『卒都婆小町』の分析的効果

2007-09-18 mardi

湊川神社に神戸観世会の別会に出かける。
下川先生が『卒都婆小町』を披かれるのである。
『卒都婆小町』というのは100歳の乞食女になった老残の小野小町が旅の僧を相手に才知の片鱗を見せるのだが、そこに小町に焦がれ死にした深草少将の霊が憑依して、なんだかすごいことになってしまう・・・という話である。
小町に少将が憑依する瞬間が実に劇的である。
地謡の「今は路頭にさそらひ。往来の人に物を乞ふ。乞ひ得ぬ時は悪心、また狂乱の心つきて。聲変わりけしからず」を請けて、それまで深く沈んだほとんど思索的だった老女の声だったのが、いきなり「なま」な欲望剥き出しの声に変わる。
「なう物賜べなうお僧なう」(ねえ、なんかちょうだいよ、お坊さん)。
まず食欲を示したのち、「小町が許へ通はうよなう」と次は性欲が剥き出しにされる。
静から動へのこの落差が能の序破急のかんどころである。
下川先生の「なう」では見所全体が「びくっ」としたのが私にも感じられた。
私の前の席では7人の学生が並んで観能されていて、そのうちの6人が小町と僧の問答のところで次々と頭を垂れて熟睡に入られていたが、この「なう」で全員起床。
別に声が大きくなったというわけではない。
音質が変わったのである。
同一人物からは同一の声しか出ないという前提で私たちは暮らしているので、同一人物が別人の声を出すとそれだけで現実世界の秩序に亀裂が走る。
眠っていても、秩序に亀裂が走ったことは人間には感知できるのである。
そのあと、深草少将に憑依された小町が立烏帽子に狩衣姿となって物狂いの舞を舞い納めて「悟りの道に入らうよ」となって物語は終わる。
『卒都婆小町』を見るのは二度目であるが、これが解離性人格障害の症例であることに今回気づいた。
能と精神分析というのはもう語り尽くされたテーマであるが、それにしても中世の日本人は現代人よりも人間の狂気の構造と対処法についてははるかに理解が深いように思われる。
小町に憑依した少将の霊というのはもちろん小町の解離した人格であって、そのようなものは実在しない。
少将を死ぬまで苦しめたという事実に対する自責が小町の人格に統合されなかったために「悪霊」として外面化されたのである。
フロイトの『トーテムとタブー』によれば、愛した人が死んだ後に、自分はその死に責任があるのではないか、その人の死をひそかに願っていたのではないか・・・という自責が生まれる。これを「強迫自責」と呼ぶ。
「愛する人の死を願う」という欲望はこの人の人格に統合されえない(当たり前である)。
だからしかたなく外面化されて「悪魔」や「悪霊」にかたちをかえるのであるとフロイトは説明している。
しかし、この理論だけでは少将に憑依された小町が「憑依されたことによって救われる(悟りの道に入らうよ)」という道筋がうまく説明できない。
私は強迫自責も悪霊憑依も基本的には人格再統合のための迂回ではないかというふうに考えている(フロイトもたぶんそう考えていたはずである)。
人間の自我の安定というのは「適度に不安定であること」によって担保されている。
「オレはすみからすみまでオレらしい」というような堅牢な人格統合のされ方はたいへん脆弱である。
人間の自我というのは欲動のマグマの上に浮いた「浮島」のようなものであるから、多孔的な柔構造をもっていて、急激なショックや異物の混入があっても、なんとなく「ゆらゆら」しているのが機能的にははるかに健全なのである。
ところが、小野小町のような過剰に知的であるために中枢的に自我が管理されている人の場合、「小町らしからぬ欲動」(ぐじゅぐじゅしたストーカー男である深草少将に対する小町自身も気づいていない欲望)がうまく人格統合できない。
当然ながら、彼女自身が「自分のもの」であると認めることのできぬ人格要素は抑圧されて症状として迂回的に表現される。
それが少将の悪霊である。
小町を責めさいなむ深草の少将の霊は「深草の少将は私についてこのような否定的評価を下しているであろう(「小町といふ人は余りに色が深うて・・・あら人恋しや」)という小町自身の想像の産物である。
この深草少将の小町評は、実はそのまま小町自身の抑圧された自己評価なのである。
小町自身は自分が才色を鼻に掛けた最低のタカビー女だということを知っているが、その情報は(それを認めてしまうと気分が悪いので)抑圧されていたのである。
その抑圧が少将の死という契機で急激に症候化する。
それが「悪霊」と小町自身の「老残」である。
「老残」は生物学的事実ではなく、この場合は分析的な意味での症状と解すべきであろう。
「卒都婆小町」の小町は現実には老婆である必要はない。
「卒都婆小町」の劇的状況は深草少将が九十九夜通った後に「たいへんです、今朝方玄関先で少将が行き倒れて死んでました」という家人の知らせを聞いた直後の小町の脳裏を一瞬かけめぐった幻想であってもよい。
というか、その方が分析的には真実に近いであろう。
「卒都婆小町」は深草少将の死を知り、「強迫自責」にとらえられた瞬間の小野小町の心象を切り取ったものである。
このとき、小町の内部では、少将に対する嫌悪感と欲望、おのれ自身に対する自尊と自卑の葛藤が始まる。
少将への無意識的な欲望は深草少将の小町への「悪霊的欲望」として外在化される。
これでふつうなら自我はとりあえず安定を回復するはずである。
しかし、フロイトが挙げていたのは「愛する人を失ったときの強迫自責」であって、「愛していない人(けれども無意識には欲望していた人)を失ったときの強迫自責」の症例ではない。
『卒都婆小町』の場合は欲望の外在化だけでは症候が緩解しなかったのである。
それだけ葛藤は複雑で根が深かったのである。
それゆえ、もう一つの症状が必要だったのである。
それが「老残」である。
「食欲と性欲のことしか頭にない老婆である小町」の姿は小町の自己卑下・自己否定の人格要素が解離して構成された、これもまた一つの悪霊である。
少将の悪霊は「私の中には少将に対する抑圧された欲望が存在した」ということを認めない限り消えない。
同じように、「老残」の苦しみは「食欲と性欲のことしか頭にない老婆」もまた私のありうべき姿であるという事実を受け容れることでしか緩解しない。
能の最後に「悟り」が得られたということは、小町がその二つを受け容れたということである。
同一対象にたいする嫌悪と欲望、愛と憎しみ、生と死が同居することが人間の自然であり、人性の常態なのだということを悟ったときに、小町の自我は「不安定のうちの安定」、「バランスのよいバランスの悪さ」を回復する。
だから物語の最後の「これに就けても後の世を。願ふぞ眞なりける。砂を塔と重ねて黄金の膚こまやかに。花を佛に手向けつつ」というときの「黄金の膚」は分析が無事終了して「ああ、よかった。やっぱりまだお肌つるつるだわ、私」と安堵した小町の実感と解釈してよろしいであろう。
中世日本にはフロイト=ラカン派の分析者は存在しなかった。
代わりに能があった。
当時能は一日五番が演じられた。
五番ということは、「五種類の狂気とそれからの回復の物語」が一日のうちに演じられたということである。
おそらく当時の人々はそのうちのどれかもっとも自分の症状に近い曲のシテに無意識に同一化することによってそれと知らずに自己分析を果たしていたのであろう。
能を見るたびに中世の日本文化の人間についての洞察の深さに驚かされる。
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