東京出稼ぎツァー・パート2

2006-08-02 mercredi

一日芦屋にいて、また東京へ。
仕事が二つと業務出張が一つ。
最初の仕事は平川くんとおしゃべりをするだけ。
学士会館の4階ロビーで「対話的知性とは何か?」というお題で1時間弱ほど話す。
これはウェブラジオ(のようなものらしい、よくわからない)のコンテンツになる。
友だちと慨世の言を語るだけでお鳥目が頂けるとは、ありがたい渡世である。
引き続き山の上ホテルに移動して、同じ「ラジオ・カフェ」のお仕事のパイロット版作成のため、関川夏央さん、女流講談師の神田茜さんと鼎談。
この三人をメイン・パーソナリティにする連続もののラジオ番組を作るのだそうである。
ただし、従来のラジオ電波で流すのではない。オン・デマンドでダウンロードして聴く形式のものらしい(技術的なことはよくわからない)。
はたして、そういう形態のラジオ放送が今後定着するのかどうか、ビジネスとして有望であるかどうか、予断を許さない。
とはいえ、これは私が株主であるところの会社の事業であるから、自社の売り上げに協力するのにやぶさかではない。
音楽コンテンツを Music store からダウンロードして、それを iPod に取り込んで、繰り返し聴くというのはまことに簡便にして快適なものである。
音楽に限らず小説の朗読や対談インタビュー講演の類を音楽と同じようにダウンロードして歩きながら聴くというやりかたがいずれ一般的なものになるかもしれない。
十年ほど前に大瀧詠一師匠が「新春放談」で「いずれネットで音楽をオンデマンドで聴けるようになる」と予言されていたが、さすが炯眼なるお師匠さまの予言通りに時代は進行しているのである。
関川夏央さんとお会いするのははじめてである。
関川さんは私のひさしいアイドルのひとりである。
本はほとんど持っているし、谷口ジローとのコラボレーション『事件屋稼業』シリーズや『坊ちゃんの時代』シリーズも全巻取り揃えている。
同時代の書き手の中でいちばん「気がおけない」というか、どうして「こういうこと」を書くのか、しみじみわかるような気がする数少ない書き手なのである。
たぶん、こんな感じの人だろうと思って期待していたら、まるごとその通りの人であった。
これは関川さんが意外性のない人だったということではなく、ひとつは私が関川さんの書いたものをあまりに長期にわたり愛読してきたことの効果であり、ひとつは「いしかわじゅん」のマンガで関川さんの似顔に20代の頃から親しんでいたせいである。
仲介の労をとってくれた平川君によると、関川さんも私と会うということになったときに、「ずいぶん前から知り合いのような気がするひとだ」と語っておられたそうである。
学年はひとつ関川さんが上だし、メディアで仕事をするようになったのは関川さんの方がずっと早いけれど、関川さんも私と同じことを思ってくれていたとしたら、とてもうれしい。
この鼎談(司会のキクチさんと「店長」の平川君も話にまざってくるので、実質は5人でのおしゃべり)は不定期に何回か続く。
平川君としては大橋巨泉、前田武彦、富田恵子の伝説のトーク番組『昨日の続き』のようなものをやりたいらしい。
私が小学校五年生のころにラジオ関東でやっていた番組で、東京のナマイキ小学生中学生はふとんの中にゲルマニウムラジオを持ち込んでこっそりこれを聴いていたのである。
初回は東京オリンピックの前の日本の街に聞こえていた音について。
まことに渋い話題である。
こんな昔話をいまどきの若い人が聴くかしらとも思うけれど、私たちだってこどもの頃に大人の話をよろこんで聴いていたわけであるから、予断は許さないのである。

相模原の実家に一泊して、母上のご機嫌を伺う。
印税のアブク銭の一部を上納する。
繰り返し申し上げているように、これは別に親孝行とかそういうことではなくて、ふところに入ったお金の一部を差し上げることにしていると、母はその余沢に与るべく、私のところにざくざくお金が入ることを強く念じるようになるからなのである。
こういうものは人間ひとりの念では力が弱い。
できるだけ多くの人に念にご参加いただくことが必要である。
まず隗より始めよということで母上にご参加頂くのである。
真にエゴイスティックな人間は他者を利することが私利私欲を満たすもっとも迅速かつ効果的な方法であることを知っている。
別に私の創見ではなく、ジョン・ロック先生やホッブズ先生がそう言っておられるので、先賢の驥尾に附すのである。

翌日は新宿工学院大学にて私立大学情報教育協会の「教育の情報化推進のための私立大学理事長学長等会議」にでかける。
私は理事長でも学長でもなく、「等」である。
今回のお題は「FDに求められる教員の教育力」。
教員評価ではどの大学もご苦労をされているようであるが、「教育力」という概念自体が一義的に定義しえぬものであるので、これは致し方ないのである。
この会議は「大学経営者サイド」からの教育改革なので、「そ、そんなこと言っちゃっていいんですか的本音」がばんばん飛び交って、たいへんにスリリングである。
聞いた中では、医学部教育に導入されているLPP (legitimate peripheral participation) という教育システムの話がたいへん興味深かった。
学習者を正規のメンバーに加えて、周辺的末梢的な任務を遂行させることを通じて、ゲームのルールをしだいに体得させてゆくという学習形態である。
子どものころにやった「みそっかす」という遊び方と原理的には同一である。
「こういうやりかた」をいまの学生たちも教員たちも経験的には知らず、アメリカで開発された先端的な教育法として導入しようとしている事実が私には興味深かったのである。
そのうちに「コミュニケーション感度の開発」といって「かくれんぼ」や「ハンカチ落とし」を大学の初年度教育でやる大学が出てきても私は驚かない。
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