仏教ルネサンス

2006-10-05 jeudi

南直哉(みなみ・じきさい)老師との対談のために東京へ。
南老師は福井の曹洞宗霊泉寺のご住職と恐山(!)の院代を兼務されている「仏教界最左派」の「論僧」である。
ご著書も『語る禅僧』、『日常生活の中の禅』など多数。
このたび新潮社から『老師と少年』という本を出されるのを記念して、『波』のために、私との対談が企画されたのである。
ご存知のとおり、内田家の菩提寺は鶴岡の宗傳寺であり、多田先生の道場は吉祥寺の月窓寺境内にある。いずれも曹洞宗のお寺である。
そんな仏縁浅からぬ南老師は「著者紹介」を見ると、58 年生まれ、早稲田の文学部を卒業後、サラリーマン生活を経て、84 年に出家得度し、永平寺で 20 年修行生活を送った異色にしてダイハードな宗教家である。
『老師と少年』は、師弟について、悟りについて、自我について、学びの主体性について、思考のたどりうる極限まで一気に肉迫するまことに稀有の書物である。

どんな人かな〜とどきどきして新潮社まで行くと、180センチを優に越す長身痩躯の僧にご紹介いただく。
私よりでかい人と対談するのは橋本治さん以来二人目である。
行雲流水の禅僧であるから、老師も墨染めの衣を翻し、お荷物も袋一つ。
中村錦之助主演の『宮本武蔵』で三國連太郎が演じた澤庵禅師のように「かっかっか」と身体をよじるようにして、呵呵大笑せられる。
すごい迫力である。
新潮社クラブにて対座して、さっそく「問答」が始まる。
話がはずんで、あっというまに3時間。
老師は修行、私は武道、それぞれに具体的な身体技法を基礎にして理論構築をしているので、筋目がところどころでぴたりと合う。
それもそのはず、老師は永平寺での修行の日々のあいま、87 年にすでに拙訳『困難な自由』を読んでおられた古手のレヴィナシアンだったのである。
私は仏教のことは何も知らない。
キリスト教とユダヤ教についてわずかばかりの知識を持つだけである。
だが、まことに意外なことに、どうやらレヴィナスと仏教は「相性」がよいようである。
ヨーロッパ的知性からすれば「存在するとは別の仕方」とか「絶対的他者」というのは思量の困難なものであろうが、仏教ではそれこそが中心的な論件である。
レヴィナス老師は私の知る限り仏教についてその著作で言及したことがないし、もちろん『正法眼蔵』や『教行信証』など読まれたことなどないはずである。
にもかかわらず、老師の述べることのうちもっとも噛み砕きにくい考想が仏教の哲理と深いところでシンクロするというのがまことに興味深い。

先日は、釈先生に応典院の秋田住職をご紹介いただいた。
秋田老師はかつて石井聡互の『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市』のプロデューサーとして知られ、今は家業を継がれてお寺をベースにさまざまな文化活動を展開している異色の宗教人である。
釈先生とその応典院で対談をすることになっているので、そのご挨拶に見えたのである。
秋田老師もまことに迫力のあるお僧であった。
どうも当今、やたらに面白い人たちが仏教界に「ダマ」になっているようである。
これは鎌倉期以来の仏教ルネサンスの時代が到来しつつあることの予兆なのではないか。
私にはなんだかそんな気がする。