こんなニュースが本学の教育開発センターから産経新聞の記事がメールで送られてきた。
なかなか興味深い内容である。
「ディプロマ・ミル」(DM)などによる学位商法問題で、聖心女子大の教授がDMとされる団体の博士号を取得し、使っていたことが1日、分かった。同大は調査委員会を設置して事実関係の調査に乗り出した。現役教授のDM学位所持が発覚したのは初めて。また、早稲田大でも先月定年退職した元教授が、実態不明の「大学」が出す博士号を取得、使用していたことが判明した。文部科学省は全国調査を実施する意向を示しており、問題はさらに拡大しそうだ。
関係者によると、聖心女子大の問題の教授は平成13年、DMとされる「クレイトン大学」(Clayton University)の博士号を日本で取得し、16年に聖心女子大に教授として採用された際などに、この学位を使用。クレイトン大日本事務局のホームページ(HP)では、同大の顧問とされていた。
クレイトン大は、職歴や学歴を単位化し、日本語の論文でも学位の取得が可能だが、同大の本校があるとされる米では公的な使用を禁止する州もある。ルイジアナ州の住所地は私設私書箱で、同州に教育機関としての登録もないという。
同教授は産経新聞の取材に対し、学位の取得と使用については認めた。聖心女子大は、「調査中」としている。
一方、早大の元教授は11年に取得した「国際学士院大学」(International Academy of Education University)の博士号を早大の教員データベースなどに掲載。早大で博士課程は修了したが、博士号は得ていない。しかし、著作の著者紹介に「早稲田大学大学院博士課程修了。文学博士」と記し、早大の博士号と誤解する記載をしていた。
国際学士院大関係者によると、同大本部は「ニューヨーク」だが、具体的な住所は不明。教育研究者が電話でニューヨーク州に確認したところ、「(同大は)存在しない」との回答を得た。
米での実態が確認できないにもかかわらず、同大の日本事務局は「(住所も含め)答える必要はない」とし、取材に応じていない。
早大によると、元教授は「20万〜30万円を払い、日本の事務局に日本語で論文を提出して学位を得た」と話している。(記事はここまで)
ディプロマ・ミル (Diploma mill) あるいはデグリー・ミル (Degree mill)(意味はいずれも「学位工場」)はアメリカに発祥した「教育産業」である。
あらゆるものが「商品」として売買されるグローバル資本主義社会では、もちろん学位もお金で買うことができる。
アメリカは原理的に学校法人の認可は、「事前審査」ではなく、「事後チェック」である。
「大学マーケット」への参入障壁はきわめて低い。
「大学を作りたい!」という意欲のある人には、とりあえず資金がなくても、資格がなくても、どんどん大学を作ってもらって、その成否はマーケットの「良識」に委ねようおうじゃないの、というのがアメリカン・ウェイである。
市場のニーズに応えうる大学は「よい大学」であり、ニーズのない大学は「ダメな大学」である。
おなじみの「グローバリズム」のロジックである。
しかし、ここにはもちろんピットフォールがある。
「市場のニーズ」の中には「そのようなニーズを持つこと自体、常識ある社会人としていかがなものか」的なニーズが存在するからである。
例えば「研究業績はないけれど、博士号は欲しい」というようなニーズはその一つである。
そして、グローバリズムのロジックでは、「いかがなものか的ニーズ」であっても、現にニーズがある以上、それに応えることで利益を得ることは「キャピタリスト的にコレクト」とされる。
「学位を金で買う」というニーズがあり、それを売りたいという大学があり、フェアな取り引きが成立しているなら、ここに余人が容喙する余地はない。
アメリカ人はこのような「フェアな」取り引きを効果的に抑止する論理をもたない。
しかたがないので、「まともな大学」が連合して、「学位工場は『まともな大学クラブ』には加盟させない」という措置を取っている(これを大学のアクレディテーション(信用供与)と呼ぶ)。
「この大学はダメだ」というブラックリストを作ると営業妨害とされてとんでもない金額の賠償請求をされかねないので、「この大学はまともです」という「ホワイトリスト」を作成している。
でも、アメリカの一般市民はそんなリストの存在を知らない。
ましてや日本人がアメリカの大学のうちのどれが「まともな大学」でどれがそうでないかをみきわめることはたいへんに困難である。
それを見越してか、二十年ほど前にアメリカの大学が大挙して日本のマーケットに参入してきたことがあった(覚えてますよね。あちこちの地方都市の駅前ビルにいきなりアメリカの大学の「キャンパス」が登場したのを)。
たぶん、あの悪名高い「年次改革要望書」の成果なのであろう。
しかし、日本中に次々と展開したアメリカの大学は、ほとんどすべてが 10 年以内に撤退した。
その理由をみなさんはご存知であろうか?
なぜ、アメリカの大学は日本の教育マーケットに参入できなかったのか?
一分差し上げるから答えを考えていただきたい。
はい、一分経ちました。
答えは「言語障壁」である。
日本にあるアメリカの大学に入った諸君のほとんどは、基礎コース課程がクリアーできずに脱落していった。
考えれば当たり前のことだが、アメリカの大学の学部レベルの授業が理解できる程度の英語力のある学生は、日本のかなりいい大学に合格してしまうからである。
その後、インターネットを利用して、自宅にいてキーボートをかちゃかちゃやるだけで学位が取れる「教育プロバイダ」というのが出現してきた。
それが学位を濫発し、いま東南アジアを席捲していて大問題になっている。
だが、日本にはなかなか入れない。
理由は同じで、教育プロバイダの教材が基本的に英語ベースだからである。
「ネットでちゃかちゃかするだけで学位がとれます」という「引きこもり・不登校」系の子どもたちにとっては福音のような教育プロバイダが日本のマーケットになかなか入り込めないのは日本人は英語ができないことが一因なのである。
だから、今回の DM のケースが二つとも「日本語の論文でも受理する」大学であったという記事を読んで、アメリカのビジネスマンがバブル期の大学ビジネスの失敗からちゃんと教訓を引き出していたことを知ったのである。
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(2007-04-05 13:47)