センター入試の二日目に試験監督に大学に出かける。
センター入試の試験監督をやるのもあとこれを入れて4回と思うと、この仕事もなんとなく「いとおしい」感じがする。
マニュアル通りに説明をして、あとは60分間黙って試験監督である。
居眠りをするわけにもゆかないし、本を読むわけにもゆかない、原稿を書くわけにもゆかない。
黙って虚空をにらんで 60 分間過ごすのである。
しかたがないので空想をする。
でも、このときにあまり愉しい空想をして「ぐふふ」などと含み笑いなどするとすぐに受験生からセンターに電話があって、「うちの試験会場の監督者は試験中に『ぐふふ』などと気色の悪い笑い声を発していたので、気になって試験に集中できませんでした」というようなタレコミがなされて、学長が陳謝せねばならない仕儀に立ち至ったりする可能性があるので、無表情で空想をせねばならぬ。
空想というものをした方はご存じであろうが(世の中には「空想が不得手」という方が意外に多いのだが)、空想というのは表情や身体の動かし方が「空想中の登場人物」と同調していないとうまくはずまない。
ハワイの紺碧の青空を見上げながら、iPod で『フィガロの結婚』を聴きながら、ピナコラーダを飲んでいると、かたえの美女が・・・というような空想をまったくの無表情で行うことは至難のわざである(嘘だと思うならやってみたまえ)。
しかたがないので合気道の技のイメージトレーニングをする。
しかし、これもつい手足が動いてしまい、近場の受験生から「じろり」と睨まれる。
やむなく、頭を完全に空にする稽古をすることにする。
ただちに睡魔が襲ってくる。
受験生諸君も気の毒だが、監督者もとっても気の毒なのである。
以前、どこかの試験場で、携帯電話の電源を切らずに会場に持ち込んだ監督者がいて、その人はあろうことかその場で電話に出て応対してしまった。
あるいは試験監督中に居眠りをして、そのいびきがうるさくて試験に集中できなかったという抗議を受けた人もいた。
そういう話がたくさん「監督者心得」に「やってはならない事例」として紹介されている。
毎年監督者心得でおのれの失態を全日本数万人の大学教職員に周知徹底される立場になったこの方々の心の内を思うといささか胸が痛む。
それにしてもいろいろな受験生がいる。
駿台予備校にいた頃、模試は座席指定なのだが、私の隣にいたお兄ちゃんは試験がむずかしくて難渋してくると、「うお〜」と叫びながらシャツを脱いで、下着一枚になるという癖があり、これには閉口した。
私は試験ができてもできてなくても、退室してよい時間になると「すっく」と立ち上がり、がりがり書いている同輩たちを睥睨して、いかにも「なんだよ、こんな簡単な問題に何時間かけてんだよ」といわんばかりの厭味な表情で教室をみまわして、「がちゃり」とドアを開けて出て行ったものである。
そうやって同輩諸氏の「やる気」を減殺することの方がない知恵を絞って答案を埋めるよりも模試の順位を上げる上では効果的であろうと判断してのことであったのだが、果たしてほんとうに効果があったかどうかはわからない。
いずれにしても「合法的にはた迷惑」であるということは受験生にとっては受験を勝ち残るための一つの技術であるのだから、この方面について選択的に能力が高まることは避けがたいのである。
昨日の試験会場でも散見されたが、休憩時間に「余裕をかます」というのも「合法的はた迷惑」のリファインされた様態の一つである。
防寒のためと称してザブトンとか膝掛け毛布とかドテラとか妙に生活感のあるものを持ち込むのも効果的である。
私は東大の二次試験のときに(真冬なのに)サングラスに葉巻を咥えて、タクシーで東大正門前に乗り付けた。
だから「そういうこと」をする人の気持ちがよくわかるのである。
がんばれ受験生!
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(2008-01-21 11:24)