いろいろなところから、いろいろな主題について取材が来る。
月曜日は「赤旗」の取材。
お題は改憲について。
『九条どうでしょう』に書いたとおり、九条と自衛隊の「不整合」は戦後日本社会システムのすべての「汚れ」を投じる「クラインの壺」なのであるから、これは断固死守せねばならないという持論を語る。
九条二項を廃絶してしまった後に日本人は「日本は戦後一貫してアメリカの軍事的属国であり、いかなる固有の世界戦略を持つことも許されていない」というリアルでクールな事実に直面しなければならないのだが、どう考えても現代日本人にはその事実を受け止める「心の準備」ができていない。
「九条と自衛隊の不整合のうちに戦後日本のすべての不幸の原因はある」という「症状」のうちに私たちは 60 年間安住してきたわけであるが、その症状を奪い去られたあとに、私たちはそれに代わってどのような「狂気」を患えばよろしいのか。
いちばん「合理的な狂い方」は「日米安保条約の廃棄・駐留米軍基地の撤去・自主核武装」という「日本の北朝鮮化症状」であるが、それを歓迎する国は国際社会のどこにもいないし、日本人の多くもそれを求めないだろう。
しかし、日本はアメリカの「軍事的属国」であるという事実をクールに受け止めて、その屈辱的条件のもとで最高のパフォーマンスを展開することに集中できるような心理的成熟に日本人は達していないし、そのような心理的成熟を準備するための努力もしてこなかった。
だから、九条を廃絶しないほうがいいと私は申し上げているのである。
「ですが、仮に北朝鮮が軍事侵攻してきた場合に、憲法九条が枷となって適切な軍事行動ができないという不安を語る人がありますけれど」と「赤旗」の記者の方は質問をしてきた。
これについても持論を申し上げる。
北朝鮮は日本に軍事侵攻してこない。
なぜなら、日本には日米安保条約があるからである。
そこにはこう記してある。
「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」
これは日本に北朝鮮が攻めてきたら自動的にアメリカ軍が「共通の危機に対処するように行動する」ということを意味している。条約締結国の一方に他国軍が攻め込んできたときに発動しないような安全保障条約は「安全保障条約」とは呼ばれない。
改憲派の諸君の口から「日米安全保障条約」は空文であるという言葉を私は聞いたことがない。
にもかかわらず、「北朝鮮が攻めてくると日本の領土は侵略される」というのは、そのような非常時にもアメリカ軍は何もせずに日本が外国軍に占領されるままに放置しておく可能性を見込んでいるということである。
私はその判断に与しない。
日本はアメリカの軍事的属国であり、東アジアにおける最も信頼のおける「パートナー」である。
アメリカが日米安保を破棄して、次の戦略的パートナーに選ぶとすると中国しかない。
もちろんアメリカの国務省はその線で世界戦略の書き換えシミュレーションをしている(当然だ。それが商売なんだから)。
その結論として、「アメリカが思いのままに頤使することのできる弱い味方」である日本とのパートナーシップを解消してもまだ元が取れる選択肢は存在しないという結論に達しているはずである。
なぜなら、今の日本はアメリカの「弱い味方」にすぎないが、日米安保条約が空文であり、アメリカに見捨てられたために、日本の領土が侵犯され、日本の都市が焼かれ、日本人の非戦闘員が殺された場合、日本はもうアメリカの「弱い味方」ではなくなるからである。
日本はその日からアメリカの「敵」になる。
最初は「弱い敵」にすぎないだろう。
けれど、アメリカと中国が日本を軍事的に挟撃して、壊滅させない限り、日本はアメリカにとって「東アジアにおけるアメリカの世界戦略の最大の障害物」になるだろう。
日本の経済力と集団組織とテクノロジーと知的ポテンシャルの上に復讐のナショナリズムが乗ったときに、日本がどんな国になるのか、私はあまり想像したくない(国務省のアナリストは想像したはずだが)。
それはその中に生きなければならない日本国民にとって不幸な国家体制であると同時に、世界にとっても不幸な国家体制である。
そのようなハイテクノロジーで武装した復讐国家を出現させることで利益を得る国は世界に一つもない。
だから、もし諸国政府の統治者たちにIQ100以上の知能があれば、日本を軍事的に侵略するような愚は犯さないであろう。
それでも「攻めてくるかもしれないから不安だ」という人はおそらく自分のIQを基準にして他国の統治者の思考を忖度しているのであろう。
というような話をする。
このような暴論を「赤旗」が掲載して、はたして心やさしい読者たちは困惑せぬであろうか。
翌日は東京で『週刊ダイヤモンド』の取材。
今度のお題は「高齢少子化」。
別にそれが何か問題でも?
という話をする。
人口減はこのあと出生率が回復してももう止めることができない。
だとしたら、「高齢少子化社会をどう快適に生きるか?」という具体的問題にシフトした方がいいだろう。
若い人たちが結婚しない、子どもを作らない、スタンドアロンで生涯をかけて「自分探し」をしたいというふうになったのは国策イデオロギーが「大成功」したことの成果なんだから、今さらどうこういう筋のものではない。
日本では国策イデオロギーはなんでも「成功し過ぎてしまう」ということについて私たちのがわに配慮が足りなかっただけのことである。
おそらく私たちは配慮の足りない頭で次の施策を考え、それもまた「成功しすぎて」しまって、別種の災厄を呼び込むことになるのであろう。
それからアゲインの開店記念の平川克美くんとの「東京ファイティングキッズ・トークショー」。
狭いスペースにぎっしり 40 人以上の人が詰め込まれて、その中で平川くんといつものようにビジネスの話、文学の話、風水の話、映画の話とおしゃべりをする。
二人でいつも飲みながら話しているのと変わらない。それをお客さんの前でご披露するだけである。
るんちゃんがお店の手伝いをしている。
考えてみたら、るんちゃんの前で「営業」しているところを見せたのははじめてである。
「なるほど父ちゃんはこういうことをしてお鳥目を頂いているのか・・」とご納得いただけたらよいのであるが。
るんちゃんからお菓子とトートバッグの差し入れをいただく。
うるうる。
懇親会でもしゃべり続けて、深更に学士会館へ。倒れ寝。
翌朝は学士会館ロビーでイタリア人のジャーナリスト、Luca Vanni くんの取材を受ける。
彼はミラノにおける山本浩二くんの知り合いで「日本にはウチダタツルという面白い人物がいるので、会ってごらん」とリコメンドされたらしい。
Luca くんは『下流志向』について訊きにきたのであるが、彼は日本語が読めないので、内容を要約せねばならない。
フランス語で自著について説明する。
最初のうちはぜんぜん単語が思い浮かばず、一文しゃべっては「え・・・・と」と頭の中で辞書をめくっていたが、2時間くらいしゃべっているうちにだいぶ調子が出てきた。
たいへん興味を示してくれたので、「ではフランス語に訳してお見せしましょう」と気楽に約束をしてしまう。
そんな時間が私にあるのか。
--------
(2007-03-21 20:32)