卒論中間発表

2006-09-30 samedi

卒論中間発表。
ゼミ生 17 名分の中間発表を「一気聴き」する。
所要時間6時間。
この時期にしては、かなり完成度の高いものを書き上げていたゼミ生も何人かいた。
オリジナリティを追求すると、学術性にしわよせが来て、客観性を追求すると、ただの「調べ物」になってしまう。
このあたりのさじ加減がむずかしい。
きちんと調べ物をさせて、定型的な論文作法に則って書くことを訓練することがたいせつであることに異議があるわけではない。
それがある種のスクリーニングであることを私は認める。
けれども、それは「定型的に書ける人間をピックアップするため」の選別ではなく、「自分はどうしても定型的に書くことができない人間だ」ということを覚悟させるための選別ではないか、どうもそんな気がする。
私は仏文専攻であるが、留学生試験というものを受けたことがない。
まわりの院生たちはみんな次々と試験を受けてフランスに留学していったが、私はどうしても試験を受ける気になれなかった。
ディセルタシオンという科目のせいである。
これは「定型的な論文の書き方」の習得度を見るものである。
この科目のために勉強をするということが私にはどうしてもできなかった。
それは私にとっては自分の指を切り落とすとか、爪を剥ぐとか、ほとんどそれに近い痛みをもたらすものだったからである。
しかるにその後長じて私は官僚的作文の名手となり、慇懃無礼、木で鼻を括ったような冷血な定型句は私のペン先から泉水が湧くようにほとばしりでることになった。
そこにはつねに過剰な攻撃性が伏流していた。
定型性と攻撃性は不即不離の関係にある。
定型にはある種の攻撃性を抑制する効果がある。だからひとは定型をふまえているかる限り「安心して」攻撃的になることができる。
たぶんそういうことではないかと思う。
だから、定型を学ばせるというのは、若い研究者たちの攻撃性をリリースするための教育的装置だと考えるべきであろう。
若いときの私自身はたいへん攻撃的な人間だったので、これ以上攻撃性を解発される必要がなかった。
だから、本能的に定型を避け、破格の書法を選んだのではないかと想像されるのである。
というのは、オリジナルな文体で書かれた学術論文って、「こっぱずかしい」ことばかり書き連ねてあるから、読み手の「失笑」を買うしかないからである。
おのれの攻撃性に配するに失笑を以てする。
たぶん、私はそんなふうにして自分が分泌している「毒」を制御していたのであろう。
メイビー。
そういえば、聴いて「あっ」と驚く方もいるかもしれぬが、少年のころの私はひさしく官僚志望であった。
東大法学部を出て、警察官僚になるつもりだったのである。
しかし、願書提出のまさにその瞬間、私は志望を「文 I」から「文 III」に書き換えてしまった。
どうしてそれまで二年間ずっと書類に書いてきた志望先を突然換えたのか、今でも理由がよくわからない。
今でも似たことはよくある。
レストランに入ってメニューを熟視し、「よし、天ぷらソバにしよう」と広言し、ウェートレスが「おきまりですか?」と訊ねた瞬間に「鴨南蛮」と言ってしまう。
19歳の私はおそらく定型的なキャリア形成を行って「警察官僚になった私」が世界にもたらすであろう害毒の大きさを想像して、とっさに「破格」の道を選んだのである。
文学研究者なら、逆立ちしても毒にも薬にもならない。
おのれの攻撃性を制するに無力を以てする。
たぶんそういうことじゃないかと思う。
文芸批評家の中には官僚になったら国を滅ぼしかねないほど節度のない攻撃性をもった人々がたくさんいる。
彼らもきっと私と同じように人生の岐路(おお、すごいことば)において、世界を救うために「失笑と無力」の道を選んだのであろう。
そう思うとけっこういい人たちである。

中間発表のあと、わが家にて打ち上げ宴会。
エプロン姿となり、ばたばたと「きのことベーコンのパスタ」「ソース焼きそば」「タイ風焼きそば」「鉄板焼き餃子」などをお出しする。
みなさん一段落ついたあとなので、たいへん賑やかである。
宴のさなかに突然部屋の電気が消えて、ローソクを立てたケーキが登場する。
おお、諸君は私のバースデーを覚えていてくれたのか。
よい子たちである。
ふと、老師の目に涙。
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