焼き芋屋はなぜつぶれないのか

2006-08-06 dimanche

夏休みになったら、夏休み前より忙しい。
2日の夜に東京から帰ってきて、3日は浜冦来襲で、4日はM島くんが「身の上相談」に来芦。
5-6日は、池上先生のご招待で、上高地。
いつもの三宅先生と今回は特別ゲスト山本画伯もご一緒。
三宅先生の奥様に伊丹まで送っていただき、機中の人となる。
50分の飛行で、あっというまに松本へ。
ゴローさんとモガミさんが空港に迎えに来ている。
まず池上先生の診療所へ。
池上先生の新製品(007におけるQの発明品みたいに、毎回新機軸を池上先生は取りだしてくる)で三宅先生、私、画伯と三人順番に治療を受ける。
毎回、松本ツァーには三軸関係者の「若者」が随行するのであるが、今回随行したのは信州大医学部の学生のヌマちゃん。
『身体の言い分』を読んで、家の近くに面白そうなおじさんがいるらしい・・・ということで池上先生のところの門を叩いた若者である。
まずは蕎麦屋へ。
さっそく昼からビールと燗酒で天せいろ(美味い!)
松本について2時間で、たちまち「わしどーでもえーけんね状態」になる。
居眠りをこきながら池上先生の運転で、沢渡温泉の「しおり絵」へ。
ここに来るのも三回目。
前回は『身体の言い分』の完成打ち上げパーティだったのだが、「あとがき」を書き終えていなかったので、私ひとり部屋にこもってがりがり原稿を書いていたのである。
今回はそういう仕事もないので、着くなり即昼寝。
昼寝からめざめて、「プライベート露天風呂」に浸かる。
真っ青な空、緑の山脈を仰ぎ見、梓川のせせらぎに耳を傾けつつ、とっぷり湯に浸かってぼおおっとする。
ぼおっとしたまま風呂から上がって、クーラーの効いた部屋で、とりあえず原稿を書く(やっぱり仕事を持ってきてしまった)。
講談社から出る(はずの)教育論をこのところさくさくと書いているが、『文藝春秋』の秋の臨時増刊教育特集に原稿を頼まれたので、「教育の崩壊と再生」とタイトルを決めてその原稿を書く。
指定は6枚だが、話が半分までゆかないうちに紙数をオーバーしてしまう。
教育について語り始めると、どうにも止まらない。
晩ご飯の時間まで書き続ける。
それから山海の珍味に美酒を堪能しつつ、池上先生を囲んで談論風発。
気がつけば深更。
同室の画伯が「ぼくは鼾がすごいからね、覚悟しておいたほうがいいよ」と脅かす。
「だいじょうぶだよ。ぼくは異常に寝付きがいいから」と応じる。
ご存じのように、画伯はたいへんな負けず嫌いであり(画伯以上に負けず嫌いな人間を私は私以外に思いつかない)、どのようなことでも人に遅れを取ることを潔しとしないのである。
横になるや、約10秒後に画伯の寝床から「ぐううう」という鼾の前兆音が部屋に轟く。
おっと、これは想定外のクイック攻撃。
私もすかさずその2秒後に「すや〜」と寝付いて、攻撃を軽くスルーする。
今夜の勝負は、「引き分け」ということでよろしいであろう。

翌日も快晴。
朝風呂に浸かり、たっぷり朝ご飯を食べて、三宅先生に治療していただいてから、上高地へ。
上高地はマイカー乗り入れ禁止なので、タクシーででかける。
私は観光旅行というものをほとんどしない人間なので、当然上高地も行ったことがない。
梓川沿いに約20分遡行すると上高地。
シーズンの週末であるから、すごい人出である。
平日の午前10時の竹下通りくらいの人出である。
林の中を歩いて河童橋へ。
さすがにここからの穂高の景色は息を呑むほど素晴らしい。
梓川の冷たい水で顔を洗い、アルプスの眺望を堪能する。
美しい。
これで観光客がいなければ、どれほど美しいであろうか・・・とおそらく観光客全員が思っているであろう。
再び山を下り、車中でモガミさんの「秋田弁によるイモ売り」話で、全員腹の皮がよじれるほど笑う。
運転の池上先生も笑いすぎて涙で前が見えないと何度もタオルで涙を拭いていた。
これをウェブ・ラジオのコンテンツにしてネット配信したら、どれほど面白いであろうかと思うのだが、内容の90%が放送禁止ネタなので、たまたまそのときモガミさんの傍らにいるという幸運に与った人以外はこの古典的名演を聴くことができないのである。
松本でまたまたお蕎麦と馬刺し。当然ビール。
これで昨日の昼から四食目であるが、間違いなく体重が2キロは増えていることが実感される。
松本駅で画伯を見送って、松本空港へ。
お見送りのみなさんに手を振って別れて再び機上の人となり、即爆睡。
ああ、楽しかった。
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