株式会社甲南構想と師匠のありがたみについて

2006-09-19 mardi

「株式会社甲南」構想が合宿帰途に朝来SAで黒豆ソフトを食しつつ熱く議論された。
三日の合宿を終えて帰路につくころ、われわれの身体は筋肉的には疲労の限界にあり、頭脳的には(三日間「いけのや」のメニューと酒のラベル以外の活字を一字も読まずにいたこともあって)ナチュラル・ハイな状態にある。
だから、この時間帯は何をしゃべってもげらげら笑い転げる。
「うさ餅」のタカサゴヤ店主から「オーケストラの方たちですか?」という身元についてのご下問が大受けしたことに端を発して、「われわれは一体世間さまからはどのような団体として映っているのであろうか」という話題が盛り上がった。
自動車組の総勢は約20名、年齢は20−50代。男女比は半々。
オケと間違えられたのもゆえなきことではない。
神鍋高原ではよくオケが合宿をしている。
たぶんオケの場合も、何日も同じ指揮者のもとで同じ曲を練習しているうちにある種の「多細胞生物」のような一体感をもつようになるのであろう。
こちらも、三日間の稽古の主たる目的が「気の錬磨」を通じての身体的コミュニケーションの緻密化である。
全員が年齢性別を超えた何とも言えない「雰囲気」の同一性を帯びてきても不思議はない。
朝来でソフトを舐めながら、このメンバーでビジネスをやったら楽しいだろうなとふと思いついた。
朝会社に行ったら、この顔ぶれがいて、「おはよ〜」と言い交わし合って仕事をするのである。
仕事のあいだじゅうずっと笑い続けている。
この絶妙のコンビネーションをもってすれば、どのようなビジネスであれ大成功することは間違いない。
問題は何をする会社かということである。
私としては、全員がオフィスの中にいて、わいわいしゃべりながら流れ作業の手仕事をするようなタイプの職種がいい。
越後屋さんが営業部長で、ドクターが総務部長で、社長が経理部長、IT秘書がIT秘書室長、かなぴょんが社長秘書、という陣容まではとんとんと決まった。
さて、何を売ればよろしいのか。
イーダ先生から「畳」はどうかというご提案がある。
ペイズリー柄のへりなどをもつ畳をフランスに輸出するのである。
なるほど。
「女子は全員畳職人で、畳針でぐいぐい縫ってゆくの」
なるほど。これは壮観だ。
「農業はどうか」という提案がヤベッチからなされる。
「一畝ごとに、みんな好きなものを植えるの」とタニオさんから提案される。
それだと「大きなとうもろこし」の畝の隣の私の「ちっちゃな苺畑」は日が当たらなくて枯れてしまうのでは・・・とヤベッチが不安顔をすると、「とうもろこしと苺はシーズンが違うからだいじょうぶ」とタニオさんが太鼓判を押してくれる。
どうもスタッフに農業についての基本的知識が共有されていないようであるから、これで東証一部上場を狙うのはむずかしそうだ。
「だから、道場をやるんだよ」と私が結論を下す。
トウモロコシ畑の横の苺畑に比べると、「芦屋に道場」というのははるかにリアリティがある。
「それなら私たちにもできそうだ」という気になる。
不思議なものである。
私が「道場を建てるぞ」と宣言したとき、それはただの「妄想」であった。
けれども、いま会員諸君の頭の中において道場はすでに半ば以上「確実な未来」なのである。

家に戻ると大瀧詠一さんからメールが来ている。
大瀧さんから『Go! Go! Niagra』のCDを贈っていただいたので、そのお礼のメールを差し上げたら、ご返事を下さったのである。
作家自身から本を贈ってもらったことは商売柄これまで何度かあるが、アーティスト本人からCDを贈ってもらったのはうまれてはじめてのことである。
大学あてに届いていたので、「やっほう」と教務部長室で躍り上がる。
同じ日に石川くんから「『レコードコレクターズ』で大瀧さんがインタビューを受けていて、その中でウチダくんのことに言及しているよ」というお知らせメールをいただいたので、さっそくジュンク堂で購入してそれも読んでみる。
私は1976年ラジオ関東の『Go! Go! Niagra』第二期からのリスナーであり、その頃は週一回午前0時にこの番組を聴くことが人生の一大欣快事であった。
ある日(たぶんクレイジー・キャッツ特集のとき)感動のあまり、「ぼく、この番組を聴くためにうまれてきたような気がするよ」と妻(当時はそのようなものがいたのである)に告白して、「あらそう、よかったわね」と気のないご返事をいただいたことを覚えている。
前に山の上ホテルでお会いしたときに「ラジ関以来30年来のナイアガラーです」と自己紹介したのを大瀧さんはちゃんと覚えてくださっていたのである。
インタビューの中でアルバム『Go! Go! Niagra』の曲目解説が一リスナーからの「アルバムに収録されると予想される曲のタイトルと内容についての解説」だったことを90%の人は意味がわからなかったことについて大瀧さんが回想している(私はもちろんアルバムを買った瞬間に大瀧さんの「仕掛け」に気づいて、「この人ほんとに筋金入りの趣味趣味音楽家だなあ」と感動したのであるから、10%のうちに数えてもらえるのである)。
そして、その話題のときになぜか大瀧さんはふと私のことを思い出してくれたのである。
「いつも言うけど、この時代にリスナーで面白いと思ってくれたのがフランス哲学の内田樹さんなわけで、彼が共鳴することっていうのがここにあるわけでしょう(笑)」
大瀧さんは私が「ほかならぬそういうところに共鳴している」ということを(そのことは当日の話題には出なかったにもかかわらず)ちゃんとピンポイントで抑えていたのである。
これはすごいことである。
前に『新春放談』で山下達郎さんのアルバム(『On the street corner 3』)の話をして、談が収録曲 Angel に及んだときに、大瀧さんは「ぼくはどうして山下君がこれを選曲したのかよくわかる。そして、ぼくがそれをわかっていると思いながら君がレコーディングしていることもよくわかるのよ」という次数の高いコメントを加えていた(うろ覚えだから文言は正確ではないけど)。
すごい人である。
メールの最後に大瀧さんはこう書いてくれた。
「またいつもの “飛ばしている” blogをタノシミにしております。本当に勉強になります。(“飛ばしすぎ” はナイアガラーの持ち味ですから、いつもの調子で突っ走ってください)。」
「師匠!」と私は虚空に向かって小さく叫んだ。
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