ようやく春休みになった

2008-03-26 mercredi

「ねんきん特別便」というのがいまごろ届いた。
開封してみたら私の年金加入記録が残っているのは1990年からの私学共済だけで、それ以前の年金はすべてが「記録もれ」になっていた。
すごい。
私は1977年からは(株)アーバン・トランスレーションの社員であり、そのときもきちんと年金は支払っていたはずであるが、その記録がない。
それどころか、1982年から90年までは東京都の公務員だったのであるが、その年金記録も記載されていない。
社保庁の仕事がずいぶんデタラメだということは報道で聞き知ってはいたが、まさか公務員の年金記録もなくなっているとは知らなかった。
このままだと私は年金受給年齢になったときに「加入年数が25年に満たないので年金は上げられません」ということになったわけである。
とりあえず「訂正してね」という返事を書いて送る。
けれども、1977年のアーバン・トランスレーションの住所なんか、遠い記憶の彼方である。
「渋谷区道玄坂」とだけしか覚えていない。
はたして、このような頼りない記憶で記録との照合が可能なのであろうか。
なんだか無理そうな気がする。

養老先生と池田清彦さんの『ほんとうの環境問題』を読む。
面白い本なので、あっという間に読み終えてしまう。
環境問題を「地球温暖化」に収斂させ、それをさらに炭酸ガス排出制限ですべて解決できるかのように語るメディアの態度については私はかねてより懐疑的であったけれど、お二人もたいへん懐疑的である。
池田さんは気象変化についてたいへん明快な立場である。
その所説をご紹介しよう。

「有史以前から地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。そのなかで、たとえば恐竜が生息していた中生代白亜紀(約1億4500万年-6500万年前)の地球はいまよりずっと温暖で、極地でも氷床が発達しないほどだった。それほど温度が高かったのは、おそらく当時の炭酸ガスの濃度が高かったためで、火山活動が盛んだったからではないかと考えられている。
地球温暖化によって色んな生物種が絶滅するということが言われているけれども、地球の歴史を見れば、温暖化しているときには大型生物の大量絶滅は起きていない。大量絶滅が起こるときというのは、いずれも、地球が寒冷化したときである。だから、ほんとうは、地球は寒冷化するぐらいなら温暖化したほうがいいはずである。
ともあれ、地球の気温は大きな変動を繰り返してきている。そして、それらの過去の気候変動は人為的な要因によるものではないのは明らかである。人間がいない時期でも大きな気候変動は起きているのだから当たり前である。
すなわち、人間が何をしようがするまいが、放っておいても地球の気温や気候というのは変動する。そして、気候の変動の要因が何かというのは、実はあまりよくわかっていないのである。どこまでが人為的な要因かなんてことは簡単には特定できないのだ。」(『ほんとうの環境問題』、新潮社、2008年、115-6頁)

気候変動の要因として今わかっているのは、太陽の黒点数、太陽の磁気活動、宇宙線の飛来など。
宇宙線の飛来量とによって雲の量が決まる。雲が1%増えると気温は1℃下がる。
宇宙線の飛来量に関与するのは太陽磁気と地球の磁場で、どちらも現在弱まっているので、東京工業大学の丸山茂徳は地球はこれから寒冷化に向かうと予測している(「そういう主張はなぜかマスコミにはまったく報道されない。」117頁)
そもそも地球温暖化によってどのような実害があるのか、それがはっきりしない。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は今世紀中に1.1℃から6.4℃の気温上昇を予測している。2.8℃というのが「いちばんあり得る」数値だそうである。
東京と札幌の平均気温差は7℃である。
5500年―4000年前の日本は気温が現在より2-4℃高かったと推定されている(青森で栗の木が栽培されていたからである)。そのあと2000年前まで気温が下がり続け、食物がなくなって東北の縄文文化は消滅した。
どう考えても、寒冷化よりは温暖化の方が植物の生育には適している。植物はすべての生物の食物である。
人為的な要因で今地球が寒冷化に向かっているというのなら、私たちは青ざめるべきであろう。打てる限りの手を打つべきだろうと思う。
しかし、温暖化で何が起きるのか。それがよくわからない。
ハリケーンや台風が増えるという説があるが、実際には増減がない。
マラリア感染症が増えるという説をなすひとがいるが、伝染病の防止は気温よりも衛生のインフラの問題である。
海面が上昇して世界が沈没するというが、IPCCの予測では海面上昇は100年後に最小で18センチ、最大59センチで、可能性が高いのは35センチという数値である。
日本では冬と夏で海面が40センチ上昇する(冬になると水温が下がって海水面積が縮小するからである)。そもそも満潮時と干潮時では水面差が2メートルある。大阪は地下水のくみ上げで過去100年間に2.6メートル地盤沈下している。
「そういうことに比べて、海面が35センチ上がるというのが、どれだけの脅威だというのだろうか。」(122頁)と池田さんは疑問を呈している。
前に、ゼミで「北極のシロクマさんがかわいそう」と言う女子学生がいた。
その気持ちもわからぬでもないが、シロクマさんたちだって10万年前から極地で暮らしていて、4000年前の温暖期だってちゃんと生き延びたタフな生物種なのである。さほど心配するには及ぶまい。
それにキミだって、北極でばったりシロクマさんと遭遇したときには、クマさんのすみやかな消滅を神に祈念するであろう。
人生は(熊生も)ケース・バイ・ケースだ。
環境問題はむずかしい問題である。
というのは、それについて何を発言しようと、その当否がとりあえず今ここでは検証できないからだ。
何を言おうと、その真偽は「未来」(うっかりすると100年後)にしならないと判定されない。
だから、この問題については、誰もが「言いたい放題」なのである。
とはいえ環境問題について発言する人々のうちの誰の言が信用に足るかを判定することは不可能ではない。
それは「私の言っていることの当否は今ここでは検証できない」という留保条件をつねに忘れない人である。
だから私に向かって「ふざけたことを言うな」と反論してくる人がいても、彼または彼女が「自分は環境問題についてどうふるまうべきかを知っている」という前提からそう発言する限り、私はそのような言は一顧だにしないのである。
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