「政治的に正しいこと」は正しいのか?

2008-03-16 dimanche

バリ島海水浴でばりばりに日焼けした上にスキー焼けしたので、季節感のない色黒男になってしまった。
むかしはこういうのを「くろんぼ大会」と称したのであるが若い人はご存じないであろう。
1960年代までは夏休み明けに一番黒く日焼けした子どもを学校で表彰していた。
たいへんよい企図のものであったと思うのだが、「くろんぼ」がご案内のとおりポリティカリーにコレクトではないということで使用禁止用語となり、ついでに「よく遊んだこと」を肌の黒さを基準に考量し、これを讃えるという風儀もまた失われたのである。
ポリティカル・コレクトネスによる用語制限によって私たちが得たものと失ったものはどちらが多いのか、ときどき疑問になる。
自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣を定着させたという功績はむろん高く評価されねばならぬ。
だが、PC の難点は「自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣に伏流するイデオロギー性」の検出にはほとんど知的リソースを備給しないという点にある。
わかりにくくてすまない。
要するに、PC 的なことを大声で言うやつは総じて頭が悪いということである。
頭が悪いことと邪悪なことではどちらがより有害であるかについては意見の分かれるところであるが、アナトール・フランスはこの論件についてたいへん適切な言葉を残している。
「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなることがあるが、愚鈍な人間はつねに愚鈍なままである。」
そういえば先日「丸坊主」と書いたら、「PC 的に不適切用語です」という校閲からのチェックが入った。
ちょうど山本浩二くんといっしょにお茶を飲んでいるところだったので、いったいどこが不適切であるのかについてしばらく意見交換した。
「丸」は PC 的に問題ではないであろうから、不適切なのは「坊主」の方なのであろう。
しかし寡聞にしていつから「坊主」が活字にしてはならぬ語に登録されたのか私は知らない(その経緯を知っている人がいたらご教示ください)。
たしかに「坊主」には貶下的なニュアンスがあるのは事実である。
「三日坊主」とか「腕白坊主」とか「生臭坊主」とか。
そもそも年少のものを呼称するに僧侶の称を流用するという習慣自体が「僧侶一般」に対する世俗の人間たちの ambivalent な感情抜きには説明できない。
だが、僧侶を両義的にみつめるまなざしはすでに平安時代から存在したのである。
つまり、「坊主」というのは「その本義とは違う不適切な含意をともなう語」として古来使われてきた語なのである。
その語義を昨日今日ぽっと出てきた「良識」で使用禁止にしてよろしいのか。
それが「正しい」ということになれば、およそ敬意と嫌悪の両義を含むすべての語は使用を禁じられねばならないことになる。
私は一昨日所用のために警察署に行ったが、その窓口で警察官は私を「ご主人さん」と呼んだ。
「ここにハンコ捺して、証紙貼って持ってきて」
「ご」も「主人」も「さん」もどこにも貶下的な語義はないが、その語はあきらかに「市民を敵視する」トーンで使われていた。
「あのですね、こっちは『ご』に『主人』に『さん』と三段構えで敬語使ってるわけですよ。市民に対する公僕の『お仕えする』という姿勢をアピールするために。これなら文句のつけようないでしょう? え? まだ足りないの?『お市民さま』の方がいい?」
こういうのはよろしくないと私は思う。
おそらく警察庁内部の知恵者が「年齢にかかわらず男性は『ご主人さん』、既婚未婚の別なく女性は『奥さん』と統一的に呼称しておけば、まず PC 的批判は受けずに済むでしょう」というようなことを提言して、そういうことが内規化されたのであろう。
しかし、私は「ご主人さん」と呼ばれて、飲み屋で「社長」とか「大将」とか呼ばれたような嫌な気分になった。
「社長」も「大将」も、「ご主人さん」も社会的地位についての指示記号である。
そして、私は使用人を持たない未婚の男子であるから、誰からも「ご主人さん」と呼ばれる立場にない。
誰からも「ご主人さん」と呼ばれる立場にない人間に対して平然とそのような呼称を用いるのは、あきらかに非礼である。
「ご主人さん」が貶下的含意をもつのは、そのような指示記号が明らかに事実を指示していない場合にあえてその呼称を用いることで「要するに、お前が社会的に何ものであるかなんてことに、オレはぜんぜん興味ないわけよ」というメッセージを発信しているからである。
あらゆる名詞は「その名詞を用いても、指示対象についての情報が少しも増えない」場合には貶下的含意を持つことができる。
悪意は語義のレベルにあるのではなく、文脈にある。
ポリティカリーにコレクトな「言葉の検閲者」たちを私が嫌うのは、彼らの言語の機能と本質についての理解があまりに浅いからである。
使える言葉をいくら規制しても、使う人間に悪意がある限り、言葉は語義を離れて攻撃的に機能することができる。
現に私は「ポリティカリーにコレクトな人々」という語をもっぱら「頭の悪い人」という意味で用いている。
おそらくこの用例もやがて日本語の語彙に登録されて、「ポリティカリーにコレクトな」という形容詞そのものが「不適切語」として校閲にチェックされる日が来るであろう。
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