ビジネスマンに大学は経営できるのか?

2008-01-22 mardi

ご案内のとおり、日本の大学は数年前から淘汰プロセスに入っている。
その一方、大学設置基準が緩和されたせいで、新設大学、新設学部学科はラッシュ状態である。
しかし、私自身はこの数年に相次いで登場した新設大学、新設学部の相当数は遠からず経営破綻するだろうと予測している。
2007 年4月に開学したばかりのサイバー大学(ソフトバンクが出資した、すべての授業をインターネットで行う大学)に文科省から勧告が入った。
620 人いる在学生のうち 180 人について本人確認をしないで単位を与えようとしていたせいである。
いちいち福岡まで来てもらって、面接をして本人確認をするような手間ひまをかけるならインターネットを活用しているメリットがないと判断して、本人確認を怠ったのであろう。
なるほど。
ごもっともな判断である。
だが、サイバー大学の経営者にひとつお聞きしたいことがある。
みなさんだって、本人確認をしないでクレジットカードを渡すクレジット会社とか、本人確認をしないで書留を手渡す郵便局とか、本人確認をしないで定期預金の解約をする銀行とかは「信用できない」と判断されるであろう。
私だって信用しない。
ではどうしてみなさんは本人確認しないで大学の単位(それは学位とともに、大学の信用供与のしるしである)を出したのか?
理由は簡単である。
単位を「商品」だと思っていたからである。
値段が折り合うならその商品を買い取りたいというクライアントがいる。
買いたいというのだから、売ればよい。
スーパーにキュウリを買いに来た客に「本人確認したいから身分証明書を見せろ」とは誰もいわない。
キュウリをどう料理しようと、刻んでパックにしようと、河童釣りの餌にしようと、それはクライアントさまのご自由であって、売り手のあずかり知らぬことである。金さえきちんと払ってくれれば、ノープロブレムである。
「単位が欲しい」という客に単位を売って何が悪いという理屈である。
それは「学位が欲しい」という客に学位を売って何が悪い・・・という理屈で「ディプロマ・ミル」(学位工場)というものがアメリカにたくさんあるのと同断である(日本にも出店がある。先週の『週刊現代』でそういう大学で学位を買った大学教授たちの実名リストが出ていた・・・そういえばサイバー大学の学長もそのリストに名前があった)。
ビジネス的にはそれでぜんぜん悪くない。
ご案内のとおり、単位なんてただの数値である。
それを124コ集めると「学士号」というものと交換できる。
コープさんのポイントカードみたいなものである。
ただの数値を金を出して買いたいという奇特な買い手が現にいる。
だから、売りましょうという人が出現する。
市場の自然である。
それは合法的かどうかは知らないが、間違いなく「ビジネス」である。
けれども、私はそれを「教育」とは呼ばない。
教育というのは知識や技術を「ばら売り」することではないからだ。
知識や技術の伝授という外形的な関係を経由して、「それとは違うこと」を学ぶのが教育である。
知識や技術は商品化できる。単位も学位も商品化できる。
けれども、「それとは違うこと」は商品化できない。
それは師弟の対面的な関係の中で一回的に生起し、師弟二人のほかに誰もが経験することのできない唯一無二の「出来事」だからである。
誰にとってもその有用性や価値がわかっているものだけが「商品」になる。
一方、弟子はその師から「私以外の誰にもその有用性や価値が理解されないもの」を学ぶ(そうでなければ、「私」がこの世に存在し、その人の弟子である必要がないからである)。
だから、師弟関係で授受されるものは原理的に商品にならない。
そういう基礎的な知見をわきまえないビジネスマンたちが教育事業に参入してきた。
教育の真のコンテンツは「商品化」できないということに彼らはいつ気づくのだろうか。
たぶん自分たちの大学がつぶれたあとになっても、気づかないだろう。
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