アメリカのヴァージニア工科大学で、一人の学生が銃を乱射して、32名を射殺したあと自殺するという衝撃的な事件が起きた。
二人の高校生が級友、教師13名を射殺したコロンバイン高校事件に続く惨劇である。
市民が無差別に銃撃される事件が起こるたびに、銃規制についての議論がアメリカ国内で再燃する。
しかし、何も変わらない。
依然としてアメリカ国内には2億2千万丁の銃があり(それはほぼ全国民に一丁ずつということである)、銃による死者は毎年約3万人に達する。
イラク戦争開戦以来の米軍兵士死者が3年間で3000人だから、単年度当たり戦地の30倍のアメリカ人が「銃後」の非戦闘地帯で撃ち殺されていることになる。
1981年以後のアメリカで銃による死者は60万人。
これは鳥取県の人口に等しい。
アメリカ人は一県分の人間を20年かけて銃で消滅させたのである。
にもかかわらず、アメリカでは銃規制が進まない。
それは1791年制定の憲法修正第二条に「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」と定めてあるからである。
「民兵」(militia)とは政府から独立した武装市民のことである。独立戦争初期にイギリス軍との戦いに立ち上がったのは正規軍ではなく(そのようなものは植民地にはまだ存在しなかった)、民兵であった。
武装市民がアメリカ独立の礎を築いた。
だから、「市民は銃を持つべきではない」と主張することは、独立戦争当時の植民地市民のルールを否定し、ただちにアメリカ建国の正統性を否定することに通じる、というのが銃規制反対派のロジックである。
なるほど、そういうものかも知れない。
ところで、市民が武器を携行する権利を認めた第二条に続く第三条には「軍隊の舎営」についての規定がある。
そこには「平時においては、所有者の同意を得ない限り、何人の家屋にも兵士を舎営させてはならない」とある。
「勝手に人のうちを兵舎にしてはいけない」というのが憲法修正第三条なのである。
このことから、この憲法修正条項が歴史的にかなり限定された、具体的な戦闘場面を念頭に制定された「ローカル・ルール」なのかもしれないという推理は可能になるはずである。
もし憲法修正に「兵士がはずした戸板はもとに戻しておかなければならない」とか「兵舎の便所は人家から十分に距離を置いて作らねばならない」という条文が残されていたら、アメリカ市民たちも憲法修正が永遠に触れるべからざる「不磨の大典」であるとは思わなかっただろう。
私はべつにふざけているわけではない。
上に掲げた二つのルールは「長征」時代に中国共産党が定めた紅軍兵士規則の一部である(トイレについての規則を追加したのは林彪である)。
これらの具体的規定を遵守したことによって紅軍は農民の圧倒的支持をとりつけ、その政治的基礎を築いた。
しかし、中華人民共和国憲法にはそのような文言はもう残されていない。
それを削れば建国の正統性が損われてしまうと案じる中国人がいなかったからである。
私は中国人の方がこの点については「常識的」だと思う。
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(2007-04-19 10:51)