14日の朝に日本に帰ってから、前代未聞的ジェットラグに罹患して、そのまま中一日で合気道合宿に参加。
日本時間に心身が同調するまで4日を要してしまった。
最悪は帰国二日目の16日夜。
前夜がブラックアウト的睡眠4時のみで、眠くて眠くて一日あくびをしていたからすぐに寝られるだろうと思っていたら、これが眠れない。
11時半に就寝して輾転反側すること3時間。
朝6時起きで一日稽古なので、とにかく身体の疲れを取るのが先決と、寝るのを諦めて、ふとんのなかでじっと凝固している。
こちらも一日稽古をしているわけだし、3週間のフランス語学研修旅行の疲れが抜けていない状態だから、身体はとにかく休みを要求する。
しかし、日本時間にまだ同調していない脳内の一部が寝ることを拒否している。
脳の90%くらいが睡眠状態に入って、10%くらいが「眠れない」と思ってイライラしている。
おそらくこれがREM睡眠のごく浅いような状態に似ていたのであろう。
まぶたの内側をものすごい高速で文字や図像が飛んで行く。
文字は一部解読できるものもあるが、早すぎて追いつけない。
図像はだいたいがゴシックホラー系のものすごく気持ちの悪い映像。
うねうねする光線とか、鱗状のものとか、そのむかしLSDトリップ映画で見せられた映像とそっくりである。
なるほど、あれはほんとうに意識化のイメージを映像的に再現しようとしていたのだなあと眠りながら感心している。
眠りながら、「そういえば」などと見ている図像を分析しているわけだから、ちゃんと寝ているわけではない。
でも、おそらく横にいる人が見たらぐっすり眠っているように見えたのではないだろうか。
ときどき時計をちらりと見て、「あれからもう1時間も経ったのか・・・」などとつぶやいているのだが、もしかするとそのうち59分は外形的には眠っていて、本人だけが「眠れない」と思っていただけなのかもしれない。
外形的には眠っているにもかかわらず、「眠っていない」と思っている思いがある場合、この「思い」には「引き受け手がいない」。
「私は眠れない」という言葉が誰にも届かない(私自身にさえ拒絶されている)という手がかりのない無力感におそらくは不眠の本質はある。
レヴィナスが不眠について長い分析を加えていたことの重要性がこのとき不意に腑に落ちる。
なるほど老師はこれを経験していたのか。
などと考えているのだから、やっぱり眠っている訳ではない。
家に帰ったら、さっそくレヴィナスの『逃走について』(De l’e´vasion) を読んでみよう。
おや、不眠のおかげでレヴィナス老師の不眠論の本質が理解できそうだとは、これはとんだ拾いものだ。
転んでもただでは起きない人間だなあ、おいらは。
と思っているうちに眠りに落ち込んだ。
二日目16日の夜は昇段級祝いならびに学生諸君が私の誕生祝いなどをしてくださったおかげですっかり愉快になってぜんぜん眠くならない。
これは困った、とにかくふとんに入って身体だけは休ませようと思って、この日も11時半にとりあえず寝の体制に入る。
iPod で志ん朝の『居残り佐平次』を聴く。
佐平次がみんなから5円ずつ集めて、これで20円になる、これをおいらの母親のところに届けて・・・というところで記憶が切れる。
気がつくと朝。
やっと時差ボケが治った。
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(2006-09-18 20:00)