも般若心経を唱和する。
法事を終えてから母と「本長」へ。お土産に漬物をいろいろ買う。
いつもの亀やの1013号室に投宿。
2001 年の5月12日に父母兄と四人でここに泊まった。
南紀白浜に温泉旅行にゆく予定であったのだが、父が直前になって「鶴岡の宗傳寺に墓参りに行こう」と言い出して、急遽ここに来ることになったのである。
父にとっても久しぶりの故郷で、幼少のころを過ごした鼠ヶ関にも足を伸ばした。
その小さな海岸の町を歩いているとき、父の脳裏にどんな風景が去来したのだろうか。
姉に背負われてこの弁天さまに来たことを覚えているが・・・と父は呟いたが、それはほとんど90年近く前の出来事であり、私の貧しい想像力をもってしては大正初年のこの港町の風景を再構成することはできなかった。
その翌年の同じ日に父は死んだ。
たぶん、父は一年後に自分が入ることになる菩提寺の墓を「下見」に行ったのである。
私はそれを偶然だとは思わない。
青空の下、のんびりと露天風呂に浸かる。
リタイアしたあとの生活について、兄とあれこれと語り合う。
道場のこと、旅行のこと、これから書きたい本のこと。
私たちももう半ば以上「老境」に足を踏み入れている。
がむしゃらに働く時期はもうそろそろ終わりにしたい。
40 年間休みなしに働きづめだったのである。
そろそろ残る時間を楽しむような生き方にシフトしても、神様は怒らないであろう。
法事を終えて、翌朝空港でパソコンのカレンダーを開くと、仕事のスケジュールがぎっしり詰まっている。
ふう。
まだこんなにたくさん原稿を書かなければいけないのか。
飛行機の中で爆睡。
家に戻って急ぎの原稿を書いてから、下川先生のお稽古へ。
6月1日の本番まであと稽古が二回しかない。
とりあえず盤渉楽と仕舞の道順はもう大丈夫である。
家に戻って原稿の続きを書いていると、山本画伯が自分の絵を取りにやってくる。
スキャナーに取り込むために一時貸し出しするのである。
画伯とおしゃべりをしていると、IT 秘書のイワモトくんが推薦状を取りに来る。
そのまま三人で晩御飯。
マチスのキュビスムの話から、花の御影とマイクロ・スリップと老松の話になり、深更に至る。
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(2008-05-19 10:11)