柴田元幸さんに会いに行く

2006-09-21 jeudi

柴田元幸さんとの対談が六本木国際文化会館で行われる。
主催はDHC。
いまは化粧品で有名な会社だけれど、もとは「大学翻訳センター」というアーバンの同業者である。
翻訳者の養成や文化教育事業も展開している。
今回は柴田さんとぼくで「翻訳の力、文学の力」と題していろいろおしゃべりをしようという趣向である。
柴田さんとお会いするのは二度目。
最初はうちの大学にミスギ先生がお招きして、講演に来ていただいたときのこと。
もう5,6年前になるだろうか。
そのときにミスギ先生にご紹介いただいてご挨拶して以来、このところは「著書の投げつけ合い」を展開している。
ぼくも年間10冊を出す異常な「かきすけ」であるが、柴田先生の出版数はそんなものではない。
年間15冊ペースである。
月刊プラス盆と正月は増刊スペシャルで本が送り届けられる。
だからぼくの書棚の現代アメリカ文学の蔵書の充実ぶりは突出しているのである。
うちのIT秘書室長が学生時代(遠いむかしのことのようだね、フジイくん)柴田さんの大ファンであった。
室長はたしか卒論がポール・オースターだった。
訳書を読んでいるうちにオースターよりむしろ訳者の柴田さんの方に惚れ込んでしまって、ぼくに柴田さんがいかにすばらしい人であるかを力説するようになった。
あるいは柴田さんが(当時室長が大ファンだった)フリッパーズ・ギターの小沢健二くんの先生だったというのがことのはじめかもしれない。
この辺の前後関係は不明。
そういうご縁もあって、ぼくは柴田さんの書き物を10年近く前からわりときちきちと読んでいるのである。
柴田さんと村上春樹さんは『翻訳夜話』『サリンジャー戦記』ほかで実に奥行きの深い翻訳論、文学論を展開されている。
その中で、村上さんが柴田さんにぽろりと語った「うなぎ」説をぼくが何度もあちこちで引用させていただいたことはみなさまご案内の通りである。
その柴田さんと翻訳と文学について語ろうというのである。
わくわくするではありませんか。
ぼくが「文学研究者」とか「哲学研究者」と名乗るのはほとんど経歴詐称であるが、「翻訳家」と呼ばれることについては天下に恥じるところがない(誰も呼んでくれないけど)。
翻訳が大好きで、大学卒業と同時に、翻訳会社を平川くんと起業したくらいである。
技術翻訳や三文ミステリーや児童書を鼻歌まじりに訳しとばしていたぼくのハッピー・ゴー・ラッキーな翻訳家人生はレヴィナス老師の書物を翻訳したことで一変した。
「レヴィナスを訳す」というのがどれほどおどろくべき経験であったか、これまできちんと人に話したことがなかった。
翻訳という作業を通じて訳者自身の知的ブレークスルーが成就するという驚くべき体験は、たぶん翻訳を一生の仕事としている人にしかなかなか理解してもらえない種類の話だからである。
それを聴いてもらう相手がいるとしたら、現代日本で柴田元幸さん以上の人はいない。
積年の望みはかなえられ、翻訳がもたらす愉悦と驚愕について柴田元幸さんと語りあうという至福の時間をぼくは過ごすことができた。
2時間の対談はあっという間に終わってしまった。
フロアから面白い質問がどんどん出てこれも面白かった(「ウチダ先生のその根拠のない自信はどこから来るのですか?」とか)
もっともっと話したいので、柴田さんご夫妻と、DHCのみなさん、若い英文学者早稲田の都甲幸治さんと慶応の大和田俊之さんと打ち上げ宴会へ雪崩れ込む。
都甲、大和田両君は来年の日本英文学会のシンポジウムに私を呼ぶという無謀なアイディアを立て、柴田さん経由で私とところにお申し出をしてきた方々である。
柴田さんもごいっしょにシンポジウムで出るというのだから、こちらからお願いしたいくらいの話であるので快諾した。
そのご挨拶をかねてである。
最初は「やや、どうも」とこちらも神妙な顔つきで名刺交換などしたが、大和田くんが「ぼくはナイアガラーなんです」と自己紹介した瞬間に目頭が熱くなる。
「握手!」。
さらに追い打ちをかけるように「増田聡くんとも古い友だちなんです」
また「握手!」
なんだそうか。じゃ、身内じゃないか。
さあ、遠慮はいらねえ、お若いかたたち、どんどん飲んでくれい(DHCの払いだけど)。
この若いお二人の業界話がまことに面白くて、笑い転げているうちに深更となる。
柴田さんとぼくは「大田区蒲田エリア生まれ、日比谷高校、東京大学文学部卒、二人兄弟の次男」というたいへん似た履歴を共有することもこの日に教えていただいた。
ぼくが柴田さんに感じる親近感はもしかすると、この「多摩川土手っぷち育ち」固有のカジュアルさがもたらすものかもしれない。
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