街場の陰謀史観

2007-02-03 samedi

〒ポストを覗くと、本がはいっている。
『狼少年のパラドクス』(朝日新聞社)の見本刷りが届いたのである。
2月28日発売。
これで2006年度の出版点数は単著5点(うち文庫化1)、共著6点、計11点となった。
まことに「月刊ウチダ」というに相応しいペースであると言わねばならぬ。
そのせいか、献本先からの「お礼状」がだんだん間遠になる。
そりゃそうですよね。

「あ、ウチダからまた本が来ちゃった。前のも、前の前のも、その前のもまだ読んでないのに・・・どんどんよこすから読むのが間に合わないんだよ。こっちだって忙しいんだから」

などと言っているうちにだんだん腹が立ってくる・・・というふうになっているのではないかと拝察されるのである。
では、献本を止めればいいかというと、それはそれで

「あ、ウチダの新刊出たのに、献本届かないぞ。あの野郎、礼状出さないもんだから逆恨みしやがったな。けっ、ケツの穴のちいせえ野郎だぜ。ああ、やだやだ。あっちこっちでウチダの悪口言って憂さ晴らししよう」

というような展開になる可能性も絶無とはいえない。
どちらに転んでも頭が痛いことである。

それにしてもハイペースでの刊行である。
これ以外に毎月三紙に連載を書き、不定期の雑文の類はそれこそ「枚挙にいとまがない」ほど書いている。
寸暇(といっても私には寸暇以外の形態での暇というものはないが)を惜しんで、リストの超絶技巧ピアノ曲を弾くようなスピードでひたすらキーボードを叩き続けているのである。
これでは三宅先生が嘆くほどに首肩が凝るのもやむを得ない。
昨日も終日原稿書き。
毎日新聞の「水脈」原稿1545字を書いて送稿。
続いて『街場の中国論』の第八章を仕上げる。
テーマは「人類館事件」。
1903年の第五回内国勧業博覧会に展示された「人類館パビリオン」をめぐる中国人留学生の対応を論じる。
この事件がその後の魯迅の『藤野先生』『阿Q正伝』にインスパイアを与え、辛亥革命の引き金になったのではないかというスケールの大きな(自分で言うことではないが)論考なのである。
続いての第九章は江沢民の反日教育政策がどのような中国共産党党内闘争史的事情から導かれたのかについて「見てきたように」ことを書く。
72年の日中共同声明のときに周恩来と田中角栄のあいだで、ヒミツの「手打ち」があったのだが、その手打ちの「原稿」を13年前に読まされたのが浅沼稲次郎で、それを聴いてキッシンジャーが怒り狂って田中追い落としを策動してロッキード事件を起こし、万事呑み込んだ村山富市が95年の6月から始まる反日キャンペーンを見て見ぬふりをした・・・というような陰謀史観である。
書いてみてわかったが、この手の「陰謀史観ストーリー」って書くの簡単だし、実に面白いのである。
「実はこれには裏があって・・・」と書き出すと(先がわかってなくても、まずそう書き出すのである)、なんとなくいかにもありそうな「裏事情」がぐいぐいと想像されてしまう。
世にこの手の「・・・の真相」とか「誰も知らない・・・」みたいな本が出回っているけれど、あれは必ずしも何らかの政治的効果を狙ってためにするものではなく、書いている本人が書き出したら面白くて止められなくなってしまったというのが「真相」ではないのか。
この『街場の中国論』も実はほとんど「・・・の真相話」である。
私はもちろん中国のことなんか、何も知らない。
91年に香港に3日、93年に北京に3日観光で行ったことがあるだけである。
中国関係の専門書も一冊も読んでいない(ひどいなあ)
新聞記事で読んだことと、誰でも知ってるネット情報と、ちょっとだけ読んだ中国の古典文学の情報だけで「見てきたような陰謀史観」がいくらでも書けるのである。
書き出したら面白くって止められなくなってしまったのである。
他にも仕事が目白押しなのだが、書き始めると筆が止まらない。
誰か止めて。
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