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テレビが消える日

小田嶋隆さんから『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)という本を頂いた。
小田嶋さんの本はすべて私の家宝であるが、「家宝は寝て待て」という古諺はやはり正しく、いつのまにか先方からご本が届いたのである。
いつものようにエッジの効いたTV批評を展開されているのであるが、惜しいかな、私は過去2年ほどテレビというものをまともに見たことがないので、小田嶋さんが論評している固有名の50%くらいについてはどんな番組なのか、どんな顔の人物なのかがわからない。
それでも面白い。
批評というのはそれでよいのである。
見たことのないもの読んだことのないものについて論じてあっても、「その通り!」と思わせることができるのがプロの批評の仕事である。
オークランドの町山智浩さんがブログでやっているポッドキャスト「アメリカ映画特電」http://www.eigahiho.com/podcast.htmlも、見たことのない映画の話ばかりなのだけれど、これもやっぱり「その通り!」と思わせてくれるところがすごい(特に『スネーク・フライト』と『ボラート!』の回が最高!)
前に六本木で小田嶋さん、町山さん、平川くんと四人でご飯を食べたときも、ほろんど町山さんがこのトーンで話し続けていた。
そのときはこの手の話は絶対活字に出来ないだろうな、もったいないなあ~と思っていたが、ポッドキャストでなら世界に発信できる。
町山さんもまことに画期的な手を思いついたものである。
第四回『映画秘宝の歴史』の回もめちゃ面白かった。
どうして町山さんが蓮實重彦をキライなのか、その理由が丹念に説かれていて、深く納得。
『リュミエール』の悪口を言っているとき、町山さんが激怒のあまり噛んでしまうところで、私は床を転げ回って笑ってしまった。
それはさておき。
小田嶋さんは「テレビの終焉」をこんなふうに予想している。
「W杯に合わせてDVDレコーダーを買った組は、完全にナマのテレビ視聴から撤退している。『いやあ快適快適。ゴールデンのバラエティーとかは、ハードディスクに丸録りしとくと10分で見られるな』『ドラマも倍速でいけるぞ』『ニュースはどうだ?』『報道ステーションなんかは、解説のオヤジの説教をトバせば、30分で見られる』『てか、古舘も要らないだろ』『うん、テロップだけ読めば、10分』・・・。」
その結果どうなるかというと
「まず、CMが無効化する。だって、ハードディスク録画の番組を見るときには、CM飛ばしが前提なわけだから。これは非常にヤバい。ただでさえ、リモコンを握って生まれてきた21世紀のテレビ視聴者は、CM入りの瞬間、他局に退避している。ということはつまり、『CMスポンサーによる番組提供』という昭和のテレビを支えてきた黄金の無料視聴システムは既に半ば以上泥沼化しているわけで、この上録画視聴者がCMスキップを徹底していくのだとしたら、地上波民放局の集金システムは、根底から崩壊してしまう。」(223-4頁)
私は小田嶋さんのこの見通しはかなりの確度で事実を言い当てていると思う。
ただ、私はこの集金システムは「根底から」ではなく、当面は「部分的にしか」崩壊しないのではないかというやや悲観的な見通しを持っている。
たしかに、小田嶋さんの指摘のとおり、テレビCMはすでに末期症状を呈している。
ゴールデンのCMスポンサーの主流はすでにサラ金と薬屋である(深夜ワクになるとエロ本屋やラブホテルもCMを出している)。
カタギのメーカーさんはもうテレビCMから退避しつつある。
あんな番組にCMを出し続けていたら、企業イメージがダウンするからである。
残っているのは「消費者はバカだ」ということを企業活動の前提にしているスポンサーだけである。
うつろな幻想を追う消費者から収奪することを経済活動の根幹にしている企業と、消費者と企業とテレビ局のすべてを騙すことを経済活動の根幹にしている広告代理店と、視聴者をバカにした番組を作れば作るほど視聴率が上がるという経験則から出ることのできないテレビ局の黄金のトライアングル。
そこから生み出されるのがどのようなものか、想像しただけでなんだかわくわくしてくる。
少なくとも私はわくわくしてくる。
ふだんテレビを見ない私でさえ「そこまでひどいものなら」思わず見たくなってしまうくらいである。
私が見たいのはそれが「スナッフ・フィルム」だからである。
あるメディアが死ぬところをリアルタイムで放映してくれるのであるから、これは私だって見たい。
だから、「テレビの断末魔」を垂れ流し的に放映したら、視聴率がどんどん上がることになる。
「おい、テレビ、ひどいことになってるぞ」「ほんとかよ?」「おお、見てみろよ、すげーぞ。信じられねーよ、あのひどさ」「わ、見る、見る」というふうになって、視聴率がうなぎのぼり。
TV局もスポンサーも歓喜雀躍。
「もっとやれ、もっとやれ」ということになる。
その段階で「こんなことしてたら、テレビは終わりですよ」という諫言を述べるようなまともな社員はもうどこにも存在しない。
だって、「テレビが終わる」ことからテレビを延命させるというアクロバシーをテレビはもう選択してしまったからである。
「『テレビがもうすぐ終わる』とみんな思っているだろ。みんなその『死の瞬間』を見ようとしてテレビをつける。だから、今日もテレビは生きてられる。オレらの仕事はただできるだけこの断末魔を引き延ばすことだけなんだよ。それで飯が食えるんだから、『らくだ』のかんかん踊りとおんなじだよ」
という狡知が今日もテレビを延命させている。
視聴者がこの「死ぬ死ぬと言うだけで、さっぱり死なないメディア」にいつまで面白がってつきあってくれるか、私には予想が立たない。
あまり長くは続かなそうな気がする。
というのも、『週刊現代』の先週のコラムで高橋源一郎さんが「テレビが消えた」という話を書いていたからである。
半世紀にわたるテレビ視聴を止めて、5年愛用したソニーのテレビを知人に譲り、高橋家はいま「テレビのない生活」に入っている。
その理由を高橋さんはこう書いている。
「ある日、タカハシさんは、長男と一緒に、ぼんやりとテレビを眺めていた。そして、ちらりと、テレビの画面を見つめている長男の顔つきを見て、愕然としたのである。
長男は床に猫背になって座り、口を半開きにして、顎を突き出し、ぼんやりと澱んだ瞳で、画面を見つめていた。
タカハシさんは、長男の名前を呼んだ。反応がない。もう一度、呼んだ。まだ反応がない。そして、三度目、ようやく、長男は、タカハシさんの方を向いた。その瞳には何も映っていないように、タカハシさんには見えた。まるで魂が抜けてしまった人間の表情だった。」(「おじさんは白馬に乗って」第23回「テレビが消えた」、週刊現代11月18日号、65頁)

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2006年11月21日 10:13 に投稿されたエントリーのページです。

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