卒論中間発表です

2007-10-10 mercredi

卒論の中間発表がある。
うちのゼミ生は15人なので、正午から始めて終わったのが午後6時過ぎ。
ふう、疲れた。
でも、面白かった。
女子学生たちの選ぶ論題は「身近なもの」が多い。
「食の崩れ」「家庭崩壊」「学力低下」「ニート」「おひとりさま」などなど・・・
中には「映画の構造分析」や「存在するとは別の仕方」というようなちょっと抽象的な主題を扱う学生もいる。
いろいろ。
別に何だっていいんだよ。
メディアで流布している「説明」に対して「ちょっと、それは違うんじゃないのかな・・・」という違和感があるときに、自分を納得させることのできる、身体的な実感のあることばを自力で書いてみること。
それがたいせつだ。
誰かの語る「正しい説明」を丸暗記して、腹話術の人形のように繰り返しても、あまりいいことはない。
「正しい説明を丸暗記して、そのまま繰り返すのは間違っている」のではない(だって「正しい」んだから間違っているはずがない)。
そうではなくて、「あまりいいことがない」のである。
「正しいこと」と「いいこと」は違う。
「正しいこと」はしばしば多くの人を不幸にするが、「いいこと」の場合は(定義上)いいことしかないのが手柄である。
レヴィナス老師のたいせつな教えの中に「世界を一気に救おうとする考えは人間の人間性を損なう」というものがある。
すべての不幸を解決する「最終的解決」の方法を私は知っているという人間を信じてはいけないと老師は教えている。
というのは、あらゆる不正がただちに罰され、あらゆる誤謬がただちに訂正される完璧な社会が実現したら、個人の仕事がなくなってしまうからだ。
政府がすべての弱者を救う完璧な福祉社会に生きる人は「身銭を切って」弱者に手を差し伸べる必要がなくなる(だって、その仕事は行政が個人がやるよりはるかに手際よくやってくれるからだ)。
100%倫理的な社会システムの中で生きる人は心おきなく自己利益の追求を最優先することができる。
同じように、あらゆる悪事を警察がただちに発見して処罰する社会システムでは、目の前でどのような凶行がなされていようとも、私たちは安心してそれを拱手傍観することが許される。
だって、すぐに警察がやってきて、てきぱきとワルモノを逮捕してくれることが確実だからだ。
何も自分がしゃしゃり出て、「やめたまえ」などと言う必要はない。
だから、『月光仮面』的な正義が成就している世界では、(ドラマの中で子どもたちがまさにそうしたように)、悪事が起こると人々は「月光仮面はやく助けに来て〜」と泣訴するだけで、ヒーローの登場が少しでも遅れると「バカヤロー、この役立たず! おまえなんかもうヒーローじゃないやい」と石を投げたりするのである。
老師が教えているのは、世界に少しでも「よいこと」を積み増ししたいと思うなら、「ほうっておいても、どんどん世界をよくする非人称的なシステム」について考えるよりも、とりあえず自分の足元のゴミを拾いなさい、ということである。
老師はこう述べておられる。

「正義は一つところにとどまるものではなく、正義は開かれたものであるというふうに考えることが、世の中をすこしずつよくしてゆく叡智そのものにとって重要なのです。ある社会を一気に慈愛深いものにしようとか、慈愛が支配する体制を一気に打ち立てようとかすることは、スターリン主義の危険を増すことです。(…) スターリン主義とはつまり、個人的な慈悲なしでも私たちはやっていけるという考え方なのです。慈悲の実践にはある種の個人的創意が必要ですが、そんなものはなくてもすませられるという考え方なのです。そのつどの個人的な慈愛や愛情の行為を通じてしか実現できないものを、永続的に、法律によって確実にすることは可能であるとする考え方なのです。」(『暴力と聖性』、127-8頁)

脚下照顧。
多田先生の教えといっしょである。
武道についても哲学についても、師たちの教えは同じである。
一つの問題に対して正解は一つしかない、というのが「正しい理説」の構えである。
「正しさいろいろ」ということはありえない。
全員が同一の「正しさ」に帰一することを「正しい理説」は求める。
困ったことに、正しい理説は一つしかないので、その宣布者はしだいに個体識別がきかなくなる。
「正しい理説」のピットフォールは「正しい理説の宣布者」はいくらでも替えがきくということである。
キミなんかべつに存在しなくてもいいんだよ。だって、いくらも替えがいるから。
と言われても反論できないというのが「正しいこと」を言い続けることのコストである。
「正しいこと」を言うのは、だから本人にとってはあまり「いいことばかりじゃない」のである。
私が「正しいこと」は「いいこと」とは違う、というのはそういう意味である。
私は学生たちも「キミは正しい人だね」と言われるよりは、「キミはかけがえのない人だ」と言われる方がこの先幸福な人生を送れるだろうと思っている。
別に私がそんなことを思わなくても、学生諸君はてんでかってにそれぞれの個性を爆発的に開花させてくれているけれど。
家にもどって、ドンペリを開けて、学生たちと寄せ鍋、鉄板焼きなどを貪り喰う。
徹夜明けの子たちもいて、異常にハイテンションである。
お腹がいっぱいになったころに、バースデーケーキが出て来て、みんなでハッピーバースデーを歌ってくれる。
うるうる。
猫柄のネクタイと猫柄のキーケースと猫柄の寄せ書きをいただく。
よい子たちである。
この子たちともあと半年でお別れである。
うるうる。
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