日本語壊滅

2007-05-09 mercredi

産経新聞が「大丈夫か日本語」というシリーズ記事を掲載している。
たいへん興味深い記事があったのでご紹介したい。
まずは携帯メールによる語彙の変化についての研究報告。

日本大学文理学部の田中ゆかり教授(日本語学)は「(携帯メールのコミュニケーションで)新たな語彙を獲得するのは難しい」とみる。そこでのやりとりは親密な間柄の「おしゃべり」に限られるからだ。丁寧な言い回しや敬語といった配慮表現が絵文字や記号に取って代わられることも多く、言葉を尽くして伝える訓練にはならない。
「短文化」も加速している。田中研究室に在籍していた立川結花さんが平成17年、大学生の携帯メール約400件を分析したところ、1件平均の文字数は約30字で、5年前の調査結果の3分の1にまで減っていた。
「相手に悪く思われないためには、30秒以内に返信するのが暗黙のルール。送受信の頻度は上がり、極端な場合、1文字だけのメールがやり取りされることもある」(田中教授)のが実情だ。
独立行政法人メディア教育開発センターは昨年、大学生約1200人の1日平均の携帯メール送受信回数と日本語の基礎学力の相関関係を調べた。「中学レベル」と判定された学生の平均が1日約32回だったのに対し、「高1レベル」は約27回、「高3レベル」は約15回。送受信回数が多い学生ほど日本語テストの点数が低いという結果が出た。
「言葉足らずなやりとりなので、送受信回数は増える。結果として、読書などの時間が削られ、語彙力の低下を招いているのではないか」調査を取りまとめた小野博教授(コミュニケーション科学)の分析だ。(5月1日)

たしかに携帯メールは複雑で論理的な情報を送信するには不向きなツールである。
論理の流れは感情の流れより「速い」からである。
親指ぴこぴこではロジックの速度をカバーできない。
文房具の物理的限界が思考の自由を損なうということはありうる。
携帯メールの入力作業というのは、私には「書いてから1秒経たないと文字が見えてこない鉛筆」で文字を書いているようなもたつき感をもたらす。
私のようなイラチ男の場合、ときどき誤入力をして意味をなさない同音異義語が画面に出てくると、こめかみに「ぴちっ」と青筋が走り、そのまま「え〜い」と携帯電話をゴミ箱に投げ捨てたい衝動を抑制するのに深呼吸をせねばならぬこともある。
このような「どんくさい」ツールは複文以上の論理階層をもつ文章を書くことには適さない。
ということは、携帯メールを主要なコミュニケーションツールとする人々はいずれ「複文以上の論理階層をもつ文章を書くことができない」人間になる可能性があるということである。
というか、実際にそうなりつつあるらしい。
次はそんな大学の話。

学生の日本語の間違いや語彙力低下に戸惑う大学関係者は少なくない。
関東地方のある私立大学では数年前から、日本語表現法の講義内容が様変わりした。毎回、学生に漢字テストを課すようになったのだ。中学・高校レベルの問題ばかりだが、空欄が目立つ答案が多いうえに、「診談」(診断)、「業会」(業界)といった誤字も目立つ。
「日本語表現法は、より良い表現を身につけるために『描写の際の視点の絞り方』などを教える講義。だが、最近は義務教育で身につけるべき表記や語彙、文法すら備わっていない学生が多いため、従来のやり方では授業が成り立たない」と、担当の准教授は話す。
影響は他科目にも及ぶ。「英和辞典の訳語を説明するだけで時間が取られてしまう」。この大学で英語学を担当する教授は嘆く。
英文解釈の講義で学生に「often」の意味を調べさせても、「しばしば」はもちろん、「頻繁に」といった訳語が理解できない。「『よく〜する』ではどうか、と聞いても、『よく』は『good』の意味としてしか認識していない学生すらいる」(教授)
独立行政法人メディア教育開発センターの小野博教授(コミュニケーション科学)が平成16年、33大学・短大の学生約1万3000人の日本語基礎力を調べたところ、国立大生の6%、私立大生の20%、短大生の35%が「中学生レベル」と判定された。昨年度の同様の調査では、中学生レベルの学生が60%を占める私立大学も現れた。
今年度、センターが開発した日本語基礎力を調べるプレースメントテストを利用する大学は57大学3万2000人(見込み)にのぼる。3年前の4倍を超す勢いだ。
小野教授は「『(大学)全入時代』が到来し、外国人留学生と同等か、それ以下の日本語力しかない学生が出てきた。言葉の意味を学生に確認しながらでないと講義が進められない大学も少なくない。テスト利用校の急増ぶりに、大学側の危機感が表れている」と語った。
その大学生たちが就職するとどうなるか。
こうした現象は大学生に限ったものではない。
6月に第1回日本語検定を開く東京書籍が昨年、約60の企業に日本語をめぐる問題についてヒアリングをしたところ、深刻な悩みが次々と寄せられた。
問題は「敬語が使えない」「違和感のある言葉遣い」といったレベルにとどまらない。
オペレーターが日本語で書かれた取り扱い説明を理解できず、機械を故障させた▽社員が送った言葉足らずの電子メールが取引先を立腹させ、受注ができなくなった…。日本語力不足が実害を生むケースもあった。

おお、テリブル。
英和辞典が引けない学生が増えているというのは実感としてよくわかる。
それに今の学生たちは電子辞書を使っているので、紙の辞書を使うと、目当ての単語にたどりつくまで異常に時間がかかる。
辞書を引き慣れていると、頭で考えなくても勝手に手がアルファベットの順番とおりに(タイプライターのブラインドタッチと同じく)動くのだが、それがもうできなくなっている。
あの「辞書をさくさく引く」という作業もけっこう重要な身体訓練であったような気もするのである。
だって、「ほとんど同じような文字構成の単語」が紙面一杯に拡がっている中から、場合によっては最後の一字だけで前後と差異化されている単語を瞬時に発見する能力を涵養していたわけである。
何の役に立つのか・・・と言われてもとっさには答えられないけれど、何かぜんぜん関係ないところで生きる上で役立っていた可能性はある(わかんないけど)。
ともかく、若い日本人の日本語運用能力は壊滅的な状態になりつつあると新聞は伝えている。
結果的に、これからどんどん日本人の知的活動が低下してゆくことになるわけだが、私はそれほど悲観的ではない。
携帯メールによる語彙の貧困化や母国語運用能力の低下は日本だけでなく、世界的な現象だからである。
「世界中みんなバカ」になるなら、日本人がバカになっても、それによって国益が大きく損なわれるということはないであろう。
それしか「頼みの綱」がない、という点が情ないが。
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