橋下府政三ヶ月の総括

2008-04-29 mardi

朝日新聞の取材。
お題は「橋下徹府政三ヶ月目の総括」。
隣県のこととて、あまり興味がなく、テレビでポピュラリティを獲得したという当の人物についてもテレビを見ない人間としてはよく知るはずもない。
新聞記事だけから断片的に知れるのは、この人が着任以来「金の話しかしない」ということである。
「政治というのは金の分配のことである」というのがこの人の信念らしい。
その点では、「金で買えないものはない」とうそぶいた堀江貴文や「金儲けは悪いことですか?」と獅子吼した村上世彰と同系列の人物と見てよろしいであろう。
「金の全能性」への信仰が血肉と化しているという点で「魂の兄弟たち」である。
だから、メディアや府下の市町村が「金の分配の仕方」について批判したり、異議を唱えたりしている限り、「政治とは金の分配のことである」という橋下イデオロギーはますます強固なものになる。
橋下府政三ヶ月は「政治的難問とは金がないことであり、金さえあれば世の中のほとんどすべては解決する」という強固な確信のうちにその反対者たちをも含めて巻き込んだ。
その点では、序盤戦は橋下知事側の「大勝利」と評価してよろしいであろう。
彼が府知事に選ばれたのも、「ぶっちゃけた話、『金がない』というのが大阪のかかえる唯一の本質的な問題なわけでしょ」というシンプルなストーリーに有権者たちが飛びついたからである。
その点では「構造改革」や「郵政民営化」の小泉イズムと似ていないこともない(スケールははるかに小さいが)。
今のところ、府政にかかわるすべての議論はあたかもそれが真の問題であるかのように「リソースの分配」をめぐって熱く展開している。
けれども、これは「あたかもそれが真の政治問題である」かのように仮象しているだけで、真の政治問題ではない。
真の政治問題とは「リソースを優先的に配分する使途を、明確なヴィジョンに基づいて明らかにし、承認を得ること」だからである。
ビジネスの場合であれば、話は簡単である。
「リソースを優先的に配分する使途」とは「採算がとれる部門」のことであり、分配がカットされるのは「採算不芳部門」だからである。
ところが行政はビジネスではない。だから、「採算の上がる部門」というものは存在しない。
久しくリソース分配の優先順位は、「次の選挙で票が集まりそうな事業」に予算をつけようと争う政治家たちの実力差によって決された。
そして、このルールでやっているうちに底抜けの財政破綻に至ったわけであるから、このルールはもう使えない。
理屈から言えば、府民全体の承認を得た「あるべき自治体像」から逆算して、予算を優先配分するところと、削減するところが決められる、というのがことの筋目であるが、橋下知事には残念ながら、そのような明確な自治体像がない。
だから、このリソースの分配についての争いは、最終的には「すべての部門の配分を同じ比率で減らす」という「痛み分け」に帰着するはずである。
つまり、すべての行政サービスを同じ比率で劣化させる、ということである。
たしかにそれで財政赤字は多少とも目減りするだろう。
けれども、「それによって利益を得る府民が一人もいない、痛みをともなった構造改革」は、不満顔の府民たちと、窓口でその府民に文句をつけられて「僕に言われても困りますよ。文句があったら、知事に言ってください」と仏頂面をする府職員たちを大量に生み出す結果になる。
もちろん知事はその責任を取ることを拒否する。
彼は「このような結果になったのは、府内外の『抵抗勢力』が私のやりたいことを妨害したせいである」と顔を赤くして言い訳するだろう。
「私こそが最大の被害者なんです」と。
不満だけが残り、その責めを負うものがどこにもいないという「いつもの風景」がここでもまた繰り返されることになる。
橋下知事が忘れているのは、集団のパフォーマンスというのは、「どうやって支出を減らすかというような」退嬰的な目的によっては決して高まることがないという平明なる人間的事実である。
給料を減らされることでアチーブメントを高める人間は存在しない。
集団のパフォーマンスを高めるのは「オーバーアチーブする人」の存在だけである。
与えられた仕事の範囲を超えて責任を取り、創意工夫を行うことを喜びとするメンバーをどうやって府政内部に組織的に生み出すのか、それを自治体の首長であればまず考慮しなければならない。
オーバーアチーブメントを支えるのは「士気」であり、これは数値的に表示されない。
そして、「金の全能性」イデオロギーの信奉者の最大の弱点は、数値的に表示されないものを「ゼロ査定」してしまうということにある。
知事はおそらく「人気」と「士気」を取り違えているのだろうと思う。
「人気」は「この人は私たちのために何かをしてくれるだろう」という期待の関数である。
「士気」というのは「この人のために私たちは何をしてあげられるだろう」という意欲の関数である。
知事は今のところ人気は高いようだが、府職員の士気高揚のためにはほとんど何の努力もしていないように見える。
いずれ彼が「私たちのためには何もしてくれない」ことが有権者たちに実感されたときに、橋下知事はいまの人気を維持することはむずかしいだろう。
その他、朝日新聞のインタビューに対して府知事の今後について私はある予言を行ったのであるが、予言には遂行性があり、予言したことはしなかったことよりも実現する可能性が高いことを顧慮し、何を予言したかについては非公開とすることにした(11時半から3時間ほどの間ブログを読んだ人は心の中にしまっておいてくださいね)。
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