中国の迫力

2006-11-29 mercredi

提携校の広東外語外貿大学から本学との提携協定の更新のための訪日団四人がおいでになる。
札幌大学、立命館大学、京都外国語大とまわって最後が本学。
来日の目的の一つは「孔子学院」関連ビジネスである。
「孔子学院」というのはブリティッシュ・カウンシルとかゲーテ・インスティチュートとかアリアンス・フランセーズと同じような、各国政府が主導している海外広報・文化交流のための活動機関である。
孔子学院は現地の大学と提携するという点がブリティッシュ・カウンシル他の海外広報機関と違う。
日本では立命館が5校目(札幌、北陸、愛知、桜美林の各大学がすでに孔子学院を設置している)。
二重の意味で驚かされる。
一つは文革期の「批孔批林」運動で各地の孔子廟はたしか壊滅的な被害を受け、孔子はブルジョワ反動思想家として「歴史のゴミ箱」に放り込まれたはずであるが、その孔子が中国の文化的イコンとして堂々と甦ったこと。
中国人は変わり身が早い。
もう一つはこのプロジェクトが2004年にスタートして、わずか2年で、全世界に114校存在するという、中国政府の広義での「国際広報活動」への真剣さである。
中国人は仕事が早い。
翻って、わが国政府はこれまでそのような広報・文化交流のための機関を設立するために何をしてきたのであろう。
私は寡聞にして「国際松下村塾」とか「適塾インターナショナル」とか「漱石インスティチュート」とかいうものがあることを知らない。
あるいは文科省はすでにそのような海外機関を設置しており、日本語日本文化日本の国際社会における立場についてご理解いただくための広報活動を全世界的に展開しているのかもしれない。
いや、当然、そういう活動があるに違いない。なくては困る。
単に私ひとりがその名称も活動内容も知らなかっただけであろう。
だが、私が知らなかったということは、たぶん日本人の80%くらいは、そのような広報機関の活動について十分な知識を持っていないということである。
自国民の80%にその機関の活動について周知徹底させることのできない広報機関が外国民に対してのみ選択的に活発な広報活動をしていると推論することは困難である。
日本政府は日本文化や日本の国際関係論的立場について海外の方々に理解していだくことにははあまり(ぜんぜん)熱意がないようである。
だが、海外の若い世代への教育投資はきわめてコスト・パフォーマンスのよい「国防」戦略なのである。
ジェット機一機、イージス艦一隻を買う金があれば、アジアの全域に「日本語日本文化を学ぶ機関」を設立することは可能である。
そこで育った日本語を読み、日本文化に親しみ、日本に知己を持つ人々の世代が将来の外交関係にどれほどのメリットをもたらすか、そういう計算に日本の政治家たちも官僚もまるで興味がないようである。
この点ではイギリス、フランス、ドイツといったかつての帝国主義国家の植民地経営の「狡猾さ」には歯が立たない。
台湾、朝鮮、インドシナ、南太平洋での植民地経営の経験から日本人は何も学ばなかったのである。
中国人は1840年から110年にわたる帝国主義列強による国土の植民地化経験から、いくつかの重大な歴史的教訓を得た。
この差はおそらく私たちが考えている以上に大きい。
それは「アセッツ」というものの力の評価の差である。
中国人はかつて「買弁資本家」というかたちで植民地宗主国の「アセッツ」となった売国奴たちによって国力を致命的に殺がれた。
その恨みは骨身にしみているはずである。
だから中国に親和的な「アセッツ」を全世界に配備することにどれほど戦略上の重要性があるか、彼らは熟知している。
かつて中国はロシア社会主義圏と世界各国の「毛沢東主義者」という巨大な同盟者を持っていた。
それがどれくらい強力な支援者であったのか、そのようなものを持ったことのない私たちには想像がつかない。
現に私たちは「天皇陛下(あるいは安倍晋三)の名において自国政府の対日政策を批判する中国人」というものを決して想像することができない。
だから、私たちは「毛沢東」がどういうイコンとして中国人の眼に映っていたのかを構造的に想像することができないのである。
中国人は毛沢東と社会主義圏の同盟者を失った。
それに代わるものを再構築しなければならない。
「孔子学院」はその「新しいタイプのアセッツ再構築戦略」の一環であると私は思っている。
日本政府はこのような戦略の重要性をほとんど理解していない。
それは日本が本当の意味での「同盟国」も「自国政府よりも日本を支援する海外盟友」も持ったことがないということにたぶん関係している(アメリカは「同盟国」ではない、「宗主国」である)。
このビハインドはアジアにおける日本と中国のヘゲモニー争いに致命的な影響をもたらしつつある(というか、もう勝負はついているのかも知れないが)。
しかし、そのことを真剣に憂慮している政治家を私は知らないし、メディアもほとんど関心を示さない。
本学への訪日団の団長の広東外語外貿大学副学長仲先生は広州における中英同時通訳の草分けで、英米両国に留学して同時通訳で学位を得た最初の人だそうである。
訊けばわずか40歳。
中国ではこの世代(「留美派」といわれる、完璧なイントネーションでアメリカ英語を話す世代)が政治経済文化のあらゆるセクターで指導層を形成しつつある。
50代以上(つまり文革期や民主化運動に「けっこう本気で」かかわった政治色の強い世代)は「悪いけどもうお引き取り願いたいですね」という後続世代からのひそやかな圧力を彼らと話していて肌で感じた。
日本の40代に迫力において識見において世界戦略において国家ヴィジョンにおいて、この中国人エリートたちに拮抗できる人間がどれほどいるだろうかと思うと私は慄然とするのである。
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