多田塾と「彼岸花」

2006-10-11 mercredi

群馬県片品村での三日間の多田塾が終了。
多田先生のかたわらで三日間を過ごし、先生の言葉に耳を傾け、先生の呼吸に同調し、先生の動きを目で追うだけで、全身が清められたような気分になる。
大げさなとお思いだろうが、200 人近くの武術者(そのうちのかなりは日本語を解さない外国からの参加者である)が一堂に会し、狭いところでひしめきあって、風呂やらご飯やら限られた空間とリソースをシェアしなければならないのである。
ほんとうはあちこちで「肩が触った」「足を踏んだ」「オレの牛丼食った」「シャンプーの泡が目に入った」・・・というような細かなフリクションが起きて当然であるにもかかわらず、三日間、私たちはほとんど笑い声以外の声を聴くことがなかった。
よくよく考えると、これは現代社会ではかなり稀有な出来事といわねばならない。
これだけ穏やかな時間を過ごす機会は合気道の合宿以外にはなかなか出会うことがない。
今回も多田先生から味わい深いお話をたくさん伺った。
先生の言葉は頭にではなく、身体にしみこんでくる。
そのときには理解できなくても、時間が経つといつのまにか血肉化していることに気づく。
そういうわかり方しかできない叡智というものがあるのである。
もうすぐ岩波書店から私の「複素的身体論」の論文を収録した本が出るはずである。
これまで30年間私が多田先生から教わったことを私なりの言葉に置き換えたものである。
この本を先生に差し上げるのが私なりの先生への感謝のかたちである。
合宿の運営にお骨折りいただいた坪井先輩はじめ関係者のみなさんにお礼を申し上げます。
工藤くん、のぶちゃん、また老生と遊んでくださいね。小堀さん次は11月の自由が丘45周年でお会いしましょう。

10 日の大学院の発表は「派遣」と「働くこと」というなかなか重いテーマ。
発表してくれたのはご自身派遣会社で登録者の面談をして、しかるべき職場へ送り込むマッチメイカーをしているT畑さん。
日本の雇用状況について、現場からの生々しいレポートと分析を拝聴する。
学ぶところが多かった。
伝統的な年功序列・終身雇用はすでに棄てられて、成果主義と転職の繰り返しによるキャリアデザイン・モデルに移行しつつある。
景気が回復しつつあり、雇用状況が好転しているとはいえ、依然として派遣や契約社員やアルバイトのような非正規雇用への依存は変わらない。
なぜ非正規雇用がこのように増えるのか。
この問題について考える。
「同一労働同一賃金」は労働の基本であるけれど、現在ではどこでも守られていない。
日本中どの職場も、正規非正規雇用者が混ざり合って同じような仕事をシェアしている。
場合によっては、正規雇用の社員よりも非正規雇用の社員の方が「仕事ができる」ということもある。
にもかかわらず、「たまたま」雇用形態が違うというだけで、賃金や待遇に有意な差が出る。
このような雇用形態は、どちらのタイプの労働者についても、その勤労意欲を高め、仕事の質を上げるようになるということは期待しにくい。
ならば、どうして非正規雇用が増えるのか?
それは、いったん成果主義が導入されると、自力では売り上げを増やすことのできない管理部門にとっては人件費の削減しか「目標」の達成を数値化する方法がないからである。
なるほど。
仕事の絶対量は変わらない(というか成果主義を導入すると「評価コスト」がそれに上積みされるから、仕事の絶対量は増える)のに人件費を削減するとなると、

(1)同じ賃金でこれまで以上の仕事をやってもらうか
(2)同じ仕事をもっと安い労賃でやってくれる人間を雇うか

二つしか方法がない。
もちろん前者は単なる「労働強化」であるから、そのようなものを「成果」と呼ぶことはできない。
「同じ仕事をもっと安い賃金でやってくれる人を探す」となると、生産拠点を人件費の安い土地に移転するか、非正規雇用をふやすか、打つ手は二つくらいしかない。
そのようにして非正規雇用形態は定着していったのである。
そして、非正規雇用者を増やしてみたら、彼らが正社員よりも有能でよく働く場合がしばしばあり、「え・・・? それなら正社員なんか要らないじゃないか」という思いがけない結論が導かれたのである。
できるところは全部非正規雇用にしちゃえばいいじゃん・・・ということで、製造部門、営業部門に続いて、ついに管理部門までアウトソーシングされることになった(派遣会社は「人事課」の仕事を代行している)。
そのうち社長まで派遣されるようになるのではないかという笑い話もあるが、平川くんの日記を読んでいると彼は13社の社長、役員、顧問を兼任しているそうであるから、これなどはほとんど「社長業のアウトソーシング」である。
さすが時代の先端を行く平川くん。
このままゆくと、いずれ「社員全員が非正規雇用の会社」というようなものも出現するのかも知れない。
そうなるとコスト削減のために青筋立てる管理部門の人間もいなくなって、かえってせいせいするかも知れない。
リナックス・カフェなんか、そういえばそんな感じだし。
考えてみれば、雇用期間が有限であるという点で言えば、終身雇用だって雇用期間は有限なわけである。
私などはあと4年ちょっとで退職であるから、もうそろそろ研究室の後片付けを始めなければいけないし、長期的なプロジェクトなどについては(あとの責任が取りきれない以上)できるだけ提言を控えるようにしている。
そういう意味ではもう非正規雇用の教員とあまり変わらない。
でも、勤務先に対するロイヤリティが 15 年前にくらべて落ちたかというと、そんなことはない。
あと4年半しかないから、できる限りのことはやっておこうと考える。
その方がふつうだろう。
「与えられた場所でベストを尽くす」というモラルのあり方は、残りの在職期間が10年だろうと1年であろうと、原理的には違わない(はずである)。
そう考えると、おそらく今後雇用形態は二極化するように思われる。
アウトソーシングできる仕事は全部アウトソーシングしたせいで、会社の本体は「スケルトン」になって、たいへん風通しのよい会社が一方の極にある。
他方の極には伝統的な年功序列・終身雇用の『百年目』の船場の大店みたいな濃密な人間の絆で結ばれた会社がある。
ある程度以上の規模の会社は「スケルトン化」したほうがよいだろうし、小規模の組織は「百年目モデル」の方が似つかわしいような気がする。
私の夢見る組織は小津安二郎の映画で佐田啓二や高橋貞二や司葉子や岡田茉莉子や渡辺文雄が勤めているような会社である。
終身雇用・年功序列で、伊香保の社員旅行でロマンスが生まれ、上司(佐分利信)の奥さん(田中絹代)が「うちにくる若い人のなかでは後藤さんがいちばんいいわね」とマッチメイキングに一肌脱いでくれて、結婚祝いには同期みんなでハイキングに行くような会社(歩きながら「山小屋の灯火は〜」と歌い、山小屋ではもちろん水割りを飲みながら麻雀)がいいなと思う。
もうあんな会社は丸の内のどこにも存在しないのであろうが、私はああいうのが好きである。
別にそれをニッポンのスタンダードにせよとは申し上げない。
でも、「ああいうのが好き」という同好の士が集まって、そういう組織を作ったら楽しいだろうと思うのである。
そういうふうに考えると年功序列で段位が上がり、死ぬまでメンバーシップが維持される終身雇用で、メンバー同士で結婚したり、宴会したり、麻雀したりしている多田塾というのは、「彼岸花」の会社にちょっと似ている。
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