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宴会週末

日曜が仕事だったので、土曜日の受賞祝賀会は二次会で切り上げて、早めに帰る。
橘さんセレクションのワインとブランデーが2ケースにシャンペンクーラーがあったので、かんちきくんに手伝ってもらってタクシーで帰る。
その祝賀会でもっともつよく記憶に残っているのは、「セトッチとおいちゃんの足元しか見ないダンス」(パンク・ミュージックではこのポーズのことをShoe gazer と呼ぶと以前に増田くんに教わったことがある)と「ほとんどカール・ウィルソンみたいなドクターのファルセットとお気楽ダンス」と「甲南麻雀連盟会歌三番を聴いているときのかんちきくんの上気した頬」である。
総じて「かわいい系」の情景が私の記憶には選択的に残されるようである。
会の詳細については、ウッキー青山さんのブログ日記にも証言が記されているのでそれを参照されたい。
発起人のみなさまの氏名をここに記して、感謝の意を表したい。
江“だんじりエディター”弘毅
山本“画伯”浩二
釈“老師”徹宗
川上“歌う牧師”盾
佐藤“ドクター”友亮
飯田“イーダセンセイ”祐子
堀埜“社長”浩二
青山“青ちゃん”ゆみこ
橘“哲学するソムリエ”真
古橋“ウッキー”右希。
ご参列くださったかたがたの全員の氏名を記しておきたいところであるが、60名分書くと大変なので、ご海容を願いたい。
川上先生の連盟会歌、トリビュートソング、『バーバラ・アン』と、エグッチ作詞、ウッキー指揮の『ウチダの分身』は機会があれば(ないが)ぜひCD発売していただきたいものである。
とにかく私のこれまでの人生でもっともハートウォーミングな宴会であったということはここに大書して感謝の意を表するのである。
とりわけ仕切り役の堀埜さん、青山さんとその下で奔走してくれた神吉くん、大迫くん、藤田くんの「むかしのミーツの丁稚どんトリオ」の「雪かき仕事」ぶりには一同深く感銘を受けたのである。
ありがとね。

日曜は東京の青山ブックセンターで柴田元幸さんとの「村上春樹論」。
『村上春樹にご用心』の刊行記念で、柴田さんと1時間半、かの文豪の文学史的重要性を徹底検証するという野心的なプログラムである。
柴田さんと対談するのは3回目(去年の夏にDHCで翻訳の話、今年の五月に日本英文学会でアメリカ文学の話)。
柴田さんとは話のリズムが節目でぴしりぴしりと合うので、話がだんだん深くなる。
自分でもそんなことを考えているとは思わなかった考想がふと脳裏に浮かぶのは、柴田さんのようなすぐれた対話者を得たことの効用である。
私の村上春樹論の軸は「『存在しないもの』のもたらす魅惑と恐怖は文化的な地域性を超えて汎通的である」というものである。
これは私のレヴィナス論の核になる考想であり、(昨日わかったのであるが)小津安二郎論の核でもあった。
どうして私が「存在しないものがすべてを意味として編制する」という逆立した議論に惹きつけられるかというと、それが「実証的な研究」の意味についての再考を迫るからである。
もちろん実証的な研究は学術的に大きな意味をもつ。
けれども、実証的研究に「はまる」と、しばしば学者たちは「存在するものがすべてを意味として編制している」というチープな物語を信じるようになる。
一般に、学者というものは学術情報の蓄積がある閾値を超えたところで「ワイルドでカラフルな仮説を立てる人」と「重箱の隅をつつく人」に二極化する。
それまで自分が蓄積してきた学術情報が「次のレベル」へジャンプするための「カタパルト」とみなして、それを「踏み台にして棄ててゆく」人と、それまで自分が蓄積してきた学術情報を「お宝」とみなして、それを退蔵して飾り立てる人の二種類にわかれるのである。
残念ながら、90%の学者は後者である。
原理的に言えば、あらゆる学術情報は「棄てるため」にある。
必死になって研究するのは、その研究成果が「実は無意味」なものであるということを確認するためなのである。
「無意味なことはできない」という人間は学者には向かない。
あまり知られていないことであるが、私たちにとって「意味のあること」の有意味性はどのように構築されているかではなく、私たちにとって「無意味なこと」の無意味性はなぜ知的に把持され得ないのかを問うことが根源的に学術的な知性のあり方なのである。
真の知性は「存在しないもの」、私たちの意識から絶えず逃れ去ろうとするもの、知性が把持することのできないものを選択的に追う。
実証的な研究というのは『冒険者たち』でアラン・ドロンとリノ・バンチェラが忍耐づよくしていたように「この海域に宝はない」ことを確認するために行うものなのである。
そして、物語が教えるように、「宝を発見した日」ではなく、「『この海域に宝はない』ことを確認しているルーティンの日々」こそが(ジョアンナ・“レティーシャ”・シムカスを含めた)三人の冒険者たちにとって至福の時間だったのである。
実証研究の手柄はそこにあり、そこにある。
講演のあと、聴きに来てくれた平川くん、都甲くん、大和田くんらをまじえてプチ宴会。
“邪魔女”サトウ、“IT秘書室長”フジイなど、在京ゼミ卒業生も応援にきてくれる。
みなさん、どうもありがとう。
『村上春樹にご用心』はよく読むと、なかなか滋味深い本であります。
買ってくださいね~

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2007年10月24日 09:41 に投稿されたエントリーのページです。

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