懐かしい場所と養老先生

2006-08-01 mardi

学士会館で 9 時間半爆睡して目覚める。
よく寝るなあ。
8 時にラウンジに降りてゆくと、釈老師とフジモトさんがもう来ている。
いっしょに朝ごはんを食べながら、昨日の話の続き。
9 時におふたりは東京駅に向かった。私は学士会館に残って、パソコンに向かって昼過ぎまで原稿書き。
1時に自由が丘へ。
ある雑誌の企画で、「なつかしい場所」を訪れることになった。
どこにしようかなとしばらく考えたが、1970-80 年代のほとんどをそこで過ごした自由が丘に決めた。
取材の方々とモンブランでお茶をしてから、「懐かしい場所その1」「竹内道場」(合気道自由が丘道場はこの柔道場に間借りしていた)を訪れる。
1975 年に入門したころは、まわりにはほとんど店らしい店もなく、夜になると寂しい通りだったけれど、いまは「マリクレール通り」というこじゃれた名前がついて若い人たちが歩いている。
もちろん道場はあとかたもない。
ここの道場主は講道館八段の竹内佐之助先生であった。
私が二十代のときに先生はすでに痩躯鶴のごときご老人だった。
お酒がお好きで、合気道の納会にお招きすると、にこにこして来てくれた。
お酒をのんですぐに真っ赤な顔になり、ご機嫌がよいときはさまざまな武勇伝を語ってくれた。
私は道場の会計を担当していたので、竹内先生にお中元お歳暮を選んで贈っていた。
あるとき、お中元に、新潟の蕎麦屋に手打ち蕎麦を頼んだことがあった。
電話で蕎麦屋に注文するとき、「松竹梅の竹に、うちそとの内に・・・」というふうに住所と名前を電話口で伝えた。
「さのすけ」の「さ」というのはどういう字ですか?と訊かれたので、「猿飛佐助」の「佐」ですと答えた。
しばらくして、送り状のコピーが私のもとに届いた。
宛先を見たら、「竹内猿之助」になっていた。
真っ青になって道場に走り、土下座して「申し訳ありません!」と謝ったことがある。
竹内先生は「ほお、そうかね」とにこにこ笑っていた。
優しい先生だった。
「懐かしい場所その2」は自由が丘時代の下宿。
もう建物はなくなって、駐車場になっていた。
6畳一間に台所とトイレのついた木造の離れで、家賃は1万6000円だった。
この下宿にはいろいろな人が遊びに来た。
竹信くんは大学卒業のあと、赴任地が決まるまでのあいだ荷物をおかせてくれといって、6畳の部屋の隅から隅まで、ぎっしりダンボール箱を詰め込んでいった。
机の上にもベッドの上にまで段ボールが積んであって、私の暮らすスペースがなかった。
このエピソードは高橋源一郎さんとの対談「竹信悦夫を語る」で紹介した。
よく麻雀をやった。
イワタの家で平川君や石川君と徹マンをして明け方に蹌踉と帰ってきたら、知り合いや知らない人が五人くらいで麻雀をやっていた(私の家の鍵はドアの上の桟の上に置いてあったので、友だちはみんな勝手に家に入ってきたのである)。
そのまま面子に加わって、夕方まで麻雀をした。
大学三年のころは、ここから本郷三丁目まで行くのが一苦労で、朝起きると午後1時すぎで(こういう場合「朝起きると」とはいわない)、ああ今日も授業に間に合わなかった・・・とまたふとんをかぶって寝てしまうということがよくあった。
「懐かしい場所その3」は「シグナルヒル」。
日比谷高校のときの同級生の植木くんがバイトをしていた店で、宇田川てっちゃんという白皙の青年が店長だった。
開店の日に植木くんが「今日からそこでバイトすっから、来てよ」と迎えにきたので、開店祝いに角瓶をボトルキープして、それから2年間毎日のように通った。
植木くんはバイトが遅くなると私の下宿にそのまま泊まっていった。
ほとんど毎晩泊まっていった。
別れた妻とも、ここで知り合って、仲良しになったのであった。
この店がなければ、るんちゃんも生まれていなかったわけである。
そう考えると感慨無量なのである。
今も植木くんが前の店とは少し(5メートルくらい)離れたところで店を続けている。
「おひさしぶり、元気?」と顔を出したら、いつものように無愛想な顔で「いいから、座れよ」と応じてくれた。
高校時代からずっと無愛想な男だった。
店の内外で何枚か写真を撮ってから、急いで白金へ。
次は養老孟司先生との対談。
『考える人』の対談シリーズの3回目。
養老先生の毒舌爆発で、新潮社のアダチマホさんといっしょにげらげら笑い転げているうちに、あっというまに4時間経ってしまった。
おもしろすぎて、直後は何を話したのかさえよく覚えていない。
でも、しばらくしてから、あちこちで養老先生から聞いた話を受け売りしている。
養老先生はしばしば原理主義的逆説を弄するけれど、これは支配的言説に対する対抗的逆説として政略的に語られているものだから、文脈を見ないで、それだけを読んでは意味がわからない。
「養老先生はこう言うことによって、何を言おうとしているのか?」という問いつねに自分に向けていないといけない。
そして、「この人はこう言うことによって何を言おうとしているのか?」という自問を発させる人こそが真の教育者であるというのは、私のつねづね申し上げていることである。
真の教育者とは「問いの次数を上げる」というのはどういうことかを身をもって実践させてくれる人のことだからである。
養老先生から来年三月に箱根バカハウスでシンポジウムをやるから来てねというお誘いを受ける。
どんなシンポジウムかわからないけれど、養老先生が自分の趣味で集めたメンバーなら、活字にできないことだけが選択的に語られることはまちがいない。
楽しみだ。
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