1600の瞳

2006-10-02 lundi

兵庫県立柏原(かいばら)高校の進路探求 WEEK− ほんとうの「知」に出会う のオープニングイベントの基調講義というものをするために丹南篠山口から176号線を長駆して柏原へ行く。
高校からの講演のお座敷がかかった場合、原則として万障お繰り合わせの上参上することにしている。
なにしろ高校に営業に行って「進路指導の先生にお会いしたいのですが・・・」と言っても、「先生はお忙しいから、パンフだけ置いて帰って」とけんもほろろの応対をされたことも一度や二度ではない。
進路指導の先生が会ってくれるというだけでもありがたいことであるのに、今度は先方の進路指導の先生から「来て高校生に講演をしてください」というご依頼である。
え、高校生に直で営業しちゃっていいんですか?
しちゃいますよ。
もちろんお呼びくださった進路指導の M 下先生と F 田先生(そして校長先生も)はご賢察のとおり私の読者である。
『先生はえらい』を読んで勇気づけられた全国80万の小中高教諭のみなさんのおひとりである(その割には80万部売れてないのはどういうわけだろう)。
私がリーダー・フレンドリーであることはご案内の通りである。
かててくわえて、F 田先生はおそらく柏原エリアでも数少ないナイアガラーなのである。
ナイアガラーが思いがけない場所で他のナイアガラーに遭遇したときの感動はいささかの修辞的誇張を加えて言えば『スピーシーズ2』でエイリアン同士が遭遇したときの感動よりちょっと少ないくらいのものである。
もちろんナイアガラーといっても、F 田先生はお若くて、81年の『ロンバケ』を小学生で聴いてからのナイアガラーであり、『Niagara Moon』で目覚めて、ラジ関でリアルタイムで『Go! Go! Niagra』を聴いて取り返しのつかない青春を過ごした第一世代ナイアガラーである私とは「年季の差」があることは否めない。
「ラジ関聴いてた」というのは、ナイアガラー世界内部的には、ソ連共産党党内において「オレはレーニンとツーショットを撮ったことがあるぜ」とかますオールド・ボルシェヴィキくらいの格を意味するのであるが、若い諸君には喩えがわかりにくかったかもしれない。
ともかくナイアガラーからの同志的連帯の挨拶に応えないナイアガラーはいないのである。
さくさくと BMW を走らせて柏原に着く。
着いてびっくり。
ここは関ヶ原以来の柏原藩の城下町だったのである。
柏原高校は旧制中学から数えて開学110年、旧藩校のような格の高校である。
廃県置藩は私の年来の持論であるが、こういうコンパクトな城下町が丹波の山中に忽然と出現するのが幕藩体制の強みであるが、この話をしだすと長くなるので割愛。
早く着きすぎて、吉田校長(三月まで県立西宮高校の校長さんだったから本学の隣組である)にお相手をしていただいて、柏原高校の歴史と今後の展望についてお話を伺う。
明日から43の講座が 1 週間の間続き、毎日のように京阪神の大学や各種の学校から講師が来て、高校生たちに進路のご案内をするという気合いの入った企画である。
最初に私を呼んで基調講演をさせようというあたりに「いかがなものか」的要素もかいまみられるものの、総じてまことに意欲的な教育プログラムと申し上げてよろしいであろう。
しかし、考えてみたら、私は高校生相手に講演なんかしたことがこれまでにない。
出張講義というのは二三回経験があるが、これはほんの二三十人規模のもので、時間も50分。
全校生徒800人を体育館に集めて、その前で70分しゃべるというのは初体験である。
もし、これで生徒たちがあくびをしたり、私語をしたり、立ち歩いたりされてしまっては、「先生はえらい」などと大言壮語をしてきた私の面目まるつぶれである。
どうやって70分間黙って話を聴いてもらえるか。
かねて用意の小ネタでお茶を濁すわけにはゆかない。
私自身がハイテンションの憑依状態になって、舞台上で「あああ、何かが降りてきた」というふうにならないと15−18歳のみなさん800人の注視を維持することはできない。
こういうときには必殺技があって、ここでこっそりご紹介しておくのだが、「体育館に集められたけれど、講師の話がつまらないぜ、けっ」と思っている高校生の心理ならびに身体運用ならびにリアクションのくさぐさについて、記述的な描写をするところから始めるのである。
人間は自分の「口まね」をされると絶句する。
諸君は今、前方に足を投げ出して、目を半開きにして、「たりーぜ」というシグナルを全身を記号化して表現されておるけれど、これは悲しいほど定型的な身体運用であって、あなたはそれと知らずに既成の身体運用文法に繋縛されており、すでに「出来合いの高校生型」というピットフォールに落ちこんでいるのであるという話から始めると、そういう態度がたいへんしにくくなる。
フェアな手ではないけれど、相手が800人である。こちらも多少はくさい手を使わないと勝負にならない。
いつも申し上げているように、こちらの「話の先」を読まれてしまうと、一瞬のうちに緊張感が解けてしまう。
だから、絶対に「話の落としどころ」がわからない話だけを選択的にする。
とはいえ、何を言っているのかわからない話だけをしていたのでは基調講演にならない。
それに「教育崩壊と経済合理性」という大仰なタイトルだけはパワーポイントででかでかと舞台中央に映し出されているのである。
柏原高校は風水的にたいへんすばらしいロケーションであるというところから始める(これはほんとうの話である。旧藩の陣屋敷があるところなのであるから、風水的にいいに決まっている)。
諸君はその風水の良さを皮膚で感知しているかな?
私にはこの場にみなぎる力が感じられる。だが、諸君にはそれがわかるだろうか?
というようなことを言われると、高校生諸君も、とりあえず「皮膚」の感度を上げて、「ほんとうかな?」とチェックをする。
皮膚の感度を一度上げていただければ、オッケーである。
こちらはなんといっても愛と和合の合気道家である。
インターフェイスの感度を一度上げてもらえれば、あとはその肌理にじりじりと入り込むことができる。
そのためにこそ気の錬磨の稽古を三十年からやってきたのである。
「自分探し」の虚妄について、「駒形」の泥鰌鍋おじさんについて、ストックフレーズの呪縛について、時間と身体を割る技法について、ハル・ブレインのドラミングについて(これは F 田先生へのナイアガラー内輪ギャグ)、「学び」の本質について、「メノンのパラドクス」について、75分しゃべり続ける。
最後まで生徒諸君は静かに聴いていてくれる。
話を終えて、生徒諸君の暖かい拍手を浴びると、思わずピースサインを出して、「柏原ベイビー、愛し合ってるか〜い」と言いたくなるが、さすがに自制。

講演後、校長先生、教師のみなさん、高校生たち、保護者のみなさんをまじえて座談会。
女子高校生から「お話面白かったんですけど、横文字多くて、ちょっとわかりにくかったです」と言われる。
分からない言葉ありました?と訊くと「インターフェイスっていうのが、ちょっと・・・」と言われる。
おおお、キーワードが。
「でも、話をきいているうちに、だいたいそういうことかな・・・ってわかりました」
ああ、よかった〜。
テンションが上がったままなので、いろいろとご質問があるのをいいことに、ひとりでしゃべり続ける。
帰りがけに進路指導の先生方には「これから公募推薦、指定校推薦、一般入試とございますので、ぜひ生徒のみなさんを神戸女学院大学へ」とお願いする。
今回入試センターの A 木課長には「なんとか5人志願者ゲットしてきます」と約束したのであるが、果たして柏原高校からは何人の志願者が来てくださるであろうか。
校長先生はじめ柏原高校のみなさん、ほんとうにありがとうございました。
とっても楽しかったです。
こういう機会を与えてくださったことにお礼を申し上げます。
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