少年法「改正」

2007-04-20 vendredi

少年犯罪が凶悪化したので「厳罰化」する、という少年法改正案が衆院を通過した。
この一文はすでにいくつかの問題を含んでいる。
少年犯罪が「凶悪化」したということをメディアは自明のように語るけれど、「凶悪化」とは何のことかについて十分な吟味がなされているように思われないからである。
少年犯罪件数自体について言えば、日本は世界でも例外的に「少年犯罪が少ない」国である。
ヨーロッパ諸国が「日本の奇跡」と呼び、「どうしてこんなに少年犯罪が少ないのか」を調べに調査団が来るほど、少ない。
少年犯罪統計データを見れば一目瞭然である。
少年(10-19歳)の10万人当たりの殺人事件の検挙人数比率を見ると、1936年が1.05,1940年が0.93、1950年が2.14、1960年がピークで2,15。それから年々低下して、1980年に0.28、90年に0.38,2004年で0.48である。
2004年はもっとも少年による殺人事件が多かった1960年の22%にまで検挙件数が減っているのである。
建造物侵入とか威力業務妨害とか道交法違反とかは1960年代から70年代まで、学生運動さかんな時代は日常茶飯事であり、「総員検挙!」と機動隊が指示するたびに、数百単位で学生たちが逮捕されていた。そのうちのかなりは19歳以下であったから、学園紛争時期の少年犯罪件数は今より一桁以上多かっただろう。
だから、21世紀に入って少年犯罪は統計的には「激減」しているはずなのである。
少年犯罪の「激増」に対応すべく少年法が厳罰化される、というのなら話はわからないでもない。
だが、犯罪件数が減少している中で厳罰化が進められるということの理路が見えない。
政治家たちは統計を知った上で仕事をしているのだろうか?
統計を持ち出すと法改正ができないから、これについては言及しないことにしているのだろうか。
統計的には少年犯罪は減り続けている。だからやむなく「凶悪化」という観念的なことばをつかって法改正を正当化したのである。
たしかに件数は少なくても、それが目を覆わんほどに「凶悪」なものであれば、少年犯罪は社会を危機に瀕せしめるものであるというロジックが成り立つ。
だが、「凶悪」というような主情的な用語で刑事事件を形容することははたして適切であろうか。
そもそも何を以て「凶悪」とし、何を以て「穏当」とするのか。
「ムカついて人を殺す」のは「非人間的」だから許せないが、「食い物が欲しくて人を殺す」のは「人間的」であるから許せる、ということなのだろうか。「性的倒錯味で人を殺す」のは「凶悪」であるが、「失恋の恨みで人を殺す」のはそれほど「凶悪」とは見なされない、というような情状酌量基準が存在するのであろうか。
私は知らない。
誰か知っていたら教えて欲しい。
近年の少年犯罪については「動機がよくわからない」という事例が多いのは事実である。
しかし、「動機がよくわからない」ということは「凶悪」ということとは違う。
そして、「動機がよくわからない事件」が繰り返し起こるということは、少年たち自身の問題である以上に、それが社会病理の問題だということを意味している。
その集団構成員の言動のうちに「理解できない」要素が増えてきたら、それはその集団の「理解の枠組み」が不調だということである。
ある種の子どもたちが「意味のわからない暴力」の発動に至るのは、その徴候を感知し、それに対して適切な対応をとる予防システムが整備されていないということを意味している。
組み替えるべきなのは集団が採用している「意味のシステム」の方である。
子どもたちが暴力を発動するためにはかならず「前段」がある。
正常な人間は無文脈的に暴力を揮うことをしない。
必ず主観的には合理的な理由がある。
「暴力をふるうことを主観的には合理的なふるまいとして正当化するロジック」を内面化した子どもたちが増えているのだとしたら、これは危機的徴候である。
なぜなら、「暴力をふるうことを主観的には合理的なふるまいとして正当化するロジック」を子どもたちが学習したのは間違いなく、大人たちの無意識的なふるまいからだからである。
子どもが社会と無縁に自分の内部からそのようなロジックを分泌するということはありえない。
だから、子どもに「厳罰化」で応じることは無意味というより有害であると私は考えている。
というのは、「厳罰化」とは大人たちが、まぎれもなく子どもたちを標的として「暴力をふるうことを主観的には合理的なふるまいとして正当化するロジック」の帰結だからである。
トラブルを解決するためには、すみやかにかつ実効的に暴力をふるうことが効果的であるという発想に「厳罰化」を進める人々は合意している。
だが、その発想そのものを培養基として少年犯罪が「凶悪化」しているという平明な事実に彼らは気がついていない。
「凶悪な子ども」を生み出すのは「凶悪な社会」だけである。
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