小林秀雄賞の授賞式がホテルオークラであるので、東京まででかける。
午前中にゼミをひとつ済ませて、1時からの会議を25分で終わらせて、タクシーに飛び乗る。14時27分ののぞみで品川へ。
品川駅のホームに新潮社の足立さんが待っていてくれるので、そのままハイヤーで会場へ。
ハイヤーというのは私のようなものはとんと乗る機会のないものであるが、たいへんに乗り心地のよろしいものである。
ひとから「先生、先生」と呼ばれ、「ハイヤーをお回しします」というようなサービスをされることに鷹揚に「うむ、すまぬのう」などと応えているうちに、だんだん人間として堕落してゆきそうな気がする。
だが、刻苦勉励人格陶冶に励むのと、ちやほやされているうちに人間としてダメになるのでは「どっちがいい?」と訊かれれば、私は答えに迷わない。
ぐふぐふ、乗り心地がよいのう。
会場の控え室で甲野善紀先生、名越康文先生にお会いしてご挨拶。
名越先生はご令息誕生以来はじめてお会いするので、お祝いを申し上げる。生後3ヶ月の由。
選考委員代表でスピーチをしてくださる橋本治さんがスーツで登場。
いつもTシャツにジーンズの橋本先生であるが、今日は「ベルサーチが生きていたころのベルサーチ」のスーツをご着用である。
エッセイにも書かれているように、橋本先生はベルサーチのワードローブを1シーズン350万円、3シーズン分締めて1000万円ご購入という無謀な買い物をされたことがある。
たいへんお似合いである。
関川夏央さんがいらしたので、さっそくビジネスライクに仕事の打ち合わせ。12月13日に「メディアと知」の授業においでいただくことになる。
釈老師、山本画伯と森永さん、平尾さんたちが続々おいでになり、会場に移動。
最初に新潮社の佐藤隆信社長のご挨拶があり、それから橋本さんが選考委員を代表して、『私家版ユダヤ文化論』についてご講評。
「二十歳のときに、メルロー=ポンティとカルロ=ポンティのどちらの名前を先に知ったかで人生は不可逆的な分岐をたどる」という橋本先生の持説をマクラに、ユダヤ文化論は「続編が書かれねばならぬ」という重要なご指摘を頂く。
レヴィナス三部作の「時間論」が橋本先生のご期待に沿うものとなるとよいのだが。
副賞と目録(和光の置時計)を頂き、ひとこと謝辞を申し述べる。
ユダヤ文化論は「私家版」とタイトルにあるように、私の個人的な学問的歴程をかなり忠実に映し出したものである。
ブランショについての修士論文の中のユダヤについての言及の浅さを竹信悦夫に指摘されて「ユダヤは奥が深いぞ」という畏友のことばに背中を押されて、ユダヤ教思想と反ユダヤ主義の研究を始めた。都立大時代の15年は「ユダヤ漬け」だったと言ってよいだろう。
その後レヴィナス先生の翻訳だけは続けたが、次第にユダヤとは疎遠になっていた。
それが何の因縁か2005年に女学院の授業でふと「ユダヤ文化論」を半期担当することになり、それまでの研究のうち、ユダヤの「ゆ」も知らない女子学生たちにもわかるような論件を選びだして講義をした。その、講義ノートがもののはずみで『文学界』に連載されることになり、それがやがて文春新書になった。
その仕事が養老孟司、橋本治、加藤典洋、関川夏央という私の敬愛する先輩(というよりアイドル)たちと、堀江敏幸という若く怜悧な作家に認めていただいた。
橋本さんが私の仕事について論評しているのを聞きながら、不思議な感じがした。
喩えて言えば、ジョン・レノンに「ウチダくんの作ったこの曲のコード進行の独創的な点は・・・」と解説されるのを聴いているアマチュアバンドのギタリストのような気分といえばよろしいであろうか。
ほっぺたをつねりたい気分、ということである。
なんで、私はこんな場所にいるのか。
よくわからない。
私が来たくて来た場所ではない。
みんなにひっぱられて、気がついたらこんなところでこんなことをしているのである。
「ご縁」の不思議である。
新潮ドキュメント賞の受賞作は福田ますみさんの『でっちあげ』.
こちらの選考委員は藤原正彦、藤原新也、櫻井よしこ、柳田邦男、柳美里。選考経過について藤原新也さんが話す。
福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』と最後まで競ったそうである。
そうか、福岡さんが受賞していたら、ここでお会いできたんだなあと思う。
授賞式が終わってパーティになる。
このような晴れがましい席は私には生まれてはじめてである。
私は高校は卒業してないし、大学は入学式も卒業式もなく、入社式も結婚式も、およそ「式」という名のつくものをしたことがない。
これまでいちばん盛大に祝ってもらったのは50歳の誕生日で、このときは同窓会館を借りきって、合気道部員全員が SF 超大作やミュージカルを演じてくれた。
というわけで、家族のほかに何人かの友人と共著者のみなさんにお集まりいただいた。
この授賞式の次にこの方々が顔を合わせるのはおそらく私の葬式であろうと思われる。
友人は平川くん、山本画伯、釈老師と江さん。
平川君と釈老師はそれぞれ『東京ファイティングキッズ』、『いきなり始める浄土真宗』の共著者であり、画伯は私の長年にわたる「パートナー」である。江さんには「関西地区のすべての友人を代表して」というかたちでお越しいただいた。
川上牧師には行きの JR 西宮駅でばったりお会いした。翌日東京で用事があるということなので、それならぜひ授賞式にも来てくださいとお誘いしたので、平尾さんを入れて甲南麻雀連盟の会員だけで5人になってしまった。
共著者としておいでいただいたのは
鈴木晶(『大人は愉しい』)、三砂ちづる(『身体知』)、甲野善紀(『身体を通して時代を読む』)、名越康文(『14歳の子をもつ親のために』)、春日武彦(『健全な肉体に狂気は宿る』)、平尾剛(『合気道とラグビーを貫くもの』)、小田嶋隆(『九条どうでしょう』)の諸氏。
共著者で拝顔の機会を得られなかったのは松下正己くん(『映画は死んだ』)と池上六朗先生(『身体の言い分』)と町山智浩さん『九条どうでしょう』)。
池上先生は最上さんといっしょに来てくれるはずだったが、日程が講習会と重なってしまい、無念の欠席。
町山さんはカリフォルニアから毎日新聞の中野さんにお祝いメッセージを託してくれた(どうもありがとうございます!)
難波江和英(『現代思想のパフォーマンス』)さんはお父上の介護でお疲れなので、声をかけなかった。
選考委員でもある養老孟司先生(『逆立ち日本論』)は一年前からブッキングされていた講演があって残念ながらご欠席。
小田嶋さんはブログで書かれているようにテレビの毒に当たってしばらく調子が悪かったようだし、こういう賑やかなところにはあまり出てこられない方なのであるが、私のためにわざわざ会場までお運びくださった。ありがたいことである。
高橋源一郎さんも『ワンコイン悦楽堂』の共著者だから、共著者リストに入れておくべきだったけれど、当然新潮社から招待状が送られるだろうと思って、ご本人に確認するのを忘れてしまった・・もしかして、招待状がいってなかったら、ごめんなさい!
それにしてもずいぶんいろいろな方々と共著を出したものである。
「共著好き」というのはいったいどういう性向なのであろうか。
自分のバンドでオリジナル曲をごりごりやるよりも、ひとのバンドに「トラ」で入って、むこうの色に合わせる仕方をあれこれと工夫するというのが性に合っているのかもしれない。
レッキング・クルー・タイプの物書き。
私がハル・ブレインに惹かれるのはそのせいかもしれない。
なるほど。
各出版社の方々と名刺を47枚交換する。
小林秀雄の著作権継承者である白洲明子さんにご挨拶をする。
白洲明子さんは白洲次郎と正子ご夫妻のお嬢さんである(知らなかった)。
『新潮』時代の小林秀雄の担当編集者、小林秀雄全集の編纂者などという「生ける文学史」のような出版人の方々ともご挨拶をする。
散会の直前にようやく名刺交換攻勢が一段落して、母兄るんちゃんのいる席に行って、ビールを一杯のみ、寿司をつまむ。
るんちゃんとは3月20日のアゲイン以来である。
ども、と親子で軽くご挨拶する。
るんちゃんが「お祝いカードだよ」とジャケットのポケットにカードを一枚そっと入れてくれる。
ありがと。
ゼミのタムラくんが朝日のコバヤシさんに連れられて来ていて、花束をもらう。
それまで社交的笑顔をふりまいていたのであるが、急に教師の顔にもどって「タムラくん、キミは火曜日の卒論中間発表の用意はできているんだろうね」と説教モードに切り換える。タムラただちに逃走。
逃げ足のはやい学生である。
二次会は赤坂のスペイン料理屋。
最初は30人くらいの予定で場所をおさえたのであるが、最終的に50人を超えてしまい、立錐の余地もなし。
関川夏央さんが乾杯の音頭を取ってくださって会が始まる。
医学書院のワルモノ白石さん、鳥居くん、杉本くん、バジリコの安藤さん足立さん、ミシマ社の三島さん、大越くん、講談社の小沢さん、岡本さん、佐藤さん、『週刊現代』の加藤編集長、文春の山ちゃん、角川の伊達さん、江澤さん、アルテスの鈴木さん、船山さん、魔性の女フジモト、京都から駆けつけてくれた橋本麻里さん・・・とまあ、ずいぶんたくさんの編集者たちと仕事をしてきたものである。
来てくださったみなさんに順番にご挨拶しようと思うが、一箇所で話し始めると、あまりに面白いのでそのまま20分くらい話し込んでしまう。
甲野善紀先生、三砂ちづるさん、名越康文先生のテーブルで「解離性人格障害の多発の社会的原因」について語ったあとに、堀江敏幸さん、加藤典洋さん、春日武彦さんのテーブルでは「石原慎太郎を訴える原告団メンバーである私が都庁での講演に呼ばれた話」。
どうにも切りがない。
たちまち2時間余が過ぎ。
平川くん、釈老師からご懇篤なスピーチがあり、川上牧師が「ウチダのためのトリビュートソング」をアカペラで御披露くださり(これは20日の神仙閣の祝賀会で「甲南麻雀連盟会歌」とともに御披露くださるそうである)、版元文春から「『マルコ・ポーロ』廃刊のユダヤトラウマがこの本の受賞で癒されました」というちょっぴり切ない謝辞があり、最後に私が「こんなにたくさん人が集まってくれたのはひとえに私の人徳の賜ではないかと思わせてくれて、みなさんどうもありがとう」というなんだかよくわからない謝辞を申し述べる。
最初から最後まですべてを取り仕切ってくれた新潮社の足立真穂さんにこの場を借りてお礼を申し上げますとともに、個人的に「ザ・ベスト・エディター・オブ・ジ・イヤー」の称号を贈りたいと思います。
足立さん、ほんとにどうもありがとう。
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(2007-10-07 10:07)