春休み最後の日のはずの金曜も大学に呼ばれて、お仕事。
30分ほどで片付けて、帰宅。養老先生との対談本『逆立ち日本論』の校正。
「まえがき」も書く。
ゑぴす屋(ゑびす屋から再度呼称変更)さんから届いた『バベル』を見て、寝る。
土曜の朝、『バベル』の映画評を書く。
対談本の校正を終えて、宅急便で送る。
合気道の稽古に行く。35人くらい来ている。
70畳の道場が狭い。
今週も二人入門。
毎週一人ずつ入門してくると、年間52人入門ということになる。
そんなに収容できない。
どうすればよいのであろう。
稽古を終えて、新幹線に飛び乗って東京へ。
車中で『街場の中国論』の校正。
学士会館で平川くんと仕事の打ち合わせ。
最初はまじめに仕事の話をしていたが、だんだん酔いが回ってくると、仕事はまあなんとかなるよということで、文学と政治の話になる。
二人がホストになってお客さんを呼んで、だらだら話し続けるというラジオ番組をつくることになる。
これは楽しそう。
朝起きて、『街場の中国論』の校正を仕上げて、コンビニから宅急便で送る。
山の上ホテルまで歩いて、正午からロビーにて『週刊文春』の取材。
お題は「団塊の世代への提言」。
あの方々(というか私も含む)はもともと年下世代からの提言などに耳を貸すような殊勝な方々ではないのであるから、提言なんて原理的に無駄であるというお話をする。
どういうわけかリタイアが始まる団塊世代に「ああしろ、こうしろ」という「ご提言」をあちこちのメディアが企画している。
そういうメディアの編集長たちはだいたい40代後半から50代前半で、この「団塊世代」にずっといじめられてきた方々であるから、リタイアを機に、背中に石をぶつけて長年の恨みを晴らすと同時に、まとめてどこかに閉じ込めて無害化しようとお考えのようである。
その気持ちはよくわかる。
だが、その企画は成功しないであろう。
団塊世代は戦後日本社会にごく短期間存在した「倫理的ノーマンズ・ランド」が生み出した変異体である。
その「態度の悪さ」は矯正不能である。
悪いけど。
続いて、1時から『潮』のお仕事で関川夏央さんと対談。
関川さんとお会いするのはこれで三度目。
関川さんはぼくの同世代の中で、20代でメディアにデビューした数少ない中の一人である(いちばん早いのは矢作俊彦)。
いしかわじゅんのマンガにキャラクターとして出てくる数少ない知識人のひとりである(まんがの中では「セキノビッチ」)。
ぼくは50代で物書き仕事をはじめた人間なので、関川さんとはキャリアに30年の差がある。
それにもかかわらず、自分たちの世代の「歴史的なつくられかた」について考えていることは不思議なほど似ている。
お題は教育問題のはずであったが、話の流れで、団塊世代論=昭和文化論になってしまう。
これは関川さんとの対談本にいずれ収録されることになる。
その対談本を出すはずの講談社のみなさんとそのあと引き続き山の上ホテルのレストランでワインなどのみつつ歓談。
文芸誌の編集者は「業界人の噂話」が大好きであると以前、村上春樹がエッセイで書いていたが、なるほどほんとうだと感心する。
私もそういうのを聞くのは大好きなので、熱い風呂に浸かるように際限なく湧き出る噂話に身を委ねてほっこりした気分になる。
生酔いで新幹線に飛び乗り、爆睡。
関ヶ原あたりで目が醒めたので、iPodで町山さんのアメリカ映画特電のバックナンバーを聴く。
くっくっくと爆発する笑いをこらえて痙攣しつつ芦屋に戻る。
村上春樹の『うさぎおいしーフランス人』をベッドの中で一気読み。
「ボバリー夫人はたわしです」に蒲団の中で身体をよじって笑う。
頭の中に自前のだじゃれが渦巻いてなかなか寝付けない。
例えばこんなの。
私の母校ではバイクで行うクロスカントリーレースが盛んであった。
東大モトクロス。
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(2007-04-09 09:16)